webmaster のすべての投稿

ウェブ版iCloudのカレンダーに祝日を表示させる方法の覚書

Macのカレンダー.appで「日本の祝日」を照会する設定にしていれば,同期してiOSデバイスのスケジューラでも祝日が表示される。ところが,ウェブブラウザでicloud.comにログインして,ウェブアプリのカレンダーを見る際,祝日が表示されないのでいささか不便に感じていた。

調べてみると以前からウェブ版iCloudはこういう仕様のようで対処方法が見つかった。いずれも記述が若干古いので,2019年現在の手順をメモ。

1.日本の祝日のicsデータを入手

以下のリンク先からMacにicsファイルをダウンロードする。
http://ical.mac.com/ical/Japanese32Holidays.ics

2.カレンダー.appに祝日データを読み込む

カレンダー.appを起動し,[ファイル]‐[新規カレンダー]から「iCloud」を選択。古いユーザだと「iCloud」ではなく「MobileMe」になっているかもしれない。

カレンダー一覧に新規カレンダー「名称未設定」が表示されるので,適宜「祝日」などとリネームし,その新規カレンダーを選択したまま,[ファイル]‐[読み込む…]からダウンロードした「Japanese32Holidays.ics」を読み込む。

3.最後に

このままだとカレンダー.appに読み込んだ祝日と既存の「日本の祝日」が重複して表示されるので,新しく読み込んだほうの祝日カレンダーのチェックを外しておく。iOSデバイスでも同様。また,カレンダーの色を祝日らしい色に変えておくと見やすい。

なお,このicsを利用した祝日カレンダーには2019年4月末から5月初頭にかけての天皇陛下即位に関連した祝日が含まれていなかったので,今後もときおり設定されている祝日を確認したほうがよいように思われる。

文楽鑑賞メモ

  • 通し狂言 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)三段目・妹山背山の段 四段目・杉酒屋の段/道行恋苧環/鱶七上使の段/姫戻りの段/金殿の段
  • 国立劇場五十周年 寿式三番叟,一谷嫰軍記(いちのたにふたばぐんき)三段目 弥陀六内の段/脇ヶ浜宝引の段/熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
  • 七世竹本住大夫引退公演 増補忠臣蔵,恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)[引退狂言]沓掛村の段/坂の下の段,卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)平太郎住家より木遣り音頭の段
  • 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)道行恋苧環/鱶七上使の段/姫戻りの段/金殿の段
  • 傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)十郎兵衛住家の段,冥途の飛脚(めいどのひきゃく)淡路町の段/封印切の段/道行相合かご
  • 傾城反魂香(けいせいはんごんこう)土佐将監閑居の段,艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)酒屋の段,壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)阿古屋琴責の段
  • 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)椎の木の段/小金吾討死の段/すしやの段,五十年忌歌念仏(ごじゅうねんきうたねぶつ)笠物狂の段,菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺入りの段/寺子屋の段,日本振袖始(にっぽんふりそではじめ)大蛇退治の段
  • 曾根崎心中(そねざきしんじゅう)生玉社前の段/天満屋の段/天神森の段
  • 日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)渡し場の段,舌切り雀

フランスAntenne2のニュース(1987-1991)のメモ

フランスのテレビニュースは,TF1,France2とも昼のニュースjournal de 13 heures(JT13H*)が13時に,夜のメインニュースjournal de 20 heures(JT20H*)が20時にそれぞれオンエアされる。朝は情報番組のなかで30分おきに数回,深夜は24時ごろにそれぞれ短いニュースがオンエアされる。

*JT:Journal télévisé,つまりテレビニュース。

ちなみに,イギリス・BBCは昼のニュースが13時,夜のメインニュースは21時放送となっている。

France2はフランス政府100%出資のFrance Télévisionsが運営するテレビ子会社で,かつての局名はAntenne2(A2,アンテンヌ2)だったが1992年に組織改編される際に名称も改められた。ここではA2の1987年から1991年ごろまでのニュース番組についてつらつら書いてみる。

前史

1970年代後半から1980年代前半にかけてPatrick POIVRE D’ARVOR(PPDA)がA2のJT20Hを担当していた。フランソワ・ミッテラン政権下でTF1が民営化された1987年,PPDAはA2からTF1へと移籍し,20Hを担当するようになった。

PPDA担当時のJT20H。サイケなアニメーションのオープニング。
ちなみに,PPDAは後年A2やTF1のニュース番組のアンカーだったClaire CHAZALと関係を持ち,2人の間には私生児がいると話題になった。

1987-1989

A2はTF1に対抗すべく,Henri SANNIERを20Hの担当に据え,ニュース番組のスタジオセットとオープニングを統一感のある斬新なものに一新。なお,13HはWilliam LEYMERGIEとPatricia CHARNELETのコンビが続投している。

