[06-11-1995]琉球・台湾 #7‐西表島(船浮)

朝から前日断念した西表島に向かう。しかし,船浦港行きの高速船は悪天候のせいかガラガラ。スピードを上げる船に雨が激しくたたきつける。調子よく進んでいた船が急に速度を緩め,ほとんど停船しそうになる。不審に思い,乗務員の様子を見ていると,港への進入路を見失ったらしい。しばらくあたりをうかがったのち,進入路を見つけたらしく,ふたたび速度をあげる。

船浦につくと土砂降りで,ちょうど白浜港行きのバスがあるのでそれに乗車する。ここでも乗客はほとんどいない。途中,崖から道路に向かって雨水が大量に流れ落ちている個所があり,運転手氏は「これ見ればマリウドの滝に行かなくても十分だ」と笑いながらそこを避けて走行した。30分ほど乗車して白浜港に到着。今回の西表島訪問の目的は,陸の孤島・船浮部落に行くことだ。船浮部落は西表の外周道路が海とジャングルにはばまれて未開通なため,白浜‐船浮間1日数往復の船でしか訪れることができず,時間に余裕がないとなかなか訪れにくいところだ。普通に西表島観光に行くなら浦内川探勝や星砂の浜に行くのだが,今回は船浮部落一点張りである。

当初の計画では船浮で一泊する予定だったのだが,宿が取れず日帰りに変更した。しかし,この時期の船はオフシーズンダイヤで運航されていて,帰りの便が石垣に帰る船便に接続できない。ままよ,と思って船着き場に行くと,妙に人数がいる。乗船客に話を聞くと,どうやらその日は船浮の小学校で教育研修があり,彼らはそれに参加する教員で,研修の帰りに傭船を使うとのこと。船長に頼み,帰りの傭船に便乗させてもらうことにして船に乗った。実に運が良かった。しかし,船長の「まさかオウムじゃないだろうね(笑)」という一言にはやや頭に来たのも事実である[★]。

船浮湾は複雑な入り江になっており,海岸線にはマングローブとおぼしき密林が迫っている。確かにこれでは道路工事は難しかろう。雨も上がり,波もほとんどたっていない中,15人ほどで満員になる小舟はするすると進む。静かな船浮湾は,かつて軍艦の避難所でもあったようだ。船浮に到着すると,教員たちは小学校に向かい,船長は郵便物を部落内に配達にまわる。船浮の部落は小さく,売店などもないので,とりあえずふらふら部落内を散歩すればもう行くところはない。教員がもどるまで,なにもないこの船浮でじっくり時間を過ごすことにする。

船浮全景
船浮全景。写真の奥から手前まで映っている範囲が部落の幅全部。奥行きは海と山に面しているのであまりない。写真の奥に見える建物は真珠の養殖所らしい。
部落内の様子
部落内の様子。すべてがこんな調子で当然ながら自動車は見当たらない。

激しく降っていた雨も上がり,御嶽などを散策していると,5歳くらいの子供が現れて話しかけてきた。「にぃにぃはどこから来たの?」「内地から」。いろいろ話をしていると,父親はうみんちゅ(海人=漁師)らしい。肩車をしてくれだの,児童集会所で本を読んでくれだの,人懐っこくというかなれなれしくしてきたが,こちらもなにぶんヒマなので,相手をしてやった。子供と別れて海岸でぼんやりしいていると,海上保安庁のボートがやってきた。聞くと巡視中だという。昼まで船を待つのもさすがに退屈なので,白浜港まで便乗させてくれないかと頼むと,救命胴衣がないのでNGとのこと。結局,件の教員が戻るまで,小さな部落でほとんどなにもせずに時間を過ごした。

白浜港にもどり,教員たちはレンタルのマイクロバスに乗るということで別れ,路線バスでふたたび船浦まで行く。石垣行きの船が来るまで時間が余ったので,ヒナイ川の河口付近を散策する。このあたりも湿地帯にマングローブの林が見られ,亜熱帯風情が味わえる。到着した高速船ぶ乗って,ふたたび石垣島へ帰還し,宿に戻る。

★「まさかオウムじゃ」:当時,指名手配されたオウム真理教の信者が石垣島に逃亡しているとの報道があった。人の出入りのほとんどないところにぶらぶらしている若い者が現れたので,このような発言につながったのだろう。