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[07-11-1995]琉球・台湾 #8‐那覇

 八重山逗留もいよいよ終わり,本島に行く。思えば本島だけでも内地からずいぶん遠いのに,さらに八重山となると,距離もさることながらのんびりした空気が外国に来たような気分になる。とにかく,本島に行っただけで琉球を実感するのは100パーセントとは言えないと思う。

 石垣空港から空路那覇に向かい,そのまま那覇市内へと行く。おめあては牧志公設市場だ。活気のある市場内はイラブー(海蛇)の干物やスクガラスの瓶詰め,ゴーヤ,海ブドウなどいろいろなものが所狭しと並べられ,肉売場では沖縄でよく食べられる豚足や顔の皮などが山積みにされている。魚売場に降り,伊勢海老やらアカマチやら,真っ青なイラブチャーの刺し身なぞを食べる。売ってるその場で醤油をつけて食べさせてくれるのだ。さらに2階の食堂に上がり,オリオンビールとともにテビチやミミガーなどいろいろ注文して食べるが,どれもおいしい。ただ,よくガイドブックなどで「階下の市場で買った魚や肉を上の食堂で料理してもらえる」とあるが,持ち込み手数料を取られるので注意したほうがよい。持ち込みにせず,そのまま普通に頼んだほうが安くつくようだ。ただ,市場の人と食堂の人が親しい場合などは,交渉次第で手数料なしで調理してくれることもある。

 さて,牧志のマルフクレコードをひやかしたり,なんだかんだと市場本通りで遊んでいたら,那覇空港での集合時間が迫ってきているのに気がついた。あわてて空港行きのバスに乗るが,国際通りから那覇バスターミナル,漫湖のあたりまで道路が混雑しており,思うように進まない。体は八重山リズムになっているので,まあ大丈夫だろうとのほほんと約束時間を20分程度過ぎて空港に到着すると,碧山老師とM氏がかなり焦っている様子で待ちもうけていた。当時は携帯電話は今ほど普及しておらず,連絡の取りようもなかったので,焦るのも無理はない。

 チェックインカウンターで搭乗券に引き換えてもらい,地方空港らしい狭い出国審査場(当時)で出国手続をとる。台湾人の旅行者が多いようだ。出国時にはらう施設利用料は無料で,手続も早い。やたら高い成田空港や関西空港で行列を作って出国するのがバカらしくなってくる。機内も台湾人のツアー客が多く,日本人と台湾人の割合は6:4ないしは7:3くらいではなかったかとおもう。さて,軍民共用の那覇空港を離陸,急角度で上昇して窓の外にはコバルトブルーの海が見えてきたところで,急にエンジン音が止まった。しずかに機体が降下していくのがわかる。一瞬,これはダメかもなと思ったところで,エンジンが息を吹き返し,事なきを得た。

[06-11-1995]琉球・台湾 #7‐西表島(船浮)

朝から前日断念した西表島に向かう。しかし,船浦港行きの高速船は悪天候のせいかガラガラ。スピードを上げる船に雨が激しくたたきつける。調子よく進んでいた船が急に速度を緩め,ほとんど停船しそうになる。不審に思い,乗務員の様子を見ていると,港への進入路を見失ったらしい。しばらくあたりをうかがったのち,進入路を見つけたらしく,ふたたび速度をあげる。

船浦につくと土砂降りで,ちょうど白浜港行きのバスがあるのでそれに乗車する。ここでも乗客はほとんどいない。途中,崖から道路に向かって雨水が大量に流れ落ちている個所があり,運転手氏は「これ見ればマリウドの滝に行かなくても十分だ」と笑いながらそこを避けて走行した。30分ほど乗車して白浜港に到着。今回の西表島訪問の目的は,陸の孤島・船浮部落に行くことだ。船浮部落は西表の外周道路が海とジャングルにはばまれて未開通なため,白浜‐船浮間1日数往復の船でしか訪れることができず,時間に余裕がないとなかなか訪れにくいところだ。普通に西表島観光に行くなら浦内川探勝や星砂の浜に行くのだが,今回は船浮部落一点張りである。

当初の計画では船浮で一泊する予定だったのだが,宿が取れず日帰りに変更した。しかし,この時期の船はオフシーズンダイヤで運航されていて,帰りの便が石垣に帰る船便に接続できない。ままよ,と思って船着き場に行くと,妙に人数がいる。乗船客に話を聞くと,どうやらその日は船浮の小学校で教育研修があり,彼らはそれに参加する教員で,研修の帰りに傭船を使うとのこと。船長に頼み,帰りの傭船に便乗させてもらうことにして船に乗った。実に運が良かった。しかし,船長の「まさかオウムじゃないだろうね(笑)」という一言にはやや頭に来たのも事実である[★]。

船浮湾は複雑な入り江になっており,海岸線にはマングローブとおぼしき密林が迫っている。確かにこれでは道路工事は難しかろう。雨も上がり,波もほとんどたっていない中,15人ほどで満員になる小舟はするすると進む。静かな船浮湾は,かつて軍艦の避難所でもあったようだ。船浮に到着すると,教員たちは小学校に向かい,船長は郵便物を部落内に配達にまわる。船浮の部落は小さく,売店などもないので,とりあえずふらふら部落内を散歩すればもう行くところはない。教員がもどるまで,なにもないこの船浮でじっくり時間を過ごすことにする。

船浮全景
船浮全景。写真の奥から手前まで映っている範囲が部落の幅全部。奥行きは海と山に面しているのであまりない。写真の奥に見える建物は真珠の養殖所らしい。
部落内の様子
部落内の様子。すべてがこんな調子で当然ながら自動車は見当たらない。

激しく降っていた雨も上がり,御嶽などを散策していると,5歳くらいの子供が現れて話しかけてきた。「にぃにぃはどこから来たの?」「内地から」。いろいろ話をしていると,父親はうみんちゅ(海人=漁師)らしい。肩車をしてくれだの,児童集会所で本を読んでくれだの,人懐っこくというかなれなれしくしてきたが,こちらもなにぶんヒマなので,相手をしてやった。子供と別れて海岸でぼんやりしいていると,海上保安庁のボートがやってきた。聞くと巡視中だという。昼まで船を待つのもさすがに退屈なので,白浜港まで便乗させてくれないかと頼むと,救命胴衣がないのでNGとのこと。結局,件の教員が戻るまで,小さな部落でほとんどなにもせずに時間を過ごした。

