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[XX-08-2017]ベトナム(ホーチミンシティ)#4

早朝,枕元のスマートフォンが鳴り,目が覚める。Uberで予約したタクシーの運転手からの電話だ。ベトナム語で話をされてもちんぷんかんぷんなので,英語で聞いてみるがらちがあかない。枕元でセットした目覚まし時計が鳴らなかったらしく,時刻を見るとすでに6時。昨夜の内に出発の準備をしておいてよかった。豪華な朝食に後ろ髪を引かれながら急いでチェックアウトし,Uberのアプリをみると,ホテルの近くに来ているらしい。また運転手から電話がかかってきたが,やはりベトナム語しか話せないようで,困っているとそばにいたドアマンが心配そうにくるので代わってもらった。どうも車をつける場所を訊いているようだ。

Uberのアプリには概算で料金が出るので,昨夜調べたときにはカード払いでは2万ドンいかないくらいだったが,キャッシュを使い切るため現金払いにしたせいかその表示がない。念のためドアマンに空港までのタクシー料金を聞いてみるとだいたい最大で20万ドンくらいだろうとのこと。15万〜20万ドンくらいという各種情報ともおおむね一致するのでそれを基準にする。

やっとタクシーがホテルの車寄せに到着し,それに乗り込む。空港までは車やバイクの交通量は多いものの順調に流れており,渋滞に遭うこともなくほぼ時間通りに国際線ターミナルに到着した。

料金は20万ドンだと運転手が言うので,ちょっと高めだが早朝だし,相場の範囲でもあるしちょうどキャッシュもきれいになくなるのでそのまま言い値で支払う。数分後,Uberから領収書がアプリに送られてきたので見ると,15,000ドンになっている。あの運転手は差額を丸儲けしたわけだ。即座にアプリからUberにクレームを入れると,お詫びとともに5万ドン分のクーポンが送られてきたが,もらったところで使い道がない。Uberでは現金払いはやめたほうがいい。

航空会社のカウンターに行くとすでに長蛇の列。事前にwebチェックインをしているが,サイゴンでの作業なのでプリントアウトをしておらず,キオスク端末もないので列に並ぶ必要があるかと思って職員に訊くと,それならこちらでと優先的に別のカウンターで搭乗手続きをしてくれた。

第一関門をスキップできたものの,出国審査がまた大行列。これを越えるとつぎに保安審査で行列。係員に荷物を開けろと指示され,中身を見せると羽田の免税店で買った土産物を見つけられ品名を訊かれたので答えるとオーケーとのこと。

起きてから何も食べておらず空腹なのでラウンジに入って休憩がてら朝食にフォーを食べ,ビールを呑む。飛行機に搭乗後は酒を呑んで機内食をつまみ,仮眠して過ごす。到着した成田空港ではさっくりと入国審査と税関を通過。ラウンジでビールを呑み,時刻表をあれこれ見ながら都心に戻るアクセス手段を検討,結局JRに乗って帰った。

※この項,更新予定あり。

[XX-08-2017]ベトナム(ホーチミンシティ)#3

 またも夜明け前に鶏の鬨の声で起こされる。朝食にバゲットとオムレツを食べ,ベトナムコーヒーを呑みながら一服。

 ホテルを出て,散策する。近くの路地では路上で野菜や肉,魚が売られていてさながらミニ市場の様相。魚はどれも生きがよく,路上に置かれた桶から飛び出して道路ではねる鯰もいる始末。

 そのままファングーラオ通りに出て,西に進むと市場があり,生鮮食料品だけでなく衣料品も売られていた。なかには川魚と一緒に生きた蛙を売っている店も。

 市場を出てファングーラオ通りを渡り,9月23日公園を突っ切る。デタム通りとの交差点付近にあるツーリストインフォメーションセンターに立ち寄ると,日本語のガイドブック,折りたたみ地図があったので入手する。とくに折りたたみ地図は裏面がバス路線図となっているので利用価値は高い。

ルロイ通りを渡り,ヒンズー寺院に立ち寄った後,ベンタイン市場の北西,歩いて3分ほどの食堂で小腹が空いたのでフォー・ガーを食べる。鶏の出汁が利いていておいしい。食後ベンタイン市場を冷やかして,またホテルに戻る。

 ホテルをチェックアウトし,路線バスでハイバーチュン通りまで行く。バスを降りてドンコイ通りまで歩いて,ホテルに到着。チェックインまで時間があるので,フロントにスーツケースを預けて散策に出る。

 近くにあるマジェスティック・サイゴンの隣にあるクレジットカード会社のプラザで近辺の店を教えてもらい,手始めに小腹が空いていたので食堂に入って名物のバインミーを食べる。日本で食べるのとは比較にならないくらいおいしい。

 広いグエンフエ通りをホーチミン人民委員会庁舎の前に立つホーチミン像まで歩く。雨がぽつりぽつりと降ってきたし,チェックイン時間にもなったのでホテルに戻ってチェックインを済ませる。

 新館の部屋はバスルームともども広く,前日までとは打って変わって豪華な気分に。折りたたみ傘を持ってふたたび散歩に出る。高島屋を覗いてみた後,じっとりした小雨の中,統一会堂,聖母マリア教会,中央郵便局と歩き,やや疲れたので中央郵便局近くの書店通りのカフェで一服。ドンコイ通りを歩いてホテルに戻る。

 夕食は地元民向けの食堂に行こうと考えていたが,疲れたので手近な店でバインセオを食べるが,サーブが遅い上に量が多くちょっと失敗した。ドンコイ通りの雑貨屋を冷やかしながら散策するが,どこも仕入れ元が同じらしく似たような商品で食指が伸びず。陶器の店は比較的おもしろい品物があったが,割れやすいし荷物になるので断念。結局,何も買わずにホテルに戻り,酒を呑もうと最上階のバーに行くとなぜかカントリーバンドが大きい音で演奏していて雰囲気が今ひとつなのでやめにする。プールサイドのパティオにあるバーに足を運ぶと野外ゆえ蒸し暑いので,やっぱりやめて部屋に戻ってビールを呑む。

 翌日は朝の便に乗るため6時過ぎにはチェックアウトして空港に行く必要がある。さすがに路線バスは心許ないので,タクシーを使うが,Uberだと安くあがるらしいので,アプリで6時にホテルから空港への送迎を予約する。ビールを呑みつつ,まどろんで寝た。

※この項,更新予定あり。

[XX-08-2017]ベトナム(ホーチミンシティ)#2

 まだ夜も明けきらない早朝,あちこちから雄叫びをあげる鶏の鬨の声で目が覚める。

 ツーリストオフィスに出かけ,昨日予約したメコンデルタ1日ツアーのツーリストオフィスに足を運ぶ。集合時間になったのでガイドの後についてファングーラオ通りを渡り,公園を通り抜けてルロイ通りに停まっているツアーバスに乗る。

 90分ほどバスに乗り,ティエン川(メコン川)をラックミウ橋で渡った先で幹線道路から船着き場へ入り,船に乗り換える。途中,島で下船してココナッツキャラメル工場や養蜂場の見学,馬車で村落を移動したりするアクティビティのほか,メコン川支流の水路のジャングルをクルーズする。昼食は現地ミトーの名物,カー・タイ・トゥオン(象耳魚の唐揚げ),カー・コー・ト(淡水魚の土鍋煮)などが出た。前者はアオザイ姿のお姉さんが野菜と一緒にライスペーパーで巻いてくれたものをニョクマムにつけて食べるがなかなかおいしい。

 17時前くらいにサイゴンのツーリストオフィスに戻り,解散。いったん宿に戻って休憩してから夕食に出るが,車軸を流すような雨が降ってきたので,手近な「モン・フエ」に飛び込み,フエ料理を食べた。