1987-1989 メディアアーティストのDavid NILESが手掛けたオープニングはすべてのニュース番組で共通。サブリミナル映像が含まれると指摘されたバージョン。CGをDavid NilesがYouTubeにアップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=zGIFKzZYKUo)。

1988年,「オープニングCGにおいて,A2ロゴの“2”の部分にミッテラン大統領の顔が1コマ映り込むサブリミナル効果が施されている」と報じられ,大問題となる。これを受け,ロゴの表面を平滑化する処理をほどこしたCGに差し替えられた。

この間,テロップシステムの更新や,20Hの担当がChristine OCKRENTとHervé CLAUDEが週替わりの二頭体制になるなどの変化がみられている。なお,アンカーの詳細はListe des présentateurs du Journal de 20 heures de France 2Liste des présentateurs du Journal de 13 heures de France 2を参照。

ロゴのCGが修正された後のオープニング。テロップシステムも更新されている。担当はPhilippe LEFAIT。

1989-1991

音楽はそのままでオープニングCGをリニューアルするとともにスタジオセットも改修。リニューアル後,すぐに“le journal”の筆記体ロゴが白く縁取られる手直しが入る。理由は不明だが,視認性の向上ではないかと推察。

こちらはChristine OCKRENTが担当している20Hの映像。手直し前のロゴは,深夜のフラッシュニュースの動画https://www.youtube.com/watch?v=XBfmvZUGCf4でみることができる。

その他

Henri SANNIER担当番組での演出

1987年のリニューアル以降,番組冒頭に立ってポケットに手を入れたHenri SANNIERがコメントしてからオープニングが始まるなど,彼の担当番組を中心に演出面でも新規性を打ち出した。もっとも,日本のニュース番組のように,BGMに派手な音楽を流したりするわけではなく,スタジオの照明やカメラワーク,合成背景のデザインなどに工夫がみられた。

1990年にHenri SANNIERは13Hの担当となり,またしても冒頭はセットに立ったまま株価や天気を紹介,ニュースを伝える際はブルーバックの背景にセットを合成するなどの演出を施した。こういったこじゃれた演出は1991年ごろには行われなくなった。

05:30くらいから13Hと似た感じの演出の深夜ニュース。

エンディングあれこれ

タイトル音楽が鳴り続け,終了しないのでデスクの下に隠れるHervé CLAUDE。現地のNG特集のような番組でも取り上げられていたこの映像は,INA(Institut national de l’audiovisuel,フランス国立視聴覚研究所)がアップロードしており,こんなものまで収集・公開するフランスのセンスは好きだ。

新年の放送(1er janvier 1988)でシャンパンで乾杯するPatricia CHARNELET。アンカーが酒を呑むニュース番組もそうそうなかろうかと。そういえば,『ニュースステーション』の最終回で久米宏がビールを呑んでいたのを思い出す。

現地で見つけたいろんなもの ‐ マカオ・香港旅行番外編

マカオと香港で見つけたもの点描。
※13-11-2018,05-12-2018更新。

澳門(マカオ)

ポルトガル文化が色濃いとはいえ,やはり中華文化圏。いろいろ面白い。

a.懐かしの「デイリー・クイーン」

デイリークイーン

2000年代前半に日本から撤退したデイリークイーンを大三巴街で発見。昔懐かしいチョコレート・ディップのソフトクリームを食べてみたかったが,おなかが一杯で店の外から眺めるだけ。

b.街のそこここで見かける乾物店

医食同源や漢方薬というキイワードで健康志向の消費者に訴えるレストランが日本にも多く存在するが,本場らしく薬効のありそうな乾物店をそこここで見かけた。

目につくのは高級食材でもある鮑や海鼠,鱶鰭を扱う店で,店頭には食品サンプルが並べられていることが多い。漢方薬でもある冬虫夏草の食品サンプルは,まるで映画『裸のランチ』に出てくるブラックミートのようで実物よりなにやら不気味に見える。

干物屋
鱶鰭や帆立だけでなく干鱈のような魚の干物がぶら下がっている。
鮑や海鼠,冬虫夏草まで扱う乾物屋。大量のムカデかワームがいるような看板で一瞬ぎょっとする。
漢方薬店の店頭にあったマカの宣伝。5人も土人を並べなくてもいいと思うのだが。ガラスの後ろに見えるのはフカヒレの模型。