白浜港にもどり,教員たちはレンタルのマイクロバスに乗るということで別れ,路線バスでふたたび船浦まで行く。石垣行きの船が来るまで時間が余ったので,ヒナイ川の河口付近を散策する。このあたりも湿地帯にマングローブの林が見られ,亜熱帯風情が味わえる。到着した高速船ぶ乗って,ふたたび石垣島へ帰還し,宿に戻る。

★「まさかオウムじゃ」:当時,指名手配されたオウム真理教の信者が石垣島に逃亡しているとの報道があった。人の出入りのほとんどないところにぶらぶらしている若い者が現れたので,このような発言につながったのだろう。

[05-11-1995]琉球・台湾 #6‐与那国島

 再び「どなん」の工場に行く。もちろん出来たばかりの泡盛が目当てだ。飲ませてもらい,60度の泡盛を購入する。宿に戻り,空港まで送ってもらうように依頼する。午後便を予約していたのだが,午前便に計画を変更したため早い目に空港に行ってフライトを変更してもらうためだ。車中,石垣で山羊汁を食べた旨の話をすると「へえ,山羊汁を食べたんですか。山羊汁を」と何度も意外そうに言われた。与那国の人は意外と山羊汁を食べないのかもしれない。

 空港に到着したが,まだカウンタも開いていなかった。空港といっても規模も小さくまったくのんびりしたところで,空港職員もそれらしからぬ雰囲気である。手続が始まったので便の変更を申し出ると,座席に余裕があるとのことで簡単に変更できた。座席表を見ながら希望の座席を指定し,その位置にあるシールを職員が搭乗券に貼る,というまるで20年前にもどったかのような予約手続であった。中の待合室でテレビを見ていると,沖縄県の広報番組が始まった。これも話題は沖縄県民の反米反基地総決起集会の模様であったが,およそ自治体の広報番組らしからぬポリティカルなものだった。制服の女子学生や当時の太田沖縄県知事,産業界からも代表が出て,政治的な立場を超越しておのおの「反米・反基地」を訴えていた。

 「与那国島の天候が不順のため,上空で旋回したまま着陸が遅れている。下手をすると石垣に引き返してしまうかもしれない」とのアナウンスが流れ,待合室がどよめいた。ここで遅れてしまうと後々の予定が大幅に狂ってしまう。不安が走るが,ままよと座っていると着陸するとのアナウンスがあり安堵が広がる。搭乗手続が開始され,雨の中YS-11型機に向かう。待合室からは徒歩連絡なので,南西航空のマークが書かれた傘を差して歩いていく。

 フェリーと違い,石垣空港まではわずかな時間で到着した。空港からはふたたび離島桟橋までもどり,小浜島行きの高速船に乗船する。本来は西表島に渡って宿泊する計画だったのだが,宿が取れず午後の時間を小浜島観光に充てることにした。小浜島はヤマハ(※)のリゾート施設「はいむるぶし」があるが,あまり興味を引かれない。ダイビングをする人であればマンタを目撃できる海域として知名度は高いと思う。
※ヤマハはリゾート事業から撤退し,はいむるぶしは三井不動産に売却された。

 雨が降り続く小浜島に上陸し,とりあえず御嶽めぐりをしていると,遠くで囃が聞こえてくる。狸囃子じゃなかろうかと思って音のする方向に歩くと,化粧をして派手な鳥のような衣装をつけた女の子がやってきたので訪ねると,お祭りらしい。そこで,場所を聞いて会場となっている御嶽にいくと,雨の中テントを張った下で,囃子に合わせて舞を踊っており,その前にはござの上に座った紋付き袴の男性たちがやんやと手拍子を送っている。よく見ると,彼らのかたわらには例の「どなん」の一升瓶がごろごろ転がっている。一方,女性たちは普段着で集会場とおぼしき小屋の軒下に座っている。いろいろな舞を舞ったり,芝居めいたことをしたり,どうやら南北ふたつの部落がたがいに芸能を奉納しているらしい。囃子は雅楽っぽいメロディに三線がからむものやら,三線メインのものやら種類がいろいろあり,なかなかおもしろい。

結願祭全景1
結願祭全景。紋付き袴の男性が舞台の正面にくる。桟敷には泡盛の瓶が転がる。雨天だからテントが張られているのかと思っていたが、毎年張られているようだ。

結願祭全景その2。
雅楽の装束のような極楽鳥の格好をして踊る舞。左手の黒い幕の後ろにお囃子がいる。

結願祭
集会所の軒下で祭を見物する女性たち。

結願祭の囃子方
囃子方。舞台の裏側にいる。

 ひとくさり祭を見物し,この祭はいったいどういうものですかとそばにいた人に訪ねると,「きちぃがんさー(結願祭)ですよ」とのこと。つまり収穫を喜び神様に感謝するお祭りである。竹富島の種子取祭が1週間違いで見られずに残念な思いをしていたが,偶然訪れた小浜島でなかなかよい拾い物をした。ネット上でも小浜島の結願祭についてはいろいろ書かれている。

方言の交通安全啓発看板
小浜島で見つけた交通安全啓発看板。「ヌフゥ アタラサスーカー グシヌミテ クルマ ムツゥナ」とは「命が惜しければ、酒飲んで車乗るな」の意。

 さて,石垣の宿に戻ると,なにやら周囲の通りが騒がしい。石垣市役所近くの新栄公園で「石垣島まつり」が行われていて,いろいろ盆踊りのようなものやら出店などもあるようだ。数日前,夜の商店街で女性たちが踊りの練習をしていたのはこれだったのか,と合点が行く。露店を冷やかしてみると,焼きそばやたこ焼き,お好み焼きといった定番にくわえ,ソーキそばやら古酒の販売といった郷土色のある店もあるので当然突撃だ。ソーキそばはソーキが大きく,しかも味がよい。本島で食べたものよりずっとおいしい。「飛龍」で覚えた古酒も10年ものと15年ものとが併売されており,呑み比べをさせてもらう。同じ泡盛でも5年の熟成のちがいで,かくも変わるのかと驚くほど15年ものはまろやかになっており,驚愕。宿に戻ってつまみ食べながら泡盛でも,と肴になるようなものを探していると,海亀のチャンプルーを発見。早速宿に持ち帰り,独特の食感と味を楽しみながら泡盛の杯を重ねた。

[04-11-1995]琉球・台湾 #5‐与那国島

朝,起きたら時刻はすでに9時をまわっていた。10時出航の与那国島行きのフェリーに乗る予定で,港も宿に近いこともあって余裕を持っていたら,いつのまにか時間ぎりぎりになってしまった。離島桟橋の売店でじゅーしー(かやくごはん)のおむすびと缶のお茶を買って,乗船券売り場まで行くと「急いでください。船がもう出ます」と言われた。与那国に行くフェリーの乗船場は離島桟橋とは若干場所が異なるので,脱兎のごとく船に向かうとすでにタラップは岸壁から離れていた。係員がタラップをたぐってくれ,それに文字通り飛び乗ってなんとか事なきを得たが,まさに間一髪だった。