 ブイビエン通りのバーで呑んだりするつもりが強い雨がやまず,面倒になってそのまま宿に帰ってビールを呑んで寝る。

※この項,更新予定あり。

[XX-08-2017]ベトナム(ホーチミンシティ)#1

航空会社のリワードプログラムでたまったマイルで引き替えた特典航空券でベトナムのホーチミンシティ(現地では旧称のサイゴンのほうが通りがいいので以下サイゴン)に物見遊山に出かけることにした。ついでにサイゴンから陸路で半日あればたどり着けるカンボジアのプノンペンにも行ってみようともくろんだが,ベトナムへ再入国する際のビザの制限などを考えて断念した。

羽田を深夜に出発する便なので22時前に空港に到着,出国手続を済ます。ひとまずラウンジに入って休憩,しばらくすると小腹が空いたので機内持ち込みのスーツケースを預けてフードコートへ行き,軽く鉄火巻をつまんでビールを呑む。ついでに免税店ものぞいて土産物も調達し,ラウンジに戻る。

1時前に搭乗手続が始まり,乗り込む。深夜便なので酒を呑んで寝て終わり,のはずだったが,途中夜中にギーィギャアと大音量の奇声をあげて泣き叫び続けるベトナム人幼児がいて寝付けない。親はあやしているのだが,やむ気配はなく客室乗務員が耳栓を配りにきたので,それをもらってなんとか寝た。朝食はクロワッサンにサラダと付け合わせ。白ワインで流し込む。

タンソンニャット国際空港に到着し,入国審査の列に並んでいるとやっぱりさっきの子供が奇声をあげて泣き叫び続けていた。どこか具合が悪いのかもしれない。ここはイミグレーションの後,税関の前にも免税店がある。税関では保安検査を兼ねて荷物を機械に通すだけで,とくに何かを訊かれるということはない。

タンソンニャット国際空港到着ロビー
入国手続後,税関を通る前の到着ロビー。小規模な免税店がある。

あまりやる気のない税関を通過し,到着ロビーに出たものの,まだ6時台なので開いている店も少ない。レートはよくないけれど、両替所で手持ちの現金をベトナムドン(VND)に両替する。Vittelが閉まっていたので,Mobifonのツーリスト向け30日間有効のSIMカード「way2go」を買う。国内通話60分込みのデータ通信無制限プランで,料金は250,000ドン(約1,200円。1JPY=約208VND)。依頼すると設定も係員がやってくれた。

ターミナルの車寄せにはタクシーの客引きや到着客でごった返しているが,出口を出て右に曲がった先にあるバーガーキングの前から横断歩道を渡り,バスブースに止まっている49番の黄色いマイクロバスに乗り込む。運転手に4万ドンを払うとどこで降りるのか聞かれたので,先に路線図を撮影しておいたスマートフォンを見せながら9番で降りると答える。10分ほど待つと発車した。乗客は自分以外には日本人夫婦と中国人旅行客3人。

49番バスの路線図
49番バスの路線図。市民劇場へ行くならNo.5で下車する。

ドンコイ通りで日本人夫婦が降りた。空港からの路線バスは複数系統があるが,有名な152番バスはドンコイ通りを経由しないので,中央郵便局や市民劇場付近で降車したいなら49番が便利。乗ったバスはベンタイン市場の前のロータリーを回り,本来のルートとは逆にルロイ通りからファングーラオ通りに入ってバーガーキングの前で停車した。バスを降り,デタム通りからブイビエン通りを通ってホテルに着き,チェックインまでの間スーツケースを預ってもらう。

デタム通りとファングーラオ通りの丁字路の角にあるハイランズコーヒーに入り,ベトナムコーヒーで一服。ここは2階席だとコンセントもある。ブイビエン通りの1本南にあるチャンフンダオ通りから1番の路線バスに乗り,25分くらいで華僑の街・チョロンへ。運賃は5,000ドン。終点のバスターミナルで降りる。交差点はバイクでカオス。埃っぽい街に露店が並び,その横を掠めて凄まじい数のバイクが走る。

チョロンの交差点
バイクでカオスなチョロンの交差点
チョロンの露天街を走るバイク
露天を掠めて疾走するバイクの群れ

チャータム教会を覗き,グエンチャイ通りを中華街に向けて歩くが暑くてとにかく埃っぽい。コンビニエンスストアに立ち寄り,ビールとマスクを買い,イートインコーナーに入ってビールで喉を潤す。

チャータム教会
教会建築にシノワズリな四阿,左右の建物はコロニアル風のチャータム教会
コンビニのおすすめイートインメニュー
コンビニのおすすめイートインメニュー。缶ビールが1本1.5万ドンくらいなのでどら焼き10万ドンは高めの値付け。

グエンチャイ通りをさらに東に歩き道教の華人寺・天后宮(ティエンハウ寺)を見学。欧米人の団体観光客や日本人観光客を見かける。バスターミナルに戻る途中に地元民のお客で賑わってる東源鶏飯に立ち寄り昼食にビール片手に鶏飯を食べる。うまい。

またバスターミナルに戻って中心街まで1番の路線バスに乗り,ベンタイン市場に入って衣類や雑貨、食料品をみてまわる。「アジアのいかしたTシャツ」はないかと探してみるが,「極度乾燥(しなさい)」くらいしかおもしろいモノがない。

ホテルに戻ってチェックイン。周辺を散策するついでに翌日のメコンデルタツアーの申し込みをしようといくつかのツーリストオフィスをまわって値段を調べる。日本人向けのツアーは倍以上かかるので英語ガイドのツアーにしようとする。旅行会社によっては1人客だと値段が跳ね上がるところもあるので要注意。ツアーの内容はどこも同じような構成なので値段が安くて老舗のThe Sinh touristで申し込む。

夕食はホテル近くにあるファングーラオ通りの交差点角の「フォークイン」でフォーを食べた。例の深夜便のせいで睡眠不足気味なので,飲みに行くことなくコンビニでビールを買って部屋で飲んで早々に寝る。

※この項,更新予定あり。

サイゴン(ホーチミンシティ)に行ってきた

 またも有効期限切れが近づいてきたマイルを消化するため海外見物に出た。前回は澳門と香港だったので,中国以外の都市をマイレージプログラムのチャートと夏休みと空席状況を見ながら検討した結果,中華文化とメコン文化と植民地時代のフランス文化が微妙に混じり合うベトナムのホーチミンシティ(現地では旧称のサイゴンのほうが通りがいいので以下サイゴン)に行くことにした。
 ついでにサイゴンから陸路で半日あればたどり着けるカンボジアのプノンペンにも行ってみようともくろんだが,ベトナムへ再入国する際のビザの制限などを考えて断念した。
 ともあれ,ベトナムはなかなかおもしろいところで,今度はサイゴンだけでなく中部のリゾート地などもあわせて再訪してみたい。
※ 詳細は[08-2017]ベトナム(ホーチミンシティ)#1にて。

[24-08-1997]中国 #9 ‐ 上海

 朝,黄浦公園を散歩することにした。東風飯店を出て中山東路の西側(公園の反対側)を北に向かって歩いている途中,2軒の包子屋があり,1軒のほうからとても美味しそうなにおいがしたのでその店で「朝食の前にかるくおやつでも」と2つ買った。地下道を通って中山東路をくぐり,公園で試しに1つ食べてみたところかなり美味しい。急いで引き返し,さらに買い増しして朝食の代わりにすることにした。1つ5角〜1.5元くらいだったように思う。2軒の店をよく観察すると,やはり美味しい店のほうがよく繁盛していた。