最後の写真は漢方薬店のショウケースに貼られていたもの。ペニスケースをつけた土人の写真が笑える。説明によると「マカは安第斯(アンデス)山の神が人類に与えた宝物だ。秘魯(ペルー)のアンデス山脈にある,下界と隔絶された海抜4,000メートルのジャングルに住む印第安(インディオ)の特拉多(Tellado)部落では瑪咖(マカ)を長期摂取しているから,男子の陰茎が16〜18cmと巨大である。ちなみに“Tellado”とは現地語で巨大の意」とのことで,要は「マカを服用するとジャングルの土人みたいに陰茎が巨大になるよ」ということらしい。

c.魔除けの石敢當

琉球ではあちこちの丁字路の突き当たりに魔除けとして石敢當をよく見かけるが,それ以外ではじめてお目にかかった。

賣草地街の石敢當
賣草地街で見つけた(泰山)石敢當。上部からぶら下がっている蝙蝠は幸運の象徴とされている縁起物。

香港

a.堂泰海鮮菜館

寧波街の「堂泰海鮮菜館」で夕食をとった際,食べた鳩のロースト。手羽かモモが出るかと思っていたらまさかの丸ごとでちょっと驚いた。味は野性味があり,まあこんなものかという印象。

鳩のロースト
姿そのままの鳩のロースト。場所柄,鳥インフルエンザは大丈夫なのかと一瞬思ったが,これだけ加熱調理してあれば問題なかろうと思い直した。それにしても盛りつけが素っ気ない。

海鮮料理店なので,メニューには貝類や魚料理が目についた。

海鮮料理店だけあって,生きた魚介類をその場で選んで調理してもらえる。ワタリガニや海老,馬刀貝(マテガイ)も見える。
海鮮料理店だけあって,生きた魚介類をその場で選んで調理してもらえる。ワタリガニや海老,馬刀貝(マテガイ)も見える。

b.妙な日本語の広告

深水埗站(シャムスイポー駅)近くの鴨寮街を散策しているとき,露店で妙な日本語の広告を見かけた。ぱっと見た感じは普通の日本語だが,「夫人ヴィットマン」や「日本政府は,指定」などよく読むとおかしく,意味がよく分からない。

妙な日本語の広告
どうやら洗剤の広告らしい。そもそも「油の手袋に」「100%除油」というのも意味不明。

[XX-03-2015]マカオ・香港 #3

※ 24-08-2018,26-08-2018,05-11-2018一部更新。

朝,ホテルを出て,港鐵(MTR)で尖沙咀から中環に移動し散策。B級グルメ街でもあるらしい威霊頓(ウェリントン)街を歩き,おいしそうな店構えの華豐燒臘で早晨套餐(モーニングメニュー)を頼む。

威霊頓街
雑貨店や薬局,書店,飲食店などが軒を連ねる威霊頓街
華豐燒臘の店頭
いかにもおいしそうな店構えの華豐燒臘で朝食を取った。

メニューには,炒麵と粥の「中式早餐」,ソーセージ,ハムとオムレツなどの「西式早餐」,サンドウィッチなどの「港式早餐」のほかに,マカロニや汁そば,さらに菠蘿包pineapple bun)セットなどバラエティ豊かで,値段も30香港ドル前後とお手ごろだ。汁そばの出汁がときおり食べる香港料理店のそれとそっくりで,あの店はかなり本場の味付けなんだなと認識。食後,街角でもらった免費報紙(無料の新聞)の『頭條日報(Head Line Daily)』を読みつつ珈琲を飲んでちょっと休憩。

嘉咸街
香港最古の路上市場のひとつ,嘉咸街(グラハムストリート)。
香港上海滙豐銀行
香港上海滙豐銀行(HSBC)のピロティ

食後ぶらぶら散歩して金融街を眺めた後,九龍塘站にMTRで移動。ショッピングセンター「又一城(Festival Walk)」にあるアップルストアに立ち寄ってみるものの,以前のような極端な円高ではないのでiPhoneはじめ商品の価格は日本とさほど変わらない。スーパーマーケットに立ち寄り土産になりそうな菓子やら食品を買う。格力高(グリコ)の百力滋(プリッツ)は香港魚翅(ふかひれスープ)味と蠔皇鮑魚(あわびスープ)味をチョイス。

MTRで深水埗站(シャムスイポー駅)に戻り,鴨寮街からぶらぶら歩いて商店を冷やかす。鴨寮街の周辺は昔の秋葉原や日本橋のような電気街で,パーツ屋やスマートフォン,雑貨や服飾品の露天が列をなしている。地図に載っていてちょっと気になっていた蛇料理店は閉まっていて休みのようだ。

鴨寮街
露天が軒を並べる鴨寮街。人通りも多くにぎわっている。
鴨寮街の蛇料理店
鴨寮街にある蛇料理店の看板。この日はあいにくお休みで,店の前には露天が営業していた。

ふたたび尖沙咀に戻って,カード会社のプラザに立ち寄り,ローカルな茶餐廳で軽食をとりたかったのでおすすめを聞くが,当然とは言え日本にも支店がある一押しの加盟店の飲茶店を勧めるのでがっかりしながら丁重にお断りする。

高級ブランド店が軒を連ねる広東道を歩き,馬哥孛羅香港酒店(マルコポーロ・ホンコンホテル)とエルメスとの間の薄暗い自動車道にある乗り場からバスに乗って機場快線(エアポート・エクスプレス)九龍站に向かう。エルメスの横にあるバス停はちょっとわかりにくいので注意が必要。

