大震災で思うこと

 1995年の阪神・淡路大震災を末席ながら体験した者としては,忘れていた当時のいろいろな物事が思い出される。

1.オンラインネットワーク
 やはり情報の伝達手段が大きく変わっているのが印象深い。
 大学の下級生時代に他大学から出講にきていてお世話になった教授が東灘区にお住まいで,住所からすると家屋の倒壊が激しく,壊滅的な状況であろうことが推測できた。当時,パソコン通信のNIFTY-Serve(現・@nifty)にはアクセス料無料[★]のフォーラム「GO EARTHQUAKE」が設置され,被害状況や安否確認などさまざまな情報交換が行われた。筆者はそこで先生の安否についてポストしたところ,経緯は省略するが先生は無事である旨の情報を得ることができた。
 青木(おうぎ)駅まで復旧した阪神電車に乗って,がれきの山になっていた摂津本山のあたりを通り抜け,先生の大学の研究室を訪問すると,片づけのためにいらっしゃっていた先生とお会いできた。同居していたご母堂が崩壊した家屋で圧死した話,斎場の手配がつかず,親戚のつてをたどって遠いところで火葬をされた話が今でも鮮明に思い出される。温厚だったその先生も鬼籍に入られて数年が経つ。

2.自粛と経済活動
 今回の震災は電力事情がからんでいるので単純比較はできないものの,やはり自粛ムードが強い。当時,物見遊山のつもりで代行バスを乗り継いで神戸にデートに出かけたら,その被害の甚大さに後ろめたさを感じたものの,交通機関の中で,見知らぬおじさんに「こんな状態だけど神戸にどんどん遊びにきて,お金を使ってほしい。そうでないと商売が回らない」と言われたことが記憶に残る。
 また,知り合いが「知人が飲食店を開店したばかりなのに,震災で大きな被害が出た地区だったせいで,客入りが悪いので呑みに行ってやろうと思う」というのでそれについていったのだけど,駅から一歩出ると真っ暗で,道の周りはがれきの山。電柱が倒れ,電線がとぐろを巻いていた。もちろん客はわれわれだけだった。
 それを思い出して,呑み屋街は閑古鳥が鳴いているであろうと思って出かけたら,意外と繁盛していてそれはそれでほっとした。

3.浦安旧市街と新浦安
 浦安は漁村だった経緯からいまだに魚市場があり,鮨も安くておいしいし,名物の焼き蛤も醤油の香りが香ばしく,酒のつまみによく合う。江戸前の海苔が集積することもあって,冬になると新海苔を求めて猫実の庚申塚近くにある海苔屋におもむくのが定例行事になっていた。海苔は値段と味が正比例するので,そこそこ値段もするのだけど,これだけはやめられない。普通の焼き海苔ももちろんのこと,青海苔(あおさ)を混ぜた「青」と呼ばれる海苔も香りがよく,おいしい。狭い道沿いに昔ながらの商店や古い庄屋をそのまま使った歴史資料館がある町並みはぶらぶら歩いていても飽きない。
 そんな浦安は東西線浦安駅近辺の旧市街に限定され,市域の半分以上は埋め立て地で占められている。京葉線新浦安駅周辺は所用があって数度訪れたことがあるが,漁村であったことなどみじんのかけらもない,広くてさわやかな雰囲気を演出しているけど,旧市街に比べてなにやら味気ない。液状化現象の被害は大きいようだが,埋め立て地のリスクは阪神大震災のポートアイランドで明らかにされていたので,情報収集不足だったとはいえ,お気の毒様としかいいようがない。

4.テレビ
 公共広告機構の穴埋めCMにクレームがついてるようだけど,あれくらい甘い甘い。やっぱり阪神大震災といえば中野浩一の「ニッポン全国,ポイ捨て禁止~」(w/増田明美)がとどめを刺す。あれが延々と流れていたけど,クレームの話は聞かなかったなあ。やっぱりネット経由でクレームが増大するんだろうな。
http://www.youtube.com/watch?v=IbkXVHItRXA
 当時,ニュースはヘリコプターからの空撮やら中継が多く,ライフライン関係などのローカル情報はCM枠かステーションブレイクで流していた。今は地上デジタル放送でマルチチャンネル編成ができるのだから,全中はメインチャンネル,各局発のローカル情報はサブチャンネル(アナログ波の受信機を考えるとその逆でもいい)でオンエアすればいいのに,なぜそれをしないのか疑問に思う。知見が乏しいので,ニュースネットワークのしばりか,ネットセールスなど営業面での問題か,技術的な問題かわからないけど,あるものが活用できなかったのは残念。

[★]当時のNIFTY-Serveは従量制課金。