 ホテルに戻り,チェックアウトを済ませる。午後便に乗るので,午前中は南京路でぶらぶら買い物やら散歩でもすることにしていた。碧山老師と大きな「百貨大楼」に向かい,そこのコインロッカーに荷物を預けた。上海ではコインロッカーはまったく見かけないので,おそらく設置してあるのはここぐらいなものだろう。鍵は日本のそれと異なり,荷物を入れコインを投入してボタンを押すと,7桁の「密碼」(暗証番号)が記されたレシートのような小片が排出される。荷物を取り出すときは暗証番号をテンキーで入力すると扉が開く仕組みとなっている。鍵そのものが盗まれたり,鍵を偽造して他人の荷物を盗む輩を警戒してのことだろう。

 ここで,碧山老師と11時ころに再び落ち合うことを決め,ばらばらの行動をとることにした。日本でもあまり見かけることのない三菱電機が開発した曲線のついたエスカレーターを下り,街路に出てぶらぶらと歩く。土産物に現地のたばこを買ったり,CDを買ったりした。中でもおもしろかったのが,上海市第一医葯商店で,ここは漢方薬から西洋医学,はたまた医療道具や健康用品まであらゆるものがそろっている「健康のデパート」みたいなところだ。ありふれたモノではない気の利いた土産物をと思い,ここで人間の頭の模型に鍼灸のつぼと経絡を記してある「頭針模型」とそれの耳版である「十耳模」を買った。「十耳模」は赤いポウチに入っており,どこでも携帯することができる(笑)。

 この上海市第一医葯商店は昔ながらの代金の支払い方で,一旦購入する物品とその数量を「発票」してもらい,それを支払いカウンタに持っていく。代金を支払うとそれに領収印を押されるので,再び販売カウンタに持っていくと商品が手渡される。さて,ついでに「よく眠られるおくすり」でも買おうと筆談で求めるが,売ってくれない。処方箋が必要なのか,販売していないのかよくわからないが,ひとまずあきらめて,店を変えて普通の薬局で「我欠眠。求薬為快眠」と紙に書いてみせると,フランス製のアモバンを売ってくれた。価格は2つ買って70元と高額だが,日本での手間を思えば安いものだ。他には書店や百貨店などをひやかした。百貨店では中文表記のWindows95のインストールされたパソコンが展示してあった。

 買い物(といっても前述の通り,妙ちきりんなモノばかりだが)や,ぶらぶら歩きを終え,件のコインロッカーの前に到着した。碧山老師もやってきたので,さて荷物を取り出そう,と7桁の「密碼」を入力するが,なぜか扉が開かない。「!!」と何度も暗証番号を入力するが開かない。しからば,ともう一度硬貨をいれて新しい暗証番号を取得し,再び新しい暗証番号を入力するが開かない。このままいくと下手をすれば飛行機に乗り遅れてしまうのでは,という不安が頭をよぎる。碧山老師と「もし乗り遅れそうになるようだったら,放っておいて先に空港に行く」ことを打ち合わせる。通りがかった警備員に筆談で故障である旨を伝えると,警備員もそのコインロッカーのことは管轄外であるらしく,どこかに消えたと思ったら鍵束を持ったデパートの女性服務員をつれて来てくれた。女性服務員が鍵を回すと見事にロッカーが開いた。どうも荷物を詰め込みすぎたらしい。日本のコインロッカーだと,引き手を持って扉を引っ張って開くのだが,このコインロッカーは自動で開くようになっていて引き手がなく,こうした場合外からの開けようがないらしい。礼を言って百貨店を出て,リムジン乗り場まで早足で行った。

 上海虹橋空港に到着し,搭乗手続きをする。それにしても空港利用税90元は法外に高い。手続終了後は時間が余ったので土産物店などを冷やかすが,商品自体は大したことはない割に市中に比べべらぼうに高い。手持ちの人民元をすべて使い切ろうとするが,うまく細かい金が使えずほんの少し余ってしまった。時間になり日本航空JL794便に搭乗し,帰国の途についた。関西国際空港に到着してまず最初に感じたのは「よきにつけ悪しきにつけ,なんとヌルい空気なんだろう」。発展途上の中国人民のような活気はないし,いつモノを盗まれるかわからないといった緊迫感もない。

協力:碧山老師。
Special Thanks: KATSURAGI, Ichiro(氏の旅行記を参考にして旅行のプランをたてました)。

[23-08-1997]中国 #8 ‐ 蘇州・上海

盤門からみた呉門橋全景。この橋は清代に立て替えられたらしい。
呉門橋を渡るには登り下りがあるので荷物を持っている人は一苦労だろう。
呉門橋から見る運河では朝靄の中,艀が行き交っている。

朝,タクシーを拾って昨日行けなかった盤門に向けて出発する。曇りがちでよどんだ空気の蘇州だが,さすがに朝の空気は澄んでいて気持ちがいい。タクシーの運転手が快調に飛ばしたのでわずかな時間で盤門の横にある呉門橋に到着した。呉門橋はアーチ型の石橋で,下を船が通ることのできるようにかなりの高さとなっている。そのため,橋を通行する者は階段を上り,またすぐ下らなくてはならない。

盤門の全景。
クリークの岸に柳が見える。魯迅の小説のような風景

橋の上から見る景色は朝靄と運河を航行する艀の組み合わせによって「いかにも蘇州」といった風情であった。橋を下り,盤門の售票所へ行く。朝早かったのでまだ開いていないようだったが,少し待って票を買った。盤門は城壁都市ならではの建築物で,運河に水門を設けて敵の侵入を防ぐために作られたらしい。盤門の周りの城壁の上をすこしぶらぶら歩いて,昔の支那人の気分になってみる。上からクリークをのぞいてみると,立ち並ぶ土壁の小汚い民家の横に柳が水面に垂れており魯迅の小説の一節のようだった。

唐代に作られた石橋,宝帯橋。

盤門を後にしてタクシーを拾い,次は唐代に作られた石橋である宝帯橋に向かう。サンダー杉山似 (山谷初男似かな?) のマッチョな運転手に少したじろぐも,普通の人物だった。宝帯橋はかなり辺鄙なところにあり,徒歩や夕刻に行くのは危険であると思うのでタクシーを利用した方がよいだろう。到着したが,タクシーを捨ててしまうと帰れなくなるので,タクシーを待たせて置いてぶらぶらして橋を見る。周りは運河と池のようなところで何一つないような場所だ。再びタクシーに乗って市内に戻る。タクシーの運転手は市内観光を勧めるが,こちらはそんな気はないので断った。

市街地で朝食をとることにするが,適当な食堂が見つからない。やむをえず,今回二度目の外資系ファストフード店「功徳基」すなわちケンタッキーに入る。メニューを見ても中文表記なのでいまひとつよくわからないがフライドチキンとコーラ,それに「土豆泥」を頼む。「土豆泥」が一体ナニか見当もつかなかったが,ケンタッキーでそう訳の分からないモノを出すこともなかろうと決めた。結論から先に言うと単なる「ポテトスープ」なのだが,字ヅラがあまりよろしくない。「土の豆」は馬鈴薯のことで,「泥」はポタージュのようにとろっとしたスープの性質を表しているのだろう。

フライドチキンの方は日本のそれと比べ,大きさはかなり小さい。上海での「麦当労」のフライドポテトも量が少なかったが,なぜか向こうのファストフード店は値段はかなり高額なのに量が少ない。こんな「高級店」の客層は午前中ということもあり,子供連れの主婦が目についた。なお,手洗いは日本とさほど変わらぬくらい清潔で,さすがは外資系ファストフード店だ。

さて上海に戻るため蘇州火車站に行き,切符を買おうとするがかなり混雑している。列に並び,いよいよあと数人というところでいきなり支那人が前に割り込んできた。一瞬呆気にとられたが,背中の荷物を引っ張って列から排除しながら「お前,何割り込んでるんだ」と日本語で怒鳴りつけると,にやにやしながらその場を去った。やはり旅行者ということで甘く見られているのだろう。やっと購入できることになったが,こちらの希望する列車はどれも「没有」で発券できない。結局,硬座の「無座」すなわち自由席の切符を買った。