九龍站にはインタウン・チェックイン・カウンターがあるので,そこで出発便の搭乗手続きを行ってから20分程度機場快線に乗車して香港國際機場(国際空港)に到着。車窓からは香港特有の高層マンションが林立する光景がうかがえた。都心部から空港へ,さらに機場駅のプラットホームから出国ロビーまでのアクセスがよいので荷物を持つ身にはありがたい。

機場快線の車内
機場快線の車内は免税店での販売を見込んでか資生堂「アルティミューン」の広告で埋め尽くされていた。
機場駅
機場駅。右側の機場快線ホームから奥に見えるブリッジを渡って出発ロビーまで同一平面で移動できる。

出国審査を済ませ,保安検査場で機内持ち込み可能サイズなのにも関わらずスーツケースを預け入れにしろとの指示を係員から受ける。いったん構外に出て,エアラインのカウンターでスーツケースを預託し,再度出国審査からやりなおして保安検査場を通過する。これなら九龍站のインタウン・チェックイン・カウンターで預託しておけばよかった。

保安エリア内でぶらぶら免税店を冷やかした後,プラザプレミアムラウンジで一服。ここの香港風汁そばは注文してから作ってくれるのが特徴。その他中華風の軽食をつまんで,酒を呑む。人が多いのでゆっくりと落ち着くわけではないが,バーカウンターでカクテルを作ってくれるのがよい。

帰路も座席はビジネスクラス。シートがフルフラットの機材で疲れ気味の体にはありがたかった。

(了)

[XX-03-2015]マカオ・香港 #2

※ 26-08-2018,02-09-2018,14-10-2018,17・18-10-2018,24・26-10-2018,01-11-2018更新。

澳門2日目

朝早く目が覚めたので,散歩を兼ねて朝食をとりに行くことにした。人通りのない福隆新街を抜け,昼間と打って変わってがらんとしたセナド広場に出る。聖ドミニコ教会もじっくり見られて堪能した。

早朝の福隆新街
早朝なので人通りがない福隆新街。
セナド広場
昼間は観光客であふれる議事亭前地(セナド広場)をパノラマ撮影。
聖母玫瑰堂
聖母玫瑰堂(聖ドミニコ教会)。昼間は通行人が多いので,ガイドブックに掲載されてるような写真を撮るなら早朝しかない。

その足で世界遺産の大三巴牌坊(聖ポール天主堂跡)に向かう。途中の大三巴街は昼間は多くの観光客で混雑するが,早朝ということもあり人通りは少ない。軒を連ねる土産物屋も店が開いておらず,さくさくと歩いていると眼前に突然広場,大階段と天主堂のファザードが飛び込んでくる。

大三巴牌坊(聖ポール天主堂跡)
人の姿がまばらな大三巴牌坊(聖ポール天主堂跡)と大階段。早朝ならではの光景。

天主堂の建物自体は焼失しており,裏から鉄骨で石造りの壁面を支えている。澳門のシンボルともいえるそのファザードにはさまざまな彫刻が施されていて,往時はさぞかし荘厳な建築物だったに違いない。

その足で横手にある坂道から天主堂を見下ろしながら大炮台(モンテの砦)に登る。眼下に市街地を一望できるのだがあいにく曇りでガスがかかっていて,残念ながら見晴らしはよくない。砦を下り,ポルトガル風の建物が残るラザロ地区の瘋堂新街周辺を散策。望德聖母堂(聖ラザロ教会)を覗き,ポルトガル総領事館前の伯多祿(ペドロ)局長街,板樟堂街を経由して大堂(カテドラル)の前を通って郵政總局の裏からセナド広場に帰ってくる。

望德聖母堂(聖ラザロ教会)の入口
瘋堂斜巷沿いにある望德聖母堂(聖ラザロ教会)。かつて癩病院の付属教会だったそうで,付近の通り名や地区名に「瘋堂」とつくのはその名残なのか。
ラザロ地区の建物その1。
ラザロ地区にはヨーロッパ風の建物がそこかしこにある。
まるで南欧に迷い込んだようなラザロ地区の街並み。

広場の北西にある三街會館(關帝廟)に立ち寄った後,郵政總局の反対側に新馬路を渡り,周大福の角から龍嵩正街に入り昨夜定休日だった食堂「中天咖啡美食」で朝食を取る。食後は龍嵩正街の途中を左折して急な坂を上り,伯多祿五世劇院(ドン・ペドロ5世劇場,オペラハウス),聖奧斯定堂(聖オーガスティン教会),聖若瑟修院(聖ヨセフ修道院)とポルトガル風の建物をじっくりと眺めながら散策。朝は人通りが少なく,短時間であちこち回れるので快適だ。