乗船した福山海運の「フェリーよなくに」は週2便石垣‐与那国間を往復しており,所要4時間。当時は日本トランスオーシャン航空のYS-11のフライトが1日2便あったので,便数が少ない上に時間のかかるフェリーに乗船する人間は少ないと思われたが,案外乗船客がいた。石垣周辺の珊瑚礁にある西表島や黒島などへ高速船で行くのとは異なり,外海に出るのでやはり船も揺れ,珍しく気分が悪くなりかけた。

余談ではあるが,この「フェリーよなくに」で与那国路線を運営する福山海運には,なかなかおもしろい体験をさせてもらった。旅行の計画を立案中,離島航路についてはドック入りなどの予定を確認する必要があり,利用すると思われる各海運会社に電話で運行予定を問い合わせた。有村産業などは沖縄の本社と内地の営業所の言っていることが正反対だったりとありがちな(?)応対だったが,ここ福山海運は想像を遙かに超える応対だった。

筆者「11月上旬頃,ドック入りの予定はありますか」
福山海運「うーん,ドック入りねえ。今のところなんとも言えないんですけど…。
まー,確かなことは言えないんですけどね,たぶんドック入りはないと感じとるんですわ」

ドック入りの有無を「感じる」?!。「社員個人の予知や感想ではなく会社としての予定はないのか」と思ったが,「わからないと答えるのもなんだし,今までの経験からおそらくこの時期にはドック入りはないだろう」と推察してあのような珍回答になったのだろうと好意的に解釈することにした。それにしても琉球ならではのてーげーぶりである。この後,友人間で「〜と感じとるんですわ」というフレーズがちょっとした流行となった。

曇天の中,与那国島に向かって船は進む。海の色がエメラルドグリーンから紺碧へと変化し,与那国島が石垣島周辺の諸島とは異なる様相を呈していることを想起させる。与那国島が次第に左舷に見えてくるが島の周囲は断崖で,確かにこれでは絶海の孤島となるのも想像に難くない。久部良港に入港するさいも,西崎の荒々しい断崖が目に飛び込んでくる。港に到着するといろいろな民宿の人間が名前を紙に書いて出迎えにきており,筆者も予約した宿の女将の車に乗り込んだ。与那国島の民宿は祖内・久部良の両部落に存在するが,大半は久部良から数キロ離れた祖内にある。島内にはバス路線もあるにはあるのだが,便数が極端に少なくほとんどあてにはできない。タクシーも台数がすくなく,距離の離れた部落間の移動には結構な金額になる。ということで,このように民宿に送迎してもらう必要がある。

宿に到着し,荷物をおろし島内観光に出かける。送迎の途中で見かけた泡盛の工場でも見学してやろうと,のこのこ敷地に入ってみる。「工場」といっても赤瓦のふつうの民家然としており,表の看板と泡盛の匂いがなければ気がつかないかもしれない。建物の中に入るとおばさんがいるので,見学させてくれというと,工場の中をくまなく案内してくれた。甘い米麹の香りがぷわあんと充満した工場で,蒸留機から出てきたばかりの泡盛を飲ませてもらう。これが非常に強いアルコール。聞けばアルコール度数は60度だという。しかし,たいへんに美味で一挙に虜となる。これが与那国島名産の花酒「どなん」である。「花酒」とは高いアルコール度数のため,水割りをすると白濁することから名付けられたらしい。で,販売しているのはアルコール度数60度・43度・28度の3種類。「60度以外は全部60度を水で割ってるだけ」とのことで,60度を買うのが賢明,と教えてもらった。この日はすでにおおかたの生産量を瓶詰めしたらしく,原酒はほとんどなかった。おばさん曰く「明日おいで。そうしたらもっといっぱい飲ませてあげるから」。ちなみにアルコール60度の泡盛は与那国島のみの生産で,「どなん」のほかに「よなぐに」「舞富名」の銘柄がある。

泡盛の蒸留釜
泡盛を蒸留している釜。手前の濁った液が蒸留前のもろみ。

レンタバイクを借り,島内を巡ることにする。まずは久部良バリ。悲惨な歴史をもった場所である。ところが,野生馬が一頭いたのでそいつをフレームに入れて久部良バリの写真を撮ろうとすると,尾籠な話ではあるが突如その牡馬の陰茎がにょきにょきと伸長し始めた。さすがにこれを被写体とはしたくないので撮影を断念した。観察していると,どうやらその馬は尿意を催したためそのような現象を兆したらしく,生理現象を処理するとたちまち萎縮してしまった。悲惨な場所であるにもかかわらず,筆者の記憶の中では久部良バリは永遠に馬の伸長した陰茎と放尿のイメージが優先するだろう。

次にティンダハナに行き,祖内の部落を一望する。比川の部落に行こうとすると,前方に高校生(中学生?)数人を荷台に乗せたトラックが走行していた。だいたい荷台に人を乗せて走行するのは道路交通法違反ではないか,と思いつつ近寄ってみるとタイムスリップしたような奇妙な感覚に襲われた。男女生徒とも風体が「Bebop High School」なのだ。男子生徒は単ランにボンタン,女子生徒は聖子ちゃんカットに長いスカート。後で聞いた話では,与那国島ではその3年ほど前から民放のテレビ放送が始まったらしく,それまではNHKと台湾の放送しか受信できなかったそうだ。おそらく情報が途絶しているのが原因で,1990年代半ばであっても1980年代のカルチャーが残存していたのであろうが,少なくともここ3年はダイレクトに情報が入ってきていたはずだし,雑誌などの媒体もあるはず。それとも柳田国男の方言蝸牛説のように,今頃1980年代文化が伝達されたのだろうか。かつて持ち込まれた文化が,他と隔絶されているがゆえに,独自の文化として熟成された,というわけでもなさそうである。いずれにせよ,情報とはなにかを考えるにはなかなかおもしろいケーススタディではある。