コンコースはとにかく人で埋まっていて,無錫よりずっと乗客は多い。売店では様々な物が売られており,碧山老師は鉄道時刻表が売られていないか探していた。この駅の構造は中央コンコースをはさんで左右対称に「候車室」があり,列車によって待つ部屋が違うのでコンコースの電光掲示板で確認しなくてはならない。われわれが乗る予定の列車は候車室にある改札の電光掲示板によると20分の遅延だそうで,さらに人がふくれあがっている。椅子に座って待っていると,駅の職員らしき男性がワゴンにいろいろな雑誌などをおいて売りに来た。その中に先ほど碧山老師が買ったものの「どうも少し違う気がする」と言っていた鉄道時刻表の完全版が売られていたので,一緒に買うことにする。先に碧山老師が買ったものは一種のダイジェスト版だったようだ。

かなり待った揚げ句,改札が開始されるような雰囲気になり乗客が色めき立ってきた。候車室の構造は上海と同じで椅子がずうっと列になっているのだが,隣の列の方が改札が早いようだっだので椅子を乗り越えた刹那,わめくような支那人の中年女性が2人近づいてきた。そう「マナー取締官」だったのだ。しまったと思ったときはもう遅い。ちょんわちょんわと罵られながら ( あくまで主観 (笑)) 罰金を払えと言っているようだ。反則切符を切られ,罰金額は10元。日本円に換算したら大したことはないのだが,現地での貨幣価値が身に付いていたのでかなり痛い。列に並んでいる現地人の「あー,やられてるよ」というような同情の視線を感じた。

気にならないと言ってもやはり多少金銭的にも精神的にも不快感があったが,とにもかくにも列車に乗り,座席を探す。やはり普通の硬座車両は汚く,客もおそらく地方出身の家族連れが果物を食べているなど,いかにも人民の乗る二等客車といった風情だった。幸いにも空いている座席があり,腰を下ろす。窓が開いていたので風を受けながら上海まで車窓風景をのんびりと見ていたが,上海に近づき列車が速度を落とすに連れ,列車から乗客が投棄した線路上のごみが目に付いた。

上海站に到着。

上海站に到着し,路線バスに乗って次は外灘(Bund)をめざす。久しぶりの上海にやはり大都会であることを実感した。バスは人と自転車と自動車で輻輳する道路を通り,外灘近くにまで来たようだが降りる機会を逸してしまい,周りの景色が租界地然とした雰囲気から妙な下町にいつの間にか変わっていたので急いで降車する。どうやら豫園近くの中華路付近のようなので,とりあえず黄浦江沿いの中山東路にまで出ることにした。この日は黄浦江遊覧船に乗る予定であったので,船の発着場である十六舗碼頭に向かったが上海到着が遅れたため残念ながら遊覧はできなかった。さらに歩くと外灘沿いの近世ヨーロッパ建築群が視界に入り,帝国列強がひしめき合っていた時代の「上海バンスキング」「阿片の匂う娼館」など一人で妄想に浸っていた。

宿泊するホテルを当初,和平飯店 (Peace Hotel) と考えていたので,申込みにCITSに行く。大学生らしき日本人カップルが日本国内と同じようなラフな格好でいたので,ああいう手合いがカモになるんだろうなあ,と考えながら順番待ちをしていたら,女性が比較的上手に英語を駆使していたので,自らの英語力と比してみて見かけで判断してはいけないと少し反省。結局,和平飯店は思っていたより宿泊料が高額なので断念した。CITSを出て,ぶらぶらしていると2星級ホテル・東風飯店の面構えがなかなかよかったので入り,交渉してみると宿泊料もリーズナブルであり宿泊することに決定した。

ホテルのエレベーターは19世紀末のイギリスを彷彿とさせるまさに《鉄の籠》といったもので非常に趣があった。難を言えば照明などが全体的に暗く,部屋はもともとマンションかオフィスを改造したような感じでインテリアや部屋の作りにまったく配慮がなされていない点である。しかし,部屋自体はたいへん広く,窓も大きかったので,見晴らしのよい部屋を所望していたこともあって,外灘一帯・黄浦江・上海テレビ塔が一望できた。もっとも,上海特有の濁ったスモッグのため眺望自体大したことはない。

旧租界地区である外灘。にわか雨が上がった直後で,歩行者が少ない。

そうするうちに急に篠突く雨が降りだし,外灘にいた上海人や観光客たちもあっという間に消えてしまい,外出しようとしていたわれわれもテレビを見て時間をつぶすことにした。このテレビ番組がエキセントリックなモノで,日本で言うところの「警視庁潜入24時」に似たテイストなのだが,あちら版は取締側にのみ焦点を当てるのではなく,個別の事件に迫っていくのである。「**省**県で連続詐欺事件が発生し,捜査の結果何某が逮捕」というような話(もちろん逮捕現場もモザイクなしで,日本のように何某《容疑者》などとはいわない)がいくつも現れ「犯罪の防止には人民の日頃からの心がけ」的なスローガンで締めくくられる。話は脱線するが,だいたいこういう国情のところでは「犯罪抑止の見せしめ」的要素が強いので《犯罪分子》はさらし者にされることが多い。近いところでは韓国や台湾などでもそうである。韓国では犯罪者は白いチョゴリを着せられ,護送車から手錠姿でカメラの放列に晒され,取り調べ風景まで写される。

黄浦江の水面に見えるのはすべてゴミ。スモッグがひどく,浦東の東方明珠電視塔などもかすんでいる。

雨がやんだので,散歩がてら夕食を取りに出かける。現地での最後の晩餐ということもあり,けちけちせずにいこう,と胸を弾ませる。黄浦江沿いの黄浦公園をぶらぶらと歩き,行き交う船や川面などを見たりしていたが,黄浦江はとにかく汚いので驚いた。褐色の水面に無数の塵芥が浮遊しており,公園にいる支那人たちもジュースの缶やら紙コップを当然のごとく投棄している。この国ではバスや列車の窓からごみや唾を吐くことといい,とかくゴミ捨てに関する感覚が「自分の周りにゴミがなければいい」という非常にいい加減というか自分勝手な考え方のようだ。

南京東路から租界のヨーロッパ建築を見ながら繁華街を目指して歩くが,夕刻からはネオンサインが通りいっぱいに灯り,たいへん華やかになる。途中,蛇料理を供する店などもあったが,値段が高かったのと「ゲテモノはイヤだ」という碧山師の反対によりその店はパス。支那の料理店では,蛇や川魚などが肉料理に比べべらぼうに高いのが特徴である。川魚といっても雷魚や鯉などを蒸したり揚げたり回鍋にする程度などだが,なぜか高い。

結局,ほどほどの江蘇料理の店に入ったが,大きい店の割に所望する料理が「没有」なものも多かった。頼んだものは,無錫の運河飯店で他の卓の料理が間違って運ばれてきてそのときからうまそうだと思っていた「蓴菜(じゅんさい)のスープ」,昆明で食べて以来とりこになった「家鴨の舌の燻製」,メインディッシュにしようと思った肉料理がなかったため頼んでみた「蝦の水晶炒め」などである(他にも食べたのだが比較的記憶に残っているのがこれら)。「蓴菜のスープ」は黒胡椒がきいて予想に違わずおいしいものだった。ただし例に漏れず油っこい。日本でお澄ましや生食などに用いる蓴菜は芽からさほど成長していない物を使うせいか丸まっているが,あちらでは異なり大きく広がったものが用いられるようだ。「家鴨の舌の薫製」は昆明のものより素材がよいらしく,さらにおいしいものだった。「蝦の水晶炒め」はどんな料理か見当がつかなかったのだが,新鮮な小振りの蝦の殻をむいて軽い味付けで炒めたものであった。蝦の色合いが半透明で光っていたのでそのようなネーミングが施されたと思われる。かなり高い価格であったが,素材の味で勝負といったところで,文句なしに満足できる物だった。やはり上海という土地柄,全般的に味付けも上品で素材も新鮮だった。