関帝廟の正面
この一角だけ急に中華風になる関帝廟。
伯多祿五世劇院と聖若瑟修院
左が伯多祿五世劇院,木の後ろに見えるのが聖若瑟修院の門と外壁。撮影した公園から修道院の入口までカルサーダスが広がる。これだけみればここはポルトガル。

新馬路から昔ながらの商店が軒を並べる十月初五日街に入り,ぶらぶらと商店を冷やかす。しばらく歩いて聖安多尼教堂(聖アントニオ教会)に到着。舊城牆遺址とその隣の哪吒廟(ナーチャ廟)に到着。実はここはさっき訪れた聖ポール天主堂跡のすぐそばにあるので,その足で天主堂跡の北側にあるさきほど閉まっていた天主教藝術博物館をさくっと見学する。

十月初五日街で見かけたポルトガル風の門
十月初五日街で見かけたポルトガル風の門

セナド広場近くにある古民家を見学したりしながらまた新馬路に戻り,南灣大馬路との交差点を右折して新八佰伴商場(ニューヤオハンデパート)に立ち寄る。経営破綻した静岡発祥のヤオハンとは資本関係はないらしい。

宿に戻って荷物をピックアップした後,また新馬路‐セナド広場‐板樟堂街‐伯多祿局長街と歩き,ローカル市場の雀仔園街市を覗いて,華士古達嘉馬(バスコ・ダ・ガマ)花園で休憩。近隣の雑貨店に立ち寄ろうとしたが残念ながら定休日。

雀仔園街市
ローカル市場,雀仔園街市の入口。
華士古達嘉馬花園
バスコ・ダ・ガマとおぼしき人物の胸像がある華士古達嘉馬花園。うまく全景が写っていないが,植木がきれいに剪定されている西洋風の庭園。マカオの街にはあちこちにポルトガルの偉人の物とおぼしき銅像がある。後ろはホテル。

ラザロ地区に戻り,瘋堂斜巷にあるギャラリー仁慈堂婆仔屋(Albergue da Santa Casa da Misericórdia)に入り,ポルトガル雑貨を扱う売店メルカリア・ポルトゲーザで土産物にポルトガルの石鹸を買う。

そのまま新勝街に出て,ロータリーのそばにある喫茶店・檀香山で昼食。その後,澳門博物館に移動し土産物店を冷やかす。ふたたび大炮台から大三巴街,賣草地街を歩き,新馬路から路線バスに乗って新口岸の外港客運碼頭(フェリーターミナル)に向かう。

香港へ移動

窓口でジェットフェリーのチケットを買い,前日同様に1時間弱の船旅で香港・尖沙咀(チムサーチョイ)の中港城碼頭に到着。ターミナルの周囲はショッピングモールとホテルの複合施設「中港城」になっている。ぶらぶら歩いて彌敦道(ネイザンロード)沿いにあるバックパッカーが集う美麗都大厦(ミラドールマンション)に向かう。ここはかの有名な重慶大厦同様の複雑な構造をした怪しげな雑居ビルで,予約してあった安宿の入口もマンションみたい。インターフォンを鳴らして従業員を呼び出し,チェックイン。入室用のICカードを渡され,宿泊は別のフロアに行けと指示される。

荷物を置いて,またふらふらと街歩き。彌敦道を北上し港鐵(MTR)の佐敦站(ジョーダン駅)付近まで一駅歩く。澳門とは違って若干こざっぱりした感じがする。脇道に逸れてみるが,昔のジャッキーチェンやマイケル・ホイ,ブルース・リーの香港映画に映る香港のような怪しげな雰囲気は薄れている印象。

夕食をとろうと店を物色していると,いかにも香港テイストな寧波街にある大衆食堂「堂泰海鮮菜館」がそこそこ繁盛しているので入ってみる。澳門からずっと蒸し暑いのでビールを呑み,鳩のローストやら炒め物などを食べる。隣のテーブルの夫婦が山盛りになった巻き貝を食べていたのが気になった。

堂泰海鮮菜館
交差点の角にある堂泰海鮮菜館。
堂泰海鮮菜館の店内
店内の様子。隣のテーブルでは夫婦が巻き貝を食べている。

佐敦站で八達通(オクトパス)のカードを買い,MRTで維多利亞港(ビクトリア・ハーバー)を越えて香港島の中環站(セントラル駅)へ。並行する港島線に乗り換え次の上環站で下車。香港電車(トラム)に乗り,二階席から夜の香港の街並みを眺める。

トラムの二階席から眺める街並み
トラムの二階席から眺めると視界が新鮮。オクトパスで乗車できるので便利。

ふたたび中環站からMRTで尖沙咀站へ。崇光百貨(香港そごう)から梳士巴利道(ソールズベリー・ストリート)を地下道でビクトリア・ハーバーの岸に渡る。霧に煙る対岸の中環のビル街の夜景を見ながら遊歩道を歩いていると,船着き場にジャンクを模した観光船が停泊していた。あとで調べると鴨靈號という観光フェリーらしく,スターフェリー同様に尖沙咀‐中環を結んでいるらしい。次に香港に来るときはここに泊まりたいなあと港から香港半島酒店(ザ・ペニンシュラ香港)を見上げつつ,安宿に戻って寝た。