祖内部落とティンダハナ
祖内部落の高台から見たティンダハナ。険しい断崖だ。

結局比川へは行かず,途中の牧場などをみて祖内に戻り,進路を東にとって東崎(あがりざき)に向かう。雨が降り始めたので雨具を着用する。悪天候のせいか,東崎に着いても人の姿は見えず,野生馬が草をはんでいるだけだった。晴れていれば,断崖の下に見える紺碧の海と,青い空と,牧場の緑のコントラストが美しいのだろうが,あいにくの天候なので早々に引き上げ,踵を返し島の反対側にある西崎(いりざき)に向かう。祖内と久部良の間に位置する製糖工場のあたりで雨がやみ,与那国空港を右手に眺めつつ久部良港に到着。そこからさらに坂道を上り,西崎の展望台に至る。この坂道は自転車ではちとしんどいだろう。晴れた日には台湾が望めるという西崎だが,海・空ともに重々しく陰鬱な色合いで,南国らしからぬ風情だった。

東崎の遠景
小雨の中,人影のない東崎。燈台の周囲は牧草地で野生馬がいる。

バイクを返却し,いったん宿に戻る。夕食は外食をするつもりだったので,ひとまず部落内をうろうろするが,どこに飲食店があるのかよくわからない。おまけに見つけても,18時ごろだとまだ開店していないときている。そこでいったんスーパーに行って,店内を冷やかすことにした。離島ゆえか品揃えはあまりよくなく,ちょっと大きい売店のような感じだが,そこはさすがにスーパーなので客もぽちぽちいる。レジスタ係の女の子にこのあたりで夕食をとれるようなところはあるか,と訪ねると,さっきまだ閉まっていた店を教えてくれた。まだ開店していなかったが,と言うとわざわざその店に電話をかけてくれ,もう開いているそうです,と親切に教えてくれた。

夕食を済ませ,部落内を散歩がてらぶらついていたら,提灯を持った一団が太鼓を叩きながら近づいてきた。よく見るとなにやら派手なかぶりものを身にまとったりしている。どうやらお祭りらしく,部落中を練り歩いている。あとで民宿の人に聞いた話によると獅子舞の一種のようなものだそうだ。おそらくシッティ祭(節祭)だろう。散歩も適度に切り上げ,民宿に戻る。

テレビに台湾の放送が映ると聞いていたのでチャンネルを合わせると,ノイズが入るものの確かに映る。台湾では少数民族対策で画面に中文の字幕が入るので,だいたいの内容は漢字を読めばわかるのだ。バラエティ番組はどこか日本のそれと雰囲気が似ている。番組の途中で「日本からのゲストです」と紹介されていたのでだれかしらんと思えば,手品のナポレオンズであった(台湾でレギュラーをもっていたらしい)。それでもなかなかの歓待ぶりで,見ているこちらが当惑するほどである。途中のコマーシャルなどもなかなかおもしろく,台湾にできたそごうのCMが頻繁に流れていた。チャンネルを変えると,吹き替え+中文字幕でアニメの「一休さん」が放映されていた。バラエティが終わり人気ドラマと思われる番組が始まったので,日本の番組に切り替える。ちょうど映画が始まったところなので見ることにするが,これがまたつまらない。なぜ日本最西端の島でこんな映画を見なけりゃいけないんだ,と思いつつ最後まで見てしまった。その映画は『集団左遷』。いまだに与那国島のことを思い出すと『集団左遷』のことも思い出し,レンタル店で『集団左遷』のビデオを見かけると与那国島を思い出す。まったく罪な映画である。

[03-11-1995]琉球・台湾 #4‐波照間島・竹富島

朝,ホテルから離島桟橋に向かい,波照間島行きの乗船券を買う。波照間島は八重山諸島の中でも少し離れたところに位置し,高速船で50分ほどかかる。外海に出るので波も高い。高速船に乗り,波照間港につく。周囲には何もなく,各民宿の迎えのワゴン車が数台とまっている。彼らは宿泊予約客を乗せるだけでなく,日帰りの観光客の客引きも兼ねており,これ幸いとレンタサイクルを利用したい旨を述べ,ワゴン車に乗り込んだ。波照間島にはいくつか部落があるが,これらの部落はすべて島の中心の高台に点在するため港からは少し距離がある上,登坂しなければならず,歩いて部落に向かうとけっこう時間も体力も消費する。

民宿に到着し自転車を借りようとするが,あいにくすべて出払っているとのことで,別のレンタサイクルをしているところを教えてもらう。名石の部落をふらふらと歩いていると,赤い瓦に珊瑚を積んだ典型的な琉球の民家がそこかしこにあり,那覇や石垣の市街地では味わえない風情を感じた。じっさい,部落内であっても道は未舗装の箇所もあり,自動車はほとんど走らないのに加え,なにかのんびりした空気が漂っている。

自転車を借り,島の中を巡ることにする。前述の通り波照間島は部落が高台にあり,周辺部はさとうきび畑となっていて,道路は周縁を一周するものと,高台から放射状に周縁に向かうものしかないので,いたってわかりやすい。まずは部落から西に向かって坂を下り,波照間製糖の製糖工場が眼にはいると外周道路につきあたる。進路を西側に取ると牛の放牧と亀甲墓が見られた。さらに進むとさとうきび畑が現れてきたので,その中へ入ってみる。道が整備されていないので,自転車で進むのに苦労する。次に,高那海岸にある日本最南端の碑に向かう。ここでの「日本最南端」は「有人島での」という意味らしい。

波照間島のさとうきび畑
見渡す限りさとうきび。道路は未舗装なので自転車で走りにくい。波照間島には製糖工場があって、黒糖の生産もしている。
高那海岸その1
断崖絶壁の高那海岸。八重山には珍しく男性的で雄大な景色。
高那海岸その2
ときおり波が激しくぶつかる。外洋に面した海岸の荒々しさを感じる。

高那海岸を後にしてふたたび島の中心に向かおうとするが,やはり斜面を登っていくのは疲れた。途中,本土では見かけることのないような橙色の蝶を見かけ,休憩がてらその蝶を観察してみた。名石の部落に戻り自転車を返却し,ついでに波照間郵便局に立ち寄って,自宅に向け自分あてにはがきを出した。部落から港に向かい,波照間港から再び高速船で石垣に戻った。

名石部落の民家
昔ながらの建築様式を保つ名石部落の民家。本島ではあまり見かけなくなったが,八重山には比較的残っている。
クバ笠をかぶった老人
自転車を押してフクギ並木を歩く老人。頭にはクバ笠が。

石垣島に戻り,折り返し竹富島へ向かう。離島桟橋から竹富島へは所要時間10分で,高速船も30分ヘッドと頻繁に運転されている。竹富島は標高16m程度のひらべったい島で,その昔津波に呑まれ大惨事となったらしい。島は小さいので,自転車を借りずに徒歩で遊覧することにした。港から5分ほど歩いて部落に到着した。