食事の後は,再び南京路をそぞろ歩きして,ショッピングをする。といっても,女性のようにブランド物を買うわけでなし,外国に行くときの癖で書店とCDショップを冷やかす。美術書や書道関係などの品揃えが豊富であったが,いかんせん大きく持ち運びが大変そうなので見送ることにする。お国柄,毛沢東語録などの共産主義関係の全集類も多いが,売場は閑散としており,手にとって見ていたのは冷やかしの筆者だけだった。碧山師は岩波書店の『日中辞典』が約800円くらいであるのを見つけて購入し,一方わたしは文学コーナーに行き,日本文学を探してみた。そこでは大江健三郎や川端康成がかなり大きいスペースを占めており,なかでも川端康成は文集(全集のこと)が出ており,向こうでも人気が高いようだ。一冊16元の割には造本や紙もよくないが好きな話の収録されている物を買っておいた。一方,世界的に著名な日本人作家の一人である三島由紀夫はその政治的スタンスのせいかほとんどおかれておらず,無難な作品が数点あるのみだった。CDショップでは『東方紅』を探してみるが,売られていなかった。他の店でも探したがどこにもおいているところはなく,二胡のCDと国歌や式典曲が演奏されたCDを買った。値段は日本円で約1,500円程度とかなり高価な商品である。

[22-08-1997]中国 #7 ‐ 無錫・蘇州

 朝早く起き,鼈頭渚公園に向かう。そこからの景勝地・太湖の眺めはいにしえの文人が讃えたほど風光明媚らしいので,若干の期待をもちつつ運河飯店の前からバスに揺られた。ちなみに「鼈頭」とは「すっぽんの頭」という意味で,公園の中にある鹿頂山から見て,太湖に突き出た半島の形がそのように見えることから付けられたものらしい。広さは琵琶湖の3倍程度とのことだ。到着すると,まだ朝早いせいか人の姿は少ないが,既に公園は開いている。支那はたいていのところは朝早くから開いているし,人も朝早いうちから行動するようだ。逆に,有料の公衆厠所(公衆便所。たいていどこでも有料)なぞはどんな深夜であっても,5角(約7円)や1元(約14円)を回収するために服務員が座っている。

 さて,公園の入口の售票処で入園料を払おうと値段表示を見ると,30元から三段階に分かれている。「国家級風景名勝区」であるからか知らぬが30元とかなり高額な入園料であるのに,ましてやそれ以上誰が払うのだろう,と疑問に思いつつ,価格の違いを見てみると,公園の中での遊覧船の料金や,別に入場料のいる区劃の料金を含めるか否かで変化があるようだ。窓口で迷っているわれわれの横で現地の少女が同じように迷っているが,意を決したように「票」を買ったので,われわれも一番安い30元を払って票を買う。どうも少女は値段の高い票を買ったようだった。

 中に入ってしばらく歩くがなんのことはない,ただの公園だった。キャラクターをあしらった連接式の遊覧バスが停車しているが,われわれは歩くことにした。先ほどの少女は乗るようだ。右手にみずうみを見ながら歩くこと約20分,ようやく「観光地らしい」ところに到着した。先ほどの遊覧バスの折り返し地点でもある。この場所にも門があり,さらに少し歩くと遊覧船着き場となっており,ここから太湖観光に出るようだ。その先には亭などがあり,亭とみずうみを背景にして支那人の観光客が写真を撮ったりしていた。名所とはいえ曇天の上,湖水の色も茶色いのであまりおもしろい写真は出来そうにない風情だった。なお,太湖の水質は都市化・工業化によりそうとう悪化しているようだ。

 遊覧船着き場にもどり,太湖遊覧に出ることにする。沖合いを航行している別の船を見て船好きの碧山老師が「あの船はこういったところにある船にしてはスタイルがいい」と賞賛するので,じっくり見てみると確かに船首からのラインが美しい。15分ほど船に乗り,島に到着する。思った通り何もなさそうな感じの島だ。広場では楽団が演奏し,なにやら民族衣装を着て舞を舞っている。さきほど,售票処にいた少女もいたがなにやらつまらなそうな表情をしており,現地人にとって安くはない入園料を折角払ったのにこの内容では気の毒だと思った。

 広場からは右の方へ行くと散策路,左へ行くと寺があるらしいが,どちらも大したことはなさそうなので左の寺へ行ってみる。橋を渡ってすぐに道が分かれ,寺に行くには階段を上らなくては行けないらしい。もういいかげん面倒になってきたので,階段を上らずに遺跡があるというみずうみ側のほうの道を進んでいくことにする。そこには案の定,最近になって作られたと見られる布袋像やらインチキっぽい遺跡のようなものがあり,「西遊記」のドラマのロケでもやりそうな雰囲気であまりにもキッチュなでき具合に逆の意味で感動した。いいかげんここらあたりで島にいるのもたいがいイヤになったので再び乗船し,公園にもどる。さすがに公園の入口まで歩いていくのは億劫だったので遊覧バスに乗ることにした。結局一番安い「票」で遊覧船にも乗り(チケットはノーチェック),全部のエリアを見たわけだから最初の售票処で高い票を買った少女はまことに気の毒としかいいようがない。

 ホテルに戻り,昼食をとる。計58元。昨日の夕食をとったレストラン(中餐庁)とは違うレストラン(食舫)で,雰囲気はこちらのほうがよかった。ホテルのカウンタで無錫から蘇州に行く列車のチケットをとろうとするが,どうも満席らしい。とにかくバスで無錫站に行くことにする。窓口に並ぶと,手近な時間の列車の切符がなかったものの,なんとか14時46分発の列車の切符を入手。発車まで時間があるので駅前を少しぶらついてみる。駅前の汽車站(バス乗り場)の向かいにある百貨大楼(デパート)に行き,用を足す。必ずしも公共施設や商業施設に手洗いがあるとは限らず,とにかく現地では手洗いを探すのに若干の手間がかかる。時間になり改札が始まったので,構内に入る。駅の改札口は出札口とは全く違うところにあることが多く,この無錫站も同様だった。月台(ホーム)に入ってきた列車は旅游特快ということで,2階建て列車だった。われわれの座席は上層(2階)で,対面式の座席の間にはテーブルがあり,あまりきれいではないながらもいちおうテーブルクロスも敷かれていた。

 短時間で蘇州站に到着する。駅を出ると交通量のあまり多くない広い通り(車站路)があるが,バス乗り場がわからない。うろうろしているとタクシーの運転手が声をかけてくるが無視をして,ともかくメインストリートの人民路を市街地方面に行けばバス停があるだろう,と外城河を渡る。蘇州のシンボル北寺塔を目の前にしつつ10分ばかり歩くとバス停に到着し,人民路を南下する1路バスに乗車した。予定していたホテルの最寄りの停留所と勘違いして途中の停留所で降りてしまったり,ホテルの場所そのものを間違っていたりと珍しく足踏みをしてしまい,2人とも疲労困憊した揚げ句(とりわけ碧山老師は朝から風邪気味だった)南林飯店という十全街にあるホテルに行くことにした。