歌舞伎鑑賞メモ

上から新しい順。鑑賞教室ばっかりだなあ。それ以外もほとんど幕見。

  • 日本振袖始(歌舞伎鑑賞教室)
  • 義経千本桜 2部いがみの権太 すし屋 3部狐忠信 道行初音旅・川連法眼館(歌舞伎座)
  • 新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)―魚屋宗五郎―(歌舞伎鑑賞教室)
  • 籠釣瓶花街酔醒(歌舞伎座)
  • 十七世中村勘三郎二十七年忌、十八世中村勘三郎三年忌追善 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺子屋(歌舞伎座)
  • 傾城反魂香(けいせいはんごんこう)土佐将監閑居の段(歌舞伎鑑賞教室)
  • 蘆屋道満大内鑑(歌舞伎鑑賞教室)
  • 歌舞伎座新開場 杮葺落六月大歌舞伎 御存 鈴ヶ森,助六由縁江戸桜
  • 紅葉狩(歌舞伎鑑賞教室)
  • 毛抜(歌舞伎鑑賞教室)
  • 俊寛(歌舞伎鑑賞教室)
  • 壽 初春大歌舞伎 矢の根,連獅子,神明恵和合取組 め組の喧嘩
  • 日本振袖始,曾根崎心中
  • 義経千本桜 渡海屋の段・大物浦の段(歌舞伎鑑賞教室)
  • 義経千本桜 河連法眼館の段(歌舞伎鑑賞教室)
  • 鳴神(歌舞伎鑑賞教室)

[07-11-1995]琉球・台湾 #8‐那覇

八重山逗留もいよいよ終わり,本島に行く。思えば本島だけでも内地からずいぶん遠いのに,さらに八重山となると距離もさることながらのんびりした空気が外国に来たような気分になる。とにかく,本島に行っただけで琉球を実感するのは100パーセントとは言えないと思う。

石垣空港から空路那覇に向かい,そのまま那覇市内へと行く。おめあては牧志公設市場だ。活気のある市場内はイラブー(海蛇)の干物やスクガラスの瓶詰め,ゴーヤ,海ブドウなどいろいろなものが所狭しと並べられ,肉売場では沖縄でよく食べられる豚足や顔の皮などが山積みにされている。魚売場に降り,伊勢海老やらアカマチやら,真っ青なイラブチャーの刺し身などを食べる。売ってるその場で醤油をつけて食べさせてくれるのだ。さらに2階の食堂に上がり,オリオンビールとともにテビチやミミガーなどいろいろ注文して食べるが,どれもおいしい。ただ,よくガイドブックなどで「階下の市場で買った魚や肉を上の食堂で料理してもらえる」とあるが,持ち込み手数料を取られるので注意したほうがよい。持ち込みにせず,そのまま普通に食堂で料理を頼んだほうが安くつくようだ。ただ,市場の人と食堂の人が親しい場合などは,交渉次第で手数料なしで調理してくれることもあるとのこと。

さて,牧志のマルフクレコード(※現存せず)をひやかしたり,なんだかんだと市場本通りで遊んでいたら,那覇空港での集合時間が迫ってきているのに気がついた。あわてて空港行きのバスに乗るが,国際通りから那覇バスターミナル,漫湖のあたりまで道路が混雑しており,思うように進まない。体は八重山リズムになっているので,まあ大丈夫だろうとのほほんと約束時間を20分程度過ぎて空港に到着すると,碧山老師とM氏がかなり焦っている様子で待ちもうけていた。当時は携帯電話は今ほど普及しておらず,連絡の取りようもなかったので焦るのも無理はない。

チェックインカウンターで搭乗券に引き換えてもらい,地方空港らしい狭い出国審査場(当時)で出国手続をとる。台湾人の旅行者が多いようだ。出国時の施設利用料はかからず,手続も早い。やたら高い成田空港や関西空港で行列を作って出国するのがバカらしくなってくる。機内も台湾人のツアー客が多く,日本人と台湾人の割合は6:4ないしは7:3くらいではなかったかとおもう。さて,軍民共用の那覇空港を離陸,急角度で上昇して窓の外にはコバルトブルーの海が見えてきたところで,急にエンジン音が止まった。しずかに機体が降下していくのがわかる。一瞬,これはダメかもなと思ったところで,エンジンが息を吹き返し,事なきを得た。

[06-11-1995]琉球・台湾 #7‐西表島(船浮)

