cjの不良おやじ、朝までカラオケ日記 #1


 ここでは、わたくしことcjがいかにしてnaughty boysなバンドに参加することになったかを回想してみました。(一部脚色している部分もあるかも・・・です)

1999/6/8(火)
 きくらちゃんより僕個人宛に突然1通のメイルが届く。件名は「ちょっとナニ」。数カ月前に何かのYMO系会合で会った時に「一緒にユニットやらへん?」という事になってたので、この件である事には間違いなさそうだ。メイルを読むと僕の予想通り。内容は「週末にちょっとお話でも」というものであった。口説かれる気分って「こんなもんなんかなぁ」と思う。

1999/6/12(土)
 約束の15:00過ぎ、嫁と子供の留守中に、きくらちゃんとyen-rakuちゃんが我が家へ訪問。さすがに暑い季節だったので、「こたつ」はもうなかったが、ここできくらちゃんより「naughty boys」の構想(と言っても何をやるのか、バンド名もコンセプトすら決まっていなかった)を聞く。その後、小イモの音などを聴いて僕からも批評させてもらった様な気がする。一通りきくらちゃんのこれまでの仕事を聴いた後、僕のテストを兼ねて実際にドラムを叩いて、きくらちゃんに判断してもらう。実はこの時、僕は右足を骨折していて、キックを叩く度に足に響いていたのかもしれない。テスト結果:僕のドラミングを気に入ってくれたかどうかは定かではなかったが「一緒にやりましょう」ということに。その後、僕の今までの仕事を聴いてもらったのだが、 15年前の幸宏コピーバンドの内容にきくらちゃんがかなりのショックを受けていたことだけはよく覚えている。(「実際に生でこの演奏を聴いてたら、YMOのコピーバンドなんかやってへんかったで〜」というような最高の賛辞をいただいた。)

1999/7/17(土)
 この日は心斎橋のhomme plus前できくらちゃんと待ち合わせをする。バーゲンまわりをひたすらした記憶だけが残っている。僕はこの日「何も買いませんでした(きっぱり)」。いろんな誘惑があったにもかかわらず、我ながら「偉い!!」と思った。(実際は7/10から秋物の立ち上がりがあって、すでに散財した後で、お金の余裕なんてなかったのかもしれない)そんなこんなで、別れ際にユニットの話しに・・・。実は今日会うまでは、小イモでやっていた「冬生コピー」のような物を新ユニットでもやっていく方向になっていた。ところが、僕が聞いたきくらちゃんからの第一声は僕の予想を遥かに超えていた。きくらちゃんの言葉とは「テクノ歌謡を冬生アレンジ風でやったらどうだろう?」とというものであった。折しも「テクノ歌謡シリーズ」が続々と発売になっていた時期でもあり、僕は「それ、え〜ねぇ〜」と即答。この日から僕の頭は「テクノ歌謡」一色になる。


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