 ふらふらしている途中,人民路沿いに珍しくスーパーマーケット(おそらく現地人にとっては高級だろう)があり,店の前で楽団がにぎやかに客寄せの演奏をしていた。中に入ってみると,店の品物を盗むような輩のための対策か入口そばにある窓口で手荷物を預かるようになっていた。ペットボトルの「百事可楽(ペプシコーラ)」や「七喜(セブンアップ)」が幾分か安く売られていたので,「七喜」を購入する。ホテルに着くと,もともとから外国人向けのホテルらしく敷地はゆったりとしており西洋人の姿もちらほらと見受けられた。チェックインカウンタでタリフを見せてもらうと料金は高い目なのでどうしようか,これでもいいかなと碧山老師とちんたら相談していると,安い部屋のタリフを引っぱり出してきて提示した。外国人と見て最初は高い部屋を出してきたのだ。安い部屋に宿泊することになり部屋に行ってみると,単に旧館であるというだけで設備などもしっかりしており,今までの中でもっとも快適な部屋であった。

 荷物を置き,買ってきたジュースを冷蔵庫に入れ,市内観光に行こうと外出した。しかし,目的地へ行かないバスに乗ってしまったり,目的地行きのバス停を見つけたけどもすでにバスが終了してしまったり,と全くついていなかった。先ほどのスーパーマーケットからさらに南へ下ると,商業地だったのが南門汽車站(バスターミナル)あたりで急に雰囲気が悪くなってきたので外城河を大きくまたぐ人民橋で引き返すことにした。ここらあたりで食事をしよう,と食事をするところを探すが気力が萎えているせいもあってか,どうもいまひとついい感じの店が見つからない。やたらと派手な字体で「快食快餐! **餐庁」と書かれた店も多いが,何やらあやしげ(に見える)ので入る気がしない。そんな中「台灣式即餐庁」と銘打たれた店があり,なんとなく好ましそうな雰囲気だったので入ってみた。要はファストフードなので,カウンタでメニューを見ながら注文し,少し待たされた後に妙に照明を落としてある2階席でビールを飲みつつ食事をした。どの料理もやはり脂っこく,味付けも台湾料理とはほど遠いものだった。碧山老師とは前回台湾旅游をしたときにたらふく現地で台湾料理を食べたので,二人で「おそらく店主は実際に台湾に行ったことがないヤツだ」と決めつけておいた。食事を終えると散策する気力もなく,タクシーを拾い,ホテルに戻った。碧山老師は風邪で相当疲労しており,ベッドに倒れるとすぐに寝てしまった。

[21-08-1997]中国 #6 ‐ 上海・無錫

 早朝,食事もとらずにホテルを出発し,タクシーを拾って昆明空港に向かう。空港利用税50元を支払い,雲南航空3Q4541便に「登机」する。飛行機はボーイング767型で,来るときに乗った上海航空よりずっと清潔な機内だった。飛行中も麗しい容姿の女性服務員が細やかな服務を提供し,洗面セットが利用者にもれなく配られるなど,地方の航空会社とは思えぬ充実ぶりだった。これが生まれて初めての飛行機利用とおぼしき乗客も多数おり,備品や肘掛けのボタンをあれこれいじってみたり,ヘッドフォンの着用にとまどったりとほほえましい光景が随所で見られた。ドリンクサーヴィスで提供される飲みものの中に一つ目をひくジュースがあった。その名も「版納風情」。「版納」とは「西双版納(シーサーパンナ)」のことで,われわれが訪問した昆明より南にあるタイ・ラオス国境付近の地方を指す。缶には南国をイメージさせるイラストが描かれ,いかにも感を演出している。どうもあの「版納風情」は気になる,ということで,碧山老師が飮むことになったが,この手の飲料の常道で結果はやはり不味かった。

 上海虹橋空港に到着し,2度目で慣れたリムジンを使って市内まで行き,欧州のブランドのブティックが並ぶ陜西南路站から近代的な地下鉄に乗車,上海火車站に行く。火車站そばの龍門賓館に向かい,外国人向け售票処で無錫までの乗車券を買いに行く。ここではいかにもな日本人旅行客が多く,とりわけ女の子3人組の無防備さには呆れた。彼女らは有名な九龍(香港)行き99次特快のチケットを取ろうとしていたが「没有」の返事ばかりだった。彼女らを後目にわれわれは極力早い列車に乗るつもりだったので,座席の等級を問わずに購入すると軟座だった。支那の鉄道の等級は2つに別れており,上級が「軟座(soft seat)」で,下級が「硬座 (hard seat)」となっている。寝台車の場合も同様で「軟臥」「硬臥」に別れている。

 チケットを入手して火車站にもどる。構内に入りX線の荷物検査を受け,電光表示に合わせて待合室に入る。改札はまだのようだが,人は結構いる。「候車室」と呼ばれる待合室には各列車ごとに改札があり,その改札から一列に待つための座席が数十メートルに渡って並んでいる構造となっている。こういった待合室がいくつもあり,さすが人民の数がものをいう国,規模が大きいと感嘆させられた。構内にはみやげ物屋なども並んでおり,なかなか活気にあふれている。

 ここで,ふと気がついたが,われわれは軟座の乗車券を買ったのだから,軟座専用の候車室に行かないともったいない。このあたりが日本と違い,社会主義国であるにもかかわらず階級格差が歴然としているのも妙な話だ。もっとも日本の方が変な平等意識がついてしまっているのだけなのだろうが。いったん構内を出て,外を歩くと駅の端の方に軟座専用候車室があった。絨毯敷きの落ちついた綺麗な候車室でソファに腰掛け,「これが一等軟座の旅だよな」と2人で苦笑しあった。軟座なら荷物検査も受けずにすむし,改札も硬座に先んじて受けることができる。昼食を取ろうとビュッフェに行くが食べたいものが「没有」ばかりなので,店を出て売店でクラッカーやジュースを買う。ちょっと妙な日本語も表示される電光掲示板に改札開始の表示があらわれ,改札に行く。

 ホームに行くと,規格が大きい日本の新幹線のさらに1.5倍はあろうかという巨大な列車が停車している()。しかも今までの「中鉄」のイメージを覆す綺麗な最新鋭の列車である。規格と言えば,かつて日本が初めて国有鉄道を敷設する当時,鉄道技師は欧米並みに広軌〜標準軌の採用を主張したが,ある政治家が「日本人は小柄だし,建設費が安く押さえられるので狭軌でいい」と主張したため,狭軌が採用された。しかし,スピード競争や輸送力の点で狭軌は劣ることから,後にその政治家は「狭軌でいい」と主張したことに対し「あれは失敗だった」と悔やんだ,というような話を道中で碧山老師とした。碧山師曰く,鉄道技師たちは果たせなかった自らの理想を実現すべく,大陸での鉄道敷設の際にもっとも理想的な規格を設定し,スケールの大きい設計をしたという。その遺産で現在の中鉄は高速・大量輸送が可能なのだろう。

 さて,乗車口では女性服務員が応対し,華やかな雰囲気を演出しており,座席はリクライニングシートで,側窓は大きな固定窓とおそらく中鉄の列車の中で最高級の部類に入るものであろう。あらためて乗車券をみると「特級(特急ではない)空調列車」とある。《海螺号》と名付けられたこの列車は14時03分に定刻通りに出発した。まもなく車内検札に「車長」が来,その後「空調係」の少年が空調の効き具合を確認するためだけに巡回してきた。確かに空調料金を払っているだけはあるが,まったく人が余っている国らしい職種だ。車内を見渡すと後方におつきの人とともに共産党の関係者らしき人物がおり,車長がへこへこと挨拶をしていた。車長は挨拶の後,女性服務員に党幹部に湯茶の接待をせよというようなことを命じていたが,女性服務員が一向に持ってこないので車長自らが湯茶を運び,接待していた。われわれはペプシコーラとクラッカー,台湾でも売られていた旺〜旺というおかきでお腹を膨らませた。このクラッカー,予想に反しておいしかった。