朝から前日断念した西表島に向かう。しかし,船浦港行きの高速船は悪天候のせいかガラガラ。スピードを上げる船に雨が激しくたたきつける。調子よく進んでいた船が急に速度を緩め,ほとんど停船しそうになる。不審に思い,乗務員の様子を見ていると,港への進入路を見失ったらしい。しばらくあたりをうかがったのち,進入路を見つけたらしく,ふたたび速度をあげる。

船浦につくと土砂降りで,ちょうど白浜港行きのバスがあるのでそれに乗車する。ここでも乗客はほとんどいない。途中,崖から道路に向かって雨水が大量に流れ落ちている個所があり,運転手氏は「これ見ればマリウドの滝に行かなくても十分だ」と笑いながらそこを避けて走行した。30分ほど乗車して白浜港に到着。今回の西表島訪問の目的は,陸の孤島・船浮部落に行くことだ。船浮部落は西表の外周道路が海とジャングルにはばまれて未開通なため,白浜‐船浮間1日数往復の船でしか訪れることができず,時間に余裕がないとなかなか訪れにくいところだ。普通に西表島観光に行くなら浦内川探勝や星砂の浜に行くのだが,今回は船浮部落一点張りである。

当初の計画では船浮で一泊する予定だったのだが,宿が取れず日帰りに変更した。しかし,この時期の船はオフシーズンダイヤで運航されていて,帰りの便が石垣に帰る船便に接続できない。ままよ,と思って船着き場に行くと,妙に人数がいる。乗船客に話を聞くと,どうやらその日は船浮の小学校で教育研修があり,彼らはそれに参加する教員で,研修の帰りに傭船を使うとのこと。船長に頼み,帰りの傭船に便乗させてもらうことにして船に乗った。実に運が良かった。しかし,船長の「まさかオウムじゃないだろうね(笑)」という一言にはやや頭に来たのも事実である[★]。

船浮湾は複雑な入り江になっており,海岸線にはマングローブとおぼしき密林が迫っている。確かにこれでは道路工事は難しかろう。雨も上がり,波もほとんどたっていない中,15人ほどで満員になる小舟はするすると進む。静かな船浮湾は,かつて軍艦の避難所でもあったようだ。船浮に到着すると,教員たちは小学校に向かい,船長は郵便物を部落内に配達にまわる。船浮の部落は小さく,売店などもないので,とりあえずふらふら部落内を散歩すればもう行くところはない。教員がもどるまで,なにもないこの船浮でじっくり時間を過ごすことにする。

船浮全景
船浮全景。写真の奥から手前まで映っている範囲が部落の幅全部。奥行きは海と山に面しているのであまりない。写真の奥に見える建物は真珠の養殖所らしい。
部落内の様子
部落内の様子。すべてがこんな調子で当然ながら自動車は見当たらない。

激しく降っていた雨も上がり,御嶽などを散策していると,5歳くらいの子供が現れて話しかけてきた。「にぃにぃはどこから来たの?」「内地から」。いろいろ話をしていると,父親はうみんちゅ(海人=漁師)らしい。肩車をしてくれだの,児童集会所で本を読んでくれだの,人懐っこくというかなれなれしくしてきたが,こちらもなにぶんヒマなので,相手をしてやった。子供と別れて海岸でぼんやりしいていると,海上保安庁のボートがやってきた。聞くと巡視中だという。昼まで船を待つのもさすがに退屈なので,白浜港まで便乗させてくれないかと頼むと,救命胴衣がないのでNGとのこと。結局,件の教員が戻るまで,小さな部落でほとんどなにもせずに時間を過ごした。

白浜港にもどり,教員たちはレンタルのマイクロバスに乗るということで別れ,路線バスでふたたび船浦まで行く。石垣行きの船が来るまで時間が余ったので,ヒナイ川の河口付近を散策する。このあたりも湿地帯にマングローブの林が見られ,亜熱帯風情が味わえる。到着した高速船ぶ乗って,ふたたび石垣島へ帰還し,宿に戻る。

★「まさかオウムじゃ」:当時,指名手配されたオウム真理教の信者が石垣島に逃亡しているとの報道があった。人の出入りのほとんどないところにぶらぶらしている若い者が現れたので,このような発言につながったのだろう。

[05-11-1995]琉球・台湾 #6‐与那国島

再び「どなん」の工場に行く。もちろん出来たばかりの泡盛が目当てだ。飲ませてもらい,60度の泡盛を購入する。宿に戻り,空港まで送ってもらうように依頼する。午後便を予約していたのだが,午前便に計画を変更したため早い目に空港に行ってフライトを変更してもらうためだ。車中,石垣で山羊汁を食べた旨の話をすると「へえ,山羊汁を食べたんですか。山羊汁を」と何度も意外そうに言われた。与那国の人は意外と山羊汁を食べないのかもしれない。