石垣島にある古い様式の民家
昔ながらの民家。内と外との仕切りはガラス戸がなく雨戸だけなので,道路から中が丸見えの家も多い。

観光用の牛車には乗らず,民謡「安里屋ユンタ」で知られる安里屋クヤマ生誕地や西塘御嶽をふらふらと歩いて見てまわった。小さい島の小さい部落なので,歩いてもさほど時間はかからない。赤山丘から部落を一望できる展望台にのぼり,眺望を楽しんだ。

赤山丘の展望台から部落を一望
赤山丘の展望台から撮影。あいにくの曇天のため,ぱっとしない写真だが、なかなかの眺めである。このアングルからの写真はガイドブックなどさまざまなところでよく見かける。

あれこれ歩いているうちに空腹をおぼえてきたので,喫茶店に入り八重山そばを食べた。島の西側にはコンドイ浜という美しい浜辺があるので,店を出てふたたびそこまで歩くことにする。島の道は未舗装で,両脇にはハイビスカスの美しい花が咲いており,のんびりと雰囲気を味わいながら浜に到着した。あいにく曇天で全体的にくすんだ色合いであったが,やはり白い砂と碧い海の組み合わせは見る者を魅了するものがある。もう少し時期が早ければ遊泳できるのに残念だった。

部落に戻ると,井戸の周囲で老女たちがなにやら儀式めいたことをしているので話を聞くと「かつて生前にいつもこの井戸を使っていた人が亡くなっったのでその人を祀ると同時に, その人が世話になった井戸にもお礼を言うため」のお祈りらしい。その後港に戻り,高速船に乗った。ツアーの観光客などで高速船は思いのほか混雑していた。

井戸で儀式を執り行う老女
井戸を使っていた故人を祀ると同時に,その人が世話になった井戸にもお礼を言うとのこと(許可を得て撮影)。

石垣離島桟橋に到着し,その足で即,宿に戻った。ロビーのテレビでは沖縄のローカルニュースが流れていた。当時,駐留米軍の黒んぼがいたいけな少女を輪姦した事件があって,沖縄県民の反米・反基地感情が高まっていた折であり,ローカルニュースもその種の話題で持ちきりであった。翌日の天気を確認し,夕食をとるために夜の町に繰り出した。前日は比較的あっさりした郷土料理を食べたので,今日はディープなものを食べてやろうと「汁料理専門」と看板を掲げた割烹に入った。店は時間がまだ早かったせいか,客は自分1人で店の人間も心なしかやる気がないように思えた(註:1999年7月に石垣島を再度訪問したときは違う名前の看板が掛かっていた)。お目当ての山羊汁はフーチバー(蓬)の入った味噌仕立てで,思ったより癖がなくおいしかった。この後,内地の琉球料理店で山羊汁を食する機会があったのだが,そのときは味噌仕立てではなく澄まし汁のようなもので,これは若干肉の臭いが感じられた。食後は八重山ミンサー織りの物産店などを冷やかして宿に帰った。

[02-11-1995]琉球・台湾 #3‐久高島

早朝5時過ぎに那覇新港に到着。港で客待ちをする白タクを横目に,徒歩で安謝橋バス停に行く。安謝橋バス停からバスに乗り,国際通りに向かう。碧山老師とは5日後の那覇空港での再会を期して県庁北口で別れた。

県庁前からほどなく歩き,に乗ろうと那覇バスターミナルに到着する。馬天港を経由する与那原方面行きの市外線バスの発車まで時間があるので,途中のコンビニエンスストアで買っておいたおにぎりやお茶で軽く朝食を済まし,バスターミナルの中のコインロッカーに荷物を入れる。馬天港からは久高島に行く航路があり,今回はその久高島に行くことも旅の目的のひとつであった。

1時間ほどしてバスの発車時刻となり,40分ほどで馬天入口バス停に到着した。馬天港はそのすぐ近くにある。接岸できる桟橋があるだけの簡素な港で,久高海運のプレハブ小屋で乗船券を買い,高速艇が来るのを待つ。

さて,小型の高速艇「ニューくだか」が到着すると船員たちがまず生活物資などを積みおろしする。離島航路は島民の足だけでなく生活の命綱でもある。乗船し,高速艇が離岸して港を出るとかなり波が荒く,船体は大きく上下する。天気はよいのだが,前日からの時化が残っているらしい。地図で見ればわかるのだが久高島は外海にあり,意外と本島から距離もある。波頭を乗り越えていく小さい高速艇に若干不安を覚えつつも,髭とサングラスがまるでブルータスのような船長の余裕ある表情から,この程度の時化では大したこともないのだろうと思うことにした。30分程度で久高島の徳仁港に到着した。港にはおんぼろな船が碇泊していたが,碧山老師に聞いた話では,高速艇の就航前にメインでがんばっていた「新龍丸」という船らしく,所要時間も2倍ほどかるそうだ。

あまり有名ではない久高島を訪れる気になったのか,という話をすこししてみよう。最初に碧山老師からの「久高島という妙な島に行った」という旅行譚から,いろいろ聞いたり調べたりしたところ,「琉球の始祖,アマミキヨが降臨した島」で「歴代の琉球王朝の王も本島の御嶽(うたき)から久高島に向かって礼拝する行事を欠かさなかった」り,「島全体がノロと呼ばれる女性シャーマンを中心とする共同体の所有物である」など非常に興味深いことがらが多くわかったので,旅行のコースに加えたのだった。実際,徳仁港には「この島は全域にわたって神域ですので云々」との看板もある。

徳仁港からまず南に向かって歩き,すぐ海岸に出ると海鼠の多さに驚かされた。とにかく,波打ち際に無数の黒い海鼠がいる。数匹の海鼠を突っついたり,引っ張ったり,水からあげて触ってみたりして遊んでみるが,どうもこの海鼠というやつは身を固くする程度の抵抗しかしないのであまりいじめるのもかわいそうだと思い,適当に切り上げて島内散策をすることにした。

島はさほど大きくないので,3時間ぐらいあれば端まで行くことができると事前に碧山老師に教えてもらっていたので,島の最北端まで行くことにする。部落内は狭い路が入り組んでいるが,結局最後には1本にまとまるのでどの路をとってもかまわない。島人たちは外来者に対して警戒心を持つとまではいかないが,あまり友好的ではないようだ。ここで,島内の自動車にナンバーがないのに気がついた。つまり島全体が共有地であるので,「公道」というものがなく,自動車はすべて「私有地」を走行していることになるからではないかと思う。

11月というものの,南国ゆえ日差しはきつい。島内は神域らしくあちこちに御嶽とよばれる聖地がある。また,山羊が飼育されているのも数か所で見かけた。おそらくそのうち山羊汁になるのだろう。