 快適な鉄路旅行もすぐに無錫に到着し,終了となった。無錫の駅前からミニバスに乗って運河飯店をめざす。あちこちで工事が行われており,支那の急激な経済発展の様子がここでもうかがえた。町中には上海同様,外資系の広告が幅を利かせており,「百事可楽」や「麦当労」の看板がいたるところで見受けられた。中都市といえども,民族色の濃い奥地の昆明に比べるとやはり街も住民も洗練されている。街の匂いからして違う。

 「運河飯店」と名付けられたバス停で下車するとその前には運河飯店はなく,電視台があった。出入りする人物の首からIDをぶら下げたラフな格好は,日本のそれとさほど変わらぬものだった。さて,肝心の運河飯店自体は木があって表通りからはすこし見えにくい位置にあり,見つけるまでに多少手間どってしまった。チャージに400元を支払ってチェックインし,すでに夕方になっていたので,部屋でテレビを見たり収支を計算したりして時間を過ごした。そのテレビ番組というのは日本語講座なのだが,かなり笑える代物だった。スキットは星新一の「エフ博士が寝ながら英語を学習できるという画期的な枕を開発して隣人に貸したが,寝言が英語になっただけだった」というショートショートを使っていて,そのエフ博士の演技がかなりのマッド・サイエンティストぶりで大笑いをした。製作は東映ビデオか東宝のどちらかで,日本で作られているようだった。

 腹もほどほどに空いてきたので,グリルで夕食を取ることにした。昆明の濃い味付けに少し飽きていた口も,上海風の味付けでまた食欲が湧いてきた。とはいえ,どの料理もラードで皿の縁がぎとぎとになるくらい脂っこいものであることにはかわりない。夕食後,近くにある無錫大飯店のあたりを散歩していると,道路に面した1階に清潔そうな広い売店があるので覗いてみる。無錫大飯店は無錫で一番高級なホテルで,20楼(20階)には日本料理店もある。そういったことから並んでいる商品は日本の品物や雑誌も多いが,驚くほど高かった。ジュースもきちんと冷やされており,コーラの他にはキリンの現地法人が作っている炭酸飲料「キリンレモン」「キリンアップル」「キリンライチ」などもあった。結局,ガムやお菓子,キリンライチ・キリンアップルを買って部屋に戻った。キリンライチは炭酸と程良く効いたライチ味で,食後の口中に爽やかだった。

 寝るまでに時間はまだまだあったので,ちょうど髪も伸びてきたことだし,と美髪室(理容室)に行ってカットをしてもらおうと思い立った。美髪室に行くと,女性が一人物憂げに葡萄を食べていた。料金はシャンプーが15元,カットが15元の合計30元。で「どのようにカットするのか」と訊いてくるので,具体的に説明するのは困難だし,支那人になりきってしまうのもいいかと思い,紙に「流行的頭髪於上海」と書くと「わかった」というように作業を始めた。ところがこの女性,非常にカットが下手で,ざくざく引っ張るように切っていき,おまけに体を密着させてくる。高校の時のパンクな英語教師がしていた「韓国の床屋ではカットする女の子がそーゆーサーヴィスをするんですよー。表の回転灯の回転が速ければ速いほどサーヴィスも濃厚なんです」という嘘か誠かわからぬ話を思い出して「これは外国人とわかったので《色情服務》をするのでは」と内心ひやひやしたが,当然ながらナニもおこらなかった。関係ないが,この女性もそうであったように支那の女性はノースリーブを着用していても腋下の処理をしないようだ。さて,仕上がってみるとなんとも面妖なヘアスタイルになっていた。襟足を伸ばし,前は全体的に立ちあげてバック。このヘアスタイル,どこかで見たことあるなあと記憶を辿れば,現在四川大学に留学中の支那好きの知人・S君のそれに酷似していた。支払時,女性に琺瑯のボールに入った葡萄を勧められるが,衛生的な観点から断った。部屋に戻ると碧山老師からの高笑が待っていた。

註:
 碧山老師に後日指摘されたのだが,中鉄の車両の規格は新幹線とほぼ同じだそうだ。ただ,プラットホームの高さが客車用のため低いので,下から見上げるような格好になり車両が大きく見えたのかもしれない。

[20-08-1997]中国 #5 ‐ 昆明・石林

なんとなくほこりっぽい昆明市街

昨夜の遅れが影響し,昆明に到着したときには日が高くなっていた。当初,石林行きの日帰りツアーを昆明の旅行社で申し込むつもりだったが,この時間帯ではもはや受付はしていないであろう。ということで,マイクロバスで送迎のみ行うツアーに参加することにする。街の中にはたくさんのマイクロバスが客を拾いながらぐるぐると回っているのでそのうちの一つに乗ればよいのだが,昨夜の学習から客がある程度乗車していて発車寸前のバスを探すことにした。

どのバスも熱心に(というかうるさく)行先を連呼しているが,客の埋まり具合を見て,あるバスに乗った。やはり満員になるまで出発しないらしく,我々が乗車した後もぐるぐる回遊しながら,女性の客引きが「石林」と書いた札を持ち「シーリン,シーリン」と行先を連呼している。お客になりそうな人物を見つけるとすばやくバスから飛び降り,ひっぱってきては交渉する。もちろん,全然その気のない人を引っ張ってくることもあるので効率は良くない。いいかげんいらいらしてくるが,ここは支那である。そのうち,客引きが男性2人組を連れてきた。親子連れらしいが,金持ち風である。「これはすぐに出発するんだろうな」みたいなことを言っているようだ。説得が成功したらしく,2人組が乗り込んでくる。しかしまだぐるぐる回っているので,「早く出発しないのか」というようなことを大きな声で言っていた。

結局,1時間くらい経ってから出発した。15分くらい走った後,農村の入口で客引き女性と男性を下ろした。彼らは売上の内から幾ばくかをもらうのであろう。狭い通路を挾んで私の横に座っている先ほどの親子連れは妙に体も態度もでかいので観察していると,親父のほうがなんと宍戸錠そっくりなのである。サングラスをかけ,手には石の数珠のようなブレスレットをじゃらじゃらいわせ,バミューダを履いていた。「なんか隣,宍戸錠に似てない?」と碧山老師に小声で囁くと,笑って同意していた。もちろんあだ名は「エースのジョー」に決定である。ジョーの息子の方も同様にアクセサリーをつけ,ふてぶてしい様子だった。ジョーは当初出発が遅れたため不機嫌そうであったが,切符切りの女性と話がはずんで,いつのまにやらご満悦の体であった。

さて,バスが停車するので,何かと思えば宝飾店である。買い物をさせる気でよくあるパターンだ。買う気は全くないが,腹の調子があまりよくないので,トイレに行くため店内に入る。ジョーを観察していると,店員の説明を聞いたりして購買欲はありそうだが,やはりそこはシビアに何も買っていないようだった。再び出発し,碧山老師とあれこれ他愛のない会話をしていると,切符切り嬢が話しかけてきた。「I
can’t speak Chinese」と答えると何やらまた言ってくるので,メモとペンを手渡すと「イ尓地方人?」と書いてきた。ははん,支那語を話していないのでどうも我々のことを少数民族と思っているらしい。本当は日本人であることを明らかにするのはあまり好ましくないと思っていたのだが,言わないとかえって不審がられそうなので「日本人」と書いて返した。相手はそれで納得したらしく,それ以上の質問はなかった。ジョーは興味津々で我々の方を見ていた。