空港に到着したが,まだカウンタも開いていなかった。空港といっても規模も小さくまったくのんびりしたところで,空港職員もそれらしからぬ雰囲気。手続が始まったので便の変更を申し出ると,座席に余裕があるとのことで簡単に変更できた。座席表を見ながら希望の座席を指定し,その位置にあるシールを職員が搭乗券に貼る,というまるで20年前にもどったかのような予約手続だった。待合室で時間をつぶしていると,テレビで沖縄県の広報番組が始まった。これも話題は沖縄県民の反米反基地総決起集会の模様で,およそ自治体の広報番組らしからぬポリティカルなものだった。制服の女子学生や当時の太田沖縄県知事,産業界からも代表が出て,政治的な立場を超越しておのおの「反米・反基地」を訴えていた。

「与那国島の天候が不順のため,上空で旋回したまま着陸が遅れている。下手をすると石垣に引き返してしまうかもしれない」とのアナウンスが流れ,待合室がどよめく。ここで遅れてしまうと後々の予定が大幅に狂ってしまう。不安が走るが,ままよと座って待機していると着陸するとのアナウンスがあり安堵が広がった。搭乗手続が開始し,雨の中YS-11型機に向かう。待合室からは徒歩連絡なので,南西航空のマークが書かれた傘を差して歩いていく。

フェリーと違い,石垣空港まではわずかな時間で到着した。空港からはふたたび離島桟橋までもどり,小浜島行きの高速船に乗船する。本来は西表島に渡って宿泊する計画だったのだが,宿が取れず午後の時間を小浜島観光に充てることにした。小浜島はヤマハ(※)のリゾート施設「はいむるぶし」があり,ダイビングをする人であればマンタを目撃できる海域として知名度が高いと思う。
※ヤマハはリゾート事業から撤退し,はいむるぶしは三井不動産に売却された。

雨が降り続く小浜島に上陸し,とりあえず御嶽めぐりをしていると,遠くで囃が聞こえてくる。狸囃子じゃなかろうかと思って音のする方向に歩くと,化粧をして派手な鳥のような衣装をつけた女の子がやってきたので尋ねると,やはりお祭りらしい。そこで,場所を聞いて会場となっている御嶽に着くと,雨の中テントを張った下で,囃子に合わせて舞を踊っており,その前にはござの上に座った紋付き袴の男性たちがやんやと手拍子を送っている。よく見ると,彼らのかたわらには例の「どなん」の一升瓶がごろごろ転がっている。一方,女性たちは普段着で集会場とおぼしき小屋の軒下に座っている。いろいろな舞を舞ったり,芝居めいたことをしたり,どうやら南北ふたつの部落がたがいに芸能を奉納しているらしい。囃子は雅楽っぽいメロディに三線がからむものやら,三線メインのものやら種類がいろいろあり,なかなかおもしろい。

結願祭全景1
結願祭全景。紋付き袴の男性が舞台の正面にくる。桟敷には泡盛の瓶が転がる。雨天だからテントが張られているのかと思っていたが、毎年張られているようだ。
結願祭全景その2。
雅楽の装束のような極楽鳥の格好をして踊る舞。左手の黒い幕の後ろにお囃子がいる。
結願祭
集会所の軒下で祭を見物する女性たち。
結願祭の囃子方
囃子方。舞台の裏側にいる。

ひとくさり祭を見物し,この祭はいったいどういうものですかとそばにいた人に訪ねると,「きちぃがんさー(結願祭)ですよ」とのこと。つまり収穫を喜び神様に感謝するお祭りだ。竹富島の種子取祭が1週間違いで見られずに残念な思いをしていたが,偶然訪れた小浜島でなかなかよい拾い物をした。ネット上でも小浜島の結願祭についてはいろいろ書かれている。

方言の交通安全啓発看板
小浜島で見つけた交通安全啓発看板。「ヌフゥ アタラサスーカー グシヌミテ クルマ ムツゥナ」とは「命が惜しければ、酒飲んで車乗るな」の意。

さて,石垣の宿にもどると,なにやら周囲の通りが騒がしい。石垣市役所近くの新栄公園で「石垣島まつり」が行われていて,いろいろ盆踊りのようなものやら出店などもあるようだ。数日前,夜の商店街で女性たちが踊りの練習をしていたのはこれだったのか,と合点が行く。露店を冷やかしてみると,焼きそばやたこ焼き,お好み焼きといった定番の屋台にくわえ,ソーキそばやら古酒の販売といった郷土色のある屋台もあるので当然突撃だ。ソーキそばはソーキが大きく,しかも味がよい。本島で食べたものよりずっとおいしい。「飛龍」で覚えた古酒も10年ものと15年ものとが併売されており,呑み比べをさせてもらう。同じ泡盛でも5年の熟成のちがいで,かくも変わるのかと驚くほど15年ものはまろやかになっており,驚愕。宿に戻ってつまみを食べながら泡盛でも,と肴になるようなものを探していると,海亀のチャンプルーを発見。早速宿に持ち帰り,独特の食感と味を楽しみながら泡盛の杯を重ねた。