久高島で飼育されている山羊たち
久高島で飼育されている山羊たち。山羊汁になるのだろうか。

部落を抜けると,道も未舗装で椰子蟹とおぼしき蟹の姿なども見かけられる。途中,村人と2~3回すれ違った以外は誰とも出会わない。クバ林(これも神域らしい)の中の1本道を歩くこと数10分,島の北端に到着する。もちろん,誰もいない。海鼠としばらく遊び,もと来た道を戻ることにした。

久高島のクバ林の中の一本道
久高島のクバ林の中の一本道。このような光景が2Kmほど続く。周囲は神域らしい。

徳仁港に戻り,高速艇が出る時間まで間があったので,ぶらぶらしてみる。この島の特産物はイラブー(海蛇)の黒焼きであるが(他にはスクガラスや鰹の塩辛など),この海蛇の漁業権はノロが独占していたそうだ。徳仁港のそばにもエラブ岩という海蛇の漁場があるのだが,今はイラブーの漁獲がどうなっているのかはわからない。ちなみに護岸工事などの徳仁港の改修工事を行った際,ノロが神様に「島の発展のためにおゆるしください」旨のお願いをしたそうだ。

徳仁港のエラブ岩
徳仁港の堤防から撮影。中央奥の方に見えるのがエラブ岩。港湾整備が行われる前は海蛇の漁獲地だった。

時間になり,出発した高速艇の乗船客のなかに小学校の先生と校長とおぼしき人物が乗っており,その教え子らしい子どもたちとなにやら会話を交わしていたが,方言のせいでまったく理解不能だった。馬天港に到着した後,バスで再び那覇バスターミナルに戻った。

ここで重大な忘れ物に気がついた。旅行の行程表を自宅に置き忘れたのだ。航空機や離島航路の時間を調べ上げて作成したものなのでこれなしでは旅行はかなり面倒になる。そこで,街角のコインファクスを利用して家人から行程表を送信してもらおうと目論むが,そういったサーヴィスを行うところがない。この後石垣島に向かう便に搭乗する予定なので,若干あせりつつ国際通りを歩いているとパレットくもじに琉球放送のラジオのサテライトオープンスタジオがあるのに気がついた。ラジオといえば聴取者からのファクスである。オンエア中にもかかわらず,ファクスを貸してくれと曲の間にお願いしたところ,生放送が後15分ほどで終了するからその時ならば,と快いお返事をいただいた。本番終了までに腹ごしらえを,とパレットくもじの中ではじめてソーキそばを食べ,琉球放送のスタッフへのお礼の品を調達したのち,スタジオのファクスを借りて無事,行程表を入手した。まったく人騒がせな話であるが,琉球放送のスタッフには改めてお礼をいいたい。

ようやく行程表を手に入れ,那覇バスターミナルにからバスに乗り,米軍関連施設を車窓に見ながら石垣行きの飛行機に乗るため那覇空港に向かう。当時,那覇空港の国内線は第1ターミナルと第2ターミナルとに別れており(1999年5月より新旅客ターミナルの供用が開始された),離島路線は主に第2ターミナルだった。そこで,バスを第1ターミナルで降りた後に無料の空港内リムジンで第2ターミナルに行くと,日本トランスオーシャン(JTA)の石垣行きは第1ターミナル発だった。リムジンを待つより歩こうと,徒歩で向かうが結構距離がある。やっとの思いで第1ターミナルに着き,チェックインを済ませた。

石垣空港に到着し,空港の公衆電話から当日の宿の予約を取る。いくつかの候補地のうち,空きがあった宿に決定。市街地に向かおうとするが,空港からの交通手段はタクシーしかないようだ。空港から1kmほど離れたところに路線バスのバス停があるので,そこまで歩くことにした。バス停でかなり時間をつぶし,バスで市街地に入る。予約したホテルは古いが繁華街の中にあり,離島桟橋,バスターミナルの双方から近いので便利そうだ。チェックインして荷物を置き,夕食を取りに外出する。ガイドブックなどによく掲載されている郷土料理の「磯」という店に行き,セットものを頼む。味は可もなく不可もなく,といったところ。食後,町をぶらついてみるが,八重山の中心ということもあり,規模は小さいものの,商店街などもありなかなかおもしろいところである。

[01-11-1995]琉球・台湾 #2‐那覇航路その2

 朝,目が覚め船内のカフェテリアで朝食をとり,船内をいろいろ散策してみる。後部デッキに出ると板張りで,リクライニングチェアなどがおいてあり,四方の海を見渡しながらゆったりと過ごすことができる。この日は天気もよく,青空の下で水平線を見ては地球の丸さを実感した。後部デッキには他にもいろいろと遊べるようになっており,ダイビングプールやサウナ,ジャグジーなどが設置されている。もっとも11月ということもあり,それらの施設を利用するには残念ながら少し季節がはずれていた。

板張りの甲板
板張りの甲板から太平洋を眺めると気持ちがよい。

 われわれは時間つぶしに船内にある「飛龍カントリークラブ」でゴルフに興ずることにした。ご大層な名前であるけどもスクリーンに向かってゴルフボールを打つだけのただのゴルフシミュレータだ。レセプションカウンタで申し込みをしたが,当然というかわれわれ以外の利用者はいないようだ。二人ともゴルフは全くの初心者で,目を覆いたくなるほどひどいスコアだった。周囲の人目がないので助かったものの,そうでなければ赤面ものだ。しかし,なんだかんだといいながらもそれなりに楽しく,レセプションで時間延長をしてもらい,さらにゴルフごっこに興じた。

 昼はカフェテリアであまりおいしくないリゾットを食べたが,いろいろな船旅行を経験している碧山老師によると,比較的よいほうらしい。碧山老師が言うには,中にはあらかじめ乗船時にプリペイドカードが手渡され,食事はそのプリペイドカードを使って自動販売機でインスタントものを購入させる船もあるということだ。確かにそれに比べれば格段によいことにはかわりない。昼食後には船内の売店でブルーシールのアイスキャンディーを買ってデザートに食べた。種類はペパーミントチョコなどの琉球ならではのアメリカ風であったが,われわれはウべのアイスキャンディーを選んだ。ウベとは「紫山イモ」として知られるもので,イモの中身が赤紫色をしているのである。このアイスキャンディーはこれを原料としており,まったりとした味が非常に美味しく,大変気に入った。