次にある食堂で止まった。ここも先ほどの宝飾店と同様,運転手たちにバックマージンを払っているのだろう。無駄に現金を使いたくなかったのもあるが,脂っこい料理が続いているせいもあり,昨夜来胃がもたれているのでとうてい昼食を取る気にならなかった。そこで碧山老師とじゃんけんをし,負けた碧山老師が軽いものを買いに行った。強い日差しの中,15分くらいして買い物から碧山師が戻ってきた。ペプシコーラとお菓子とウィンナを駐車場で頬張ることにした。ペプシは田舎にしては珍しく冷やしてあった。支那では飲み物を冷やして提供するところは限られており,喉が渇いているときにこういうのは非常にありがたかった。その分,3.5元と若干高めの値段だった。駐車場から開放してある窓から食堂の様子が見えるのだが,ジョーの食べっぷりは見事で,青島ビールをラッパ飮みするのだ。さすがはエースのジョー,豪快である。

ある農村を通過すると,そこではドライブインのような食堂がいくつもあって,そこの前では毛をむしられた家鴨が何匹も首からぶら下げられており,主人が塩か調味料らしきものを首から胴体にかけて擦り込んでいる光景が見られた。他の食堂の前でも同様にぶら下がっていたので,どうもご当地の名物らしい。道路沿いの川を見ると,網で仕切られた中にたくさん家鴨の姿が見受けられた。さて,結構走った後に岩が突き出たようなそれらしい景色が見え始めた。幹線道路からはずれ,みやげ物店があるようなところに到着した。石林かと思ったが,どうもこじんまりしている。皆は降りたり降りなかったりだが,降車する人の方が多いので,とりあえず皆について下車する。3枚綴りの共通入場券を買って,鍾乳洞の中に入っていくのでついていく。白い鍾乳洞をピンクや緑色の照明でライトアップするのは全くもって趣味が悪いのだが,どうもそれをサーヴィスと思っているらしい。どうも石林とは違うようだ。

出てバスに戻るとジョー親子の姿はなかった。おそらく「オレは先に石林に行くぜ。もう待ちきれねえ」とばかりに先に行ったのだろう,と碧山老師と結論づける。もう2個所回ったが,どこも似たような景観だった。鍾乳洞の中に入るとサニ族のかわいい娘さんが民族衣装をまとってガイドしてくれるが,何をいっているのかわからないので,いてもいなくても同じである。後からわかったのだが,この鍾乳洞や洞窟は地下石林といって一応観光地らしい。だが,わざわざ10元も払って芝雲洞・畳雲岩・祭白龍洞を見る必要はないと思う。やはりジョーの判断は正しかったのだ。さすがはエースのジョー。

次にやっと石林に到着したと思ったらそこは石林のミニチュアのような公園で,15分くらいで外に出る。なぜこんな所に寄るのかは意味不明。ま,無料だからいいか。で,やっとのことで石林に着く。いいかげんこの時点で気分は盛り下がっていた。言葉がわからない我々は「5時半に出発するので遅れないで」と腕時計を指しつつ切符切り嬢に念押しされる。片言で5時半ね,と答えると,車番を覚えておけ,と言われる。確かに駐車場には同じようなマイクロバスがたくさん止まっていた。

入園口に向かって歩くと,我々の会話を耳にしたであろうサニ族の物売りが近寄って来て日本語でみやげを勧める。毛頭買う気がないので完全に無視する。かなりしつこいが,售票所であきらめたようだ。入場料は30元と高額だが,ここの入場票は磁気カードになっており,さすが「中国国家級風景名勝区」である。裏面に「広告位」と広告を募集しているところが,いかにも最近の風潮だ。自動改札(といっても機械ごとに横に係員がいる))を通り抜けて中に入ると,またぞろサニ族の物売りがついてきた。「安いよ。お兄さん日本人でしょ」。無視していると「私言うこと聞こえないの。刺繍どう」とさらにしつこく来る。碧山老師がたまりかねて「刺繍,大嫌いだからいらない」と言うと「どうしてそんなこと言うの」と食い下がってくる。温厚な碧山師もたまりかね「うるさい」と一喝すると「あんたひどい人。日本人の馬鹿」などと延々と大声で罵りだしたのには閉口したが,それ以上近づいては来なかった。外国に行くとどうも日本人はこういった物売りのカモにされているので,その余波を被って非常に困る。連中はかなり値段をふっかけているので,買いたいのであればきちんと厭わず価格交渉をして,日本人はカモではないと思わせなければこういった手合いはなくならないだろう。

石林は石灰岩が雨で浸食されて奇岩となるカルスト。世界遺産に登録された。
望峰亭より。
小石林。石林の中にある。

さて,肝心の石林の方だが,いろいろ見て回ったがとかく岩場で高低差が大きく,重い荷物をしょって歩いていたのでかなりの負担だった。景色については拙い文で四の五の言うより,写真で見た方がいいだろう。

5時過ぎに駐車場に戻るとマイクロバスの数はかなり少なくなっていた。早くに来たバスは既に帰ってしまったのだろう。5時半近くになりおおよその乗客が戻ってきたが,エースのジョーの分などの空席があるので,また埋まるまで待機である。いつ出発できるかは全くの運だ。結局,最後に近いくらいに出発し,昨日の深夜バスといいついていない,と碧山師と相槌を打つ。帰路につくが,どうも我々の乗ったマイクロバスはしょっちゅう追い越されているようだ。エンジンの調子がよくないらしい。メロンの中西俊夫風の運転手は焦る風でもなく走らせているが,こちらは早く昆明に戻って宿の確保をしたいのだ。

行くときに通りかかった家鴨のドライブインを見ると,ぶら下がっている家鴨がこんがりといい飴色になっていた。碧山師とうまそうだ,と盛り上がる。バスの振動でうつらうつらしていると,バタンとドアが開く音で目が覚めた。自動小銃で武装した公安が入口にいる。乗り込んできた公安は,我々に荷物を開けて見せろ,と言ってきた。臨検である。碧山師がパスポートを取り出し,提示すると何も言わずに降りていった。車内で大きな荷物を持っていたのは我々だけだったので我々の所に来たのだろうが,外国人はノーチェックということは事前に知っていたので,無用なことをせずにすんで助かった。

昆明に到着する前にはすっかり暗くなっており,疲れた体で宿探しをする気力もなく,昆明火車站の北数百メートルにある2星級ホテル三叶飯店にチェックインした。昼は粗食であったし,ちょっとぱっとしない空気が続いているので,おいしいものでも食べようと出かけた。道路を挟んで向かいにある,昆明でも一,二を争う錦華大酒店の1階にあるレストランに入る。メニューがよくわからないので,英語のメニューを頼む。選んでいるとマネージャがギャルソンに「あれは外国人用のメニューだろう」と注意し,ギャルソンが「いえ,あの人たち外国人みたいなんです」と答えているようで,なにかおかしかった。マネージャは「ああそうなの」の笑っていた。もっとも服装は汚く支那人風の風体だったので,間違えられても仕方がなかったが。近くのテーブルには日本人ビジネスマンらしき3人組もおり,店内にはKTV (カラオケ) ルームもしつらえてあるところから見ると,錦華大酒店は日本人ビジネスマンの常宿のようだ。

久しぶりに冷えたビールを飲みメニューを物色する。正直言って,連日の脂っこい料理に加え,昨夜の食べ過ぎであまり食欲は湧かなかった。そこで,腹やすめの意味から粥を注文することにした。鮑の粥である。値段は30元くらいでかなり値の張るものであるが,こういうときはけちけちしないほうがよい。他にもメニューから推察するにあっさりしたようなものを数品頼もうとするが,おきまりの「没有」でなかなか思うようにいかない。運ばれてきた鮑の粥は絶品で,味付けも上品。疲れた胃に優しく,いくらでも入りそうだった。これで食欲も増進し,さらにいろいろ注文することにした。なかでもおいしかったのが家鴨の舌の燻製で,舌がたくさん皿に山盛りになって出てくるので圧巻であった。歯触りはこりこりしており,軟骨部分を残して食べるが,軟骨の先端は柔らかいので食べることが出来る。かくして,満足感を覚えつつ宿に戻り,一日を終えた。