 何をするでもなくのんべんだらりと船上ライフを満喫して過ごしているうちに,海が時化てきた。白い波頭もたっており,船体も大きくローリングするなど,その荒れ具合は結構なものだった。船内を歩いてみると,みんな船酔いを起こして部屋でじっとしているようで乗客の姿はあまり見えなかった。そんな時化のなかでも,パワーのある船らしく,速度を落とすことなく宮崎県の都井岬沖を通り,大隅半島と種子島の間の大隅海峡を通過する。すでに夕方近くなってきており,屋久島の宮之浦岳に西日があたっていた。宮之浦岳は標高が2,000m近くあり,九州で一番高い山ということだ。

甲板からの眺め
甲板からの眺め

 夜になり,メインレストラン「セブンシーズダイニング」に行き,船上で知り合った某大学の学生君も交えて3人でディナーをとることにした。料理もそれなりでピアノの生演奏などもあり,雰囲気も上々であったが,ここでも船会社の思惑とは異なりゆっくりと食事をしようとする乗客の姿は少なかった。

 食後,キャプテンズ・バーに3人で赴き,酒でも飲もうと相成った。カウンターの中にはバーテンと日米の合いの子らしい女性が手持ちぶさたそうにおり,妙なところで異国情緒を感じさせた。最初,カクテルを飲もうと思っていたが,どうやら泡盛があるようなので「せっかく琉球に行くことだし」と泡盛の古酒 (クース) を頼んでみた。そのときまで恥ずかしながら,泡盛は土方が呷るようなアルコール度数の強い安酒で,焼酎のようににおいの強いものだと思っていた。しかし,甕から出されて琉球ガラスのグラスに注がれた古酒の香りにまず驚き,次に口に含んでみたときのそのまろやかさに一気に悩殺されてしまった。あまりアルコールを嗜まない碧山老師もこの泡盛には感服していたのが印象に残っている。このバーでの体験以降,泡盛は小生のアルコールライフの一翼を担うようになってしまった。ちなみにこのバーも雰囲気はよかったが,やはり利用する客はほとんどおらず,船会社の意気込みだけが空回りしているようで非常に残念だった。

[31-10-1995]琉球・台湾 #1‐那覇航路

今回の旅は小生と碧山老師,それにM氏の3人で弥次喜多を決め込んだが,行くことになっていた。台湾については3人ともが初めての訪問ということで全く問題はなかったのだが,琉球については小生は未訪問,他の2人が訪問済みでしかも2人の間で琉球に対する温度差があるような状況だった。そこで前半琉球部分の旅程は各自がばらばらに行動し,那覇空港で集合するという展開になった。かくして,小生と碧山老師は同時に船で琉球に向かい,M氏は集合の前日に航空機で那覇入りすることになった。なぜ,琉球と台湾の旅行がワンセットになっているのか? と疑問に思う向きもあろうかと思うが,地図を見ればわかるように両方とも距離的にも非常に接近しており,当初,大阪~那覇~石垣~高雄(もしくは基隆)の有村産業の国際航路を利用して旅行をしようと考えていたからだ。

ということで,碧山老師と2人でまず琉球に向かうことにした。市営地下鉄とニュートラムを乗り継いでフェリーターミナル駅で下車する。長距離フェリーはここから発着するものの他,駅から2kmほど離れたかもめ埠頭で発着するものとがある。われわれが乗船しようとしていた『飛龍』はかもめ埠頭から深夜に出航するのでそこまで行く必要があったのだが,いかんせん距離があり,また深夜の港は非常に治安が悪く徒歩では行けない。他の手段としては,1.連絡バス(無料)に乗る,2.市営バスに乗る,3.タクシーに乗る——の3つがある。ベストは連絡バスだが本数が少ない。市営バスも時間が限られている。碧山老師の下調べにより最終の連絡バスの時間がわかったので,われわれはそれを利用することにした。連絡バスが来るまで時間があったので,フェリーターミナルで時間をつぶす。連絡バスに乗りかもめ埠頭に向かうが,広報がなされていないせいか乗客は少ない。車窓からの風景は人っ子一人いず,倉庫が建ち並び大型トレーラーが大量に路上駐車してある典型的な港湾地区で,到底徒歩ではたどり着けそうにない雰囲気だ。かもめ埠頭の窓口で予約票を乗船券に交換してもらう。時間がかなりたち,どこからともなく乗船客が三々五々集まってくる。なにせ連絡バスに時間を合わせたので,出航時間までかなり間があり,さらに四方山話をしながら時間をつぶす。

やっと乗船時間になって,乗船客がぞろぞろと動き出した。「飛龍」は当時まだ新造船であり,設備もそれなりに充実していた。エントランスホールに入ると,制服を着た女性船員が一列に出迎えてくれた。この船の等級は下から順に,インサイドキャビン(2等船室)・アウトサイドキャビン(1等船室)・スイートキャビン(特等船室)となっており,それぞれ2段ベッドの定員6名と定員4名,スイートは定員2名である。スイート以外は基本的に相部屋となるが,フェリーによくある汚いカーペットの上での雑魚寝がないので2等であっても快適であろう。

われわれは豪勢に行こうということで,それぞれスイートキャビンを予約した。2名定員の船室に1名で宿泊すると料金は2名分払うのが普通であるが,この「飛龍」は1人で泊まっても1名分の料金でよいので,われわれは別々の部屋に泊まることにした。当時,大阪~那覇間の料金はインサイドキャビンで15,450円,アウトサイドキャビンで25,750~30,900円(これは4名定員に何人で利用するかによって変わる),スイートキャビンが38,620円である。まあはっきり言って航空機を利用したほうが遙かに早いし,早期割引を利用すればさらに安くなるのであるが,旅行は旅程そのものを楽しむ道楽でもあるので,のんびり豪勢に楽しむ手段を選択した。ちなみに「飛龍」ではスイートキャビンの利用者しかルームキーが渡されない。

「飛龍」のスイートキャビン
ビジネスホテルの部屋より広い「飛龍」のスイートキャビン。手前にダブルベッド、手前左側にバスルームがある。テレビの下は冷蔵庫。

日付が変わった後にやや予定時刻より遅れて出航になり,離岸した。どの客も出航の様子を見ようとデッキに出ている。客層は学生や年輩者が大半で,われわれのような酔狂がいないとスイートなぞ利用する者はほとんどいないだろう。船内に神式の結婚式場を設けたりしているところから,船会社としては新婚旅行にスイートを使ってもらおうとのもくろみがあったのかもしれない。部屋に戻りつまみを食べながら持ち込んだビールを飲み,碧山老師と那覇到着以降の予定などを話し,それぞれの部屋に分かれて寝た。

ホーチミンシティ市内での路線バスの乗り方 ‐ ベトナム旅行番外編

サイゴン(ホーチミン)旅行では時間に余裕があるので市内の移動には路線バスを活用した。タクシーは初乗り10,000VNDくらいからだが,路線バスは基本的に5,000VND均一で本数も多いし,タクシーのようにぼったくられる心配もない。路線バスは経路が複雑でバス停の位置もわかりにくいので乗りこなすのが難しそうに見えるが,バスの運行システムがIT化されているようで文明の利器を活用すればさほどハードルは低くない。

1.現在地と目的地を結ぶ路線を把握する

 (a) バス系統図を見る

ツーリストインフォメーションセンターで無償配布されている「ホーチミン市トラベルマップ」の裏面には市バスマップが掲載されているので,それを見ておおよその現在地から目的地を通る系統を探す。ただし,系統図なので地図が抽象化されており,地図を読むのが苦手な人には難しいかもしれない。ターミナルや観光スポットには日本語表記が添えられているが,通りの名前などはベトナム語表記である点にも注意。

 (b) ウェブサービスを利用する

交通局が運営する「BusMap」で出発地と目的地を指定すると,適当な路線をナビゲートしてくれ,出発地バス停でのおおよその待ち時間も表示される。

BusMapのナビゲーション画面
BusMapのナビゲーション画面。9月23日公園からハイバーチュン通りまで行く場合の経路案内。19番バスの経路と途中のバス停がプロットされている。

また,GoogleMapでバス停のアイコンをクリックすると,そのバス停に停車するバスの系統番号と行き先,運転間隔が表示されるので便利だ。これも現在地近辺のバス停と,目的地近辺のバス停で見当をつけて調べればどの系統に乗ればよいかがわかる。通りの名前などはベトナム語表記。

GoogleMap
GoogleMapでバス停をクリックすると,経由する系統とその運転間隔が表示されるので便利。

 (c) スマートフォンアプリを利用する

「BusMap」のスマートフォンアプリがiOS,Android,WindowsPhone向けに提供されている。これが一番手っ取り早いかもしれない。

2.バス停に行く

BusMapかGoogleMapで位置をつかめばほぼ正確。ただし,1つのバス停でも系統別に乗り場が分かれていることがあるので注意する。一例を挙げると,「ハムギー通り」バス停は東行きが6つ,西行きが5つバス停があるので,GoogleMapで自分が乗りたい系統のバスがどのバス停に停まるか確認し,また現地でバス停の表記を確認しないと,目の前をバスが次々と通過する羽目になる。

3.乗車して運賃を払う

バスには行き先と系統番号が前面に掲示されている。行き先はベトナム語だが,系統番号さえわかれば問題はない。乗車後,運転手か車掌に5,000VDN払うと領収書代わりの切符が手渡される。ガイドブックでは「大きい荷物がある場合,割増運賃を請求される」とあったが,機内持ち込み可能サイズの荷物しかなかったので追加料金を請求されることはなかった。降りるときは押しボタンを押す。乗車時にどこで降りるのか訊かれて目的のバス停に停まったら乗務員が声をかけてくれることもある。

なお,タンソンニャット国際空港‐市内を結ぶ路線バスは,125番系統が5,000VDN,49番系統は40,000VDNと運賃が異なる。前者は通常の路線バスだが,後者は空港利用者向けで停車する停留所が限定されている。

49番バスの路線図
タンソンニャット国際空港から市内へ向かう49番バスの路線図。市民劇場へ行くならNo.5で下車する。

[XX-08-2017]ベトナム(ホーチミンシティ)#4

※ 21-11-2017 更新
早朝,枕元のスマートフォンが鳴り,目が覚める。Uberで予約したタクシーの運転手からの電話だ。ベトナム語で話をされてもちんぷんかんぷんなので,英語で聞いてみるがらちがあかない。枕元でセットした目覚まし時計が鳴らなかったらしく,時刻を見るとすでに6時。昨夜の内に出発の準備をしておいてよかった。豪華な朝食に後ろ髪を引かれながら急いでチェックアウトし,Uberのアプリをみると,ホテルの近くに来ているらしい。また運転手から電話がかかってきたが,やはりベトナム語しか話せないようで,困っているとそばにいたドアマンが心配そうにくるので代わってもらった。どうも車をつける場所を訊いているようだ。

Uberのアプリには概算で料金が出るので,昨夜調べたときにはカード払いでは2万ドンいかないくらいだったが,キャッシュを使い切るため現金払いにしたせいかその表示がない。念のためドアマンにタンソンニャット国際空港までのタクシー料金を聞いてみるとだいたい最大で20万ドンくらいだろうとのこと。15万〜20万ドンくらいという各種情報ともおおむね一致するのでそれを基準にする。

やっとタクシーがホテルの車寄せに到着し,それに乗り込む。空港までは車やバイクの交通量は多いものの順調に流れており,渋滞に遭うこともなくほぼ時間通りに国際線ターミナルに到着した。

料金は20万ドンだと運転手が言うので,ちょっと高めだが早朝だし,相場の範囲でもあるしちょうどキャッシュもきれいになくなるのでそのまま言い値で支払う。数分後,Uberから領収書がアプリに送られてきたので見ると,15,000ドンになっている。あの運転手は差額を丸儲けしたわけだ。即座にアプリからUberにクレームを入れると,お詫びとともに5万ドン分のクーポンが送られてきたが,もらったところで使い道がない。Uberでは現金払いはやめたほうがいい。

航空会社のカウンターに行くとすでに長蛇の列。事前にwebチェックインをしているが,サイゴンでの作業なのでプリントアウトをしておらず,キオスク端末もないので列に並ぶ必要があるかと思って職員に訊くと,それならこちらでと優先的に別のカウンターで搭乗手続きをしてくれた。

第一関門をスキップできたものの,出国審査がまた大行列。これを越えるとつぎに保安審査で行列。係員に荷物を開けろと指示され,中身を見せると羽田の免税店で買った土産物を見つけられ品名を訊かれたので答えるとオーケーとのこと。

保安区域内はちらほらと免税店がある程度で,やや大きめの地方空港といった趣。起きてから何も食べておらず空腹なのでラウンジに入って休憩がてら朝食にフォーを食べ,ビールを呑む。飛行機に搭乗後は酒を呑んで機内食をつまみ,仮眠して過ごす。到着した成田空港ではさっくりと入国審査と税関を通過。ラウンジでビールを呑み,時刻表をあれこれ見ながら都心に戻るアクセス手段を検討,結局JRに乗って帰った。

タンソンニャット国際空港のオーチャードラウンジ
タンソンニャット国際空港のオーチャードラウンジ。メインの通路からエレベーターで1フロア分降りるが,アクセスが少しわかりにくい。

※この項,更新予定あり。