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幻の湖

1982年 橋本プロ+東宝 / 監督:橋本忍 / 出演:南條玲子・隆 大介・星野知子・長谷川初範・かたせ梨乃・関根恵子・北大路欣也


 『幻の湖』。東宝創立五十周年記念作品,かつ『羅生門』『七人の侍』などの黒沢作品や,名作『砂の器』などの (共同) 脚本を手がけた巨匠・橋本忍が脚本・監督をつとめた超大作である。にもかかわらず,公開以降テレビ放映・ビデオ化もなく,オールナイト上映などで見るしかなかったため,まるでロプノール湖のように映画そのものも幻に近い存在となっていた。ところがなぜかこの時期になって突如東宝がDVD化し,CSでも放映されるようになった (ところでDVDの“東宝価格”はなんとかならんものか)。

 さて,くどいようだが巨匠が手がけ,美術・撮影スタッフも黒沢映画の常連,音楽は芥川也寸志と寸分の隙もない東宝創立五十周年記念作品にふさわしい布陣であるにもかかわらず,すでにあちこちで語られている通り「上映直後に打ち切られた」といういわくつきの作品のため,ながらく“幻”となっていた。おそらく東宝社内的にも「なかったこと」とされていたのではないだろうか。

 「訳がわからない映画を撮る」といって日活をクビになったのは鈴木清順だが,鈴木清順の場合話の骨格そのものは平易で,見せ場のけれん味を出すために主人公の行動をねじまげたため,そこが「訳がわからない」と言われたのだった。しかし『幻の湖』の場合,プロデューサーでもある脚本家がその情熱〈パトス〉――というか思い込み――を刈り込まずそのまま吐き出した上に狂気と情熱だけで突っ走り,のっかかった美術や演出は東宝の大作そのものであるからあらぬな方向に行ってしまったのだ。

 この「訳がわからない映画」の最大の特徴は,なかば被害妄想に近いともいえる思い込みの強い主人公がとにかく走って走って走り続けてそれを延々と映していることだ。ははーん,どうやら巨匠の言いたいってことってのはここなんだな。じゃ,なぜ主人公は走るのか。東宝のサイトでは何を追って,何を求めて人間は走り続けるのか――? とあるが,おそらくこの主人公の場合は“自分探し”だと思われる。

 琵琶湖に浮かぶ無人島を見て「あの島は私」と感慨にふけり,野良犬を拾って溺愛するなど,主人公は「自分は孤独だ」という意識が強い。主人公の勤務先であるトルコ風呂では,「日本髪にして着物を着ると本当の自分ではなく,違う人間になった気がする。違う人間にでもならないとトルコの仕事なんかやってられない」と職業蔑視のまじった主張をし,おなじみ客に「あたし,1年たったら結婚するんです。相手はどこの誰だかわからないけど」とほとんど「私は紀宮様の妹です」レベルの告白をしてみるなど,とにかく主人公は「今の自分から抜け出したい。でも積極的に行動を起こすモチベーションがない状態」のなか,くすぶっている。

 そんな状況下で愛犬が殺害され,その犯人と思われる作曲家・日夏を追って東京に行ったところでけんもほろろにあしらわれ,「だれからも相手にされない」と孤独感が被害妄想のレベルを極大化させる。しかし,トルコの元同僚である諜報機関の女エージェント (意味不明) に救いの手を差し伸べられたり,懇意にしてた金融機関の営業といい仲になったり,無人島と思っていた島の裏側にはちゃんと部落があったりと「実はあたしも孤独じゃない」とわかり,話は急展開する。

 この手の話は最後は自分がその思い込みの殻を打ち破り,自己を確立してこそハッピーエンドとなるのだが,それがこの映画では延々と続くマラソンシーンと,唐突にインサートされる戦国時代劇と,たどり着いた先にある仇敵・日夏に対するよくわからない勝利と復讐と,宇宙パルサーな笛吹き男のスペースシャトルの発射になってるから訳がわからない代物となってしまい,主人公にまったく感情移入できない致命的な欠陥となっている。

 あらすじそのものはあちこちで詳細に紹介されていて (Google検索『幻の湖』),「宇宙パルサーっていったい…」などの突っ込みどころも多々説明されているので,筆者がつたない駄文をしたためるより,そちらをごらんになってもらうほうがいいだろう。ただ,単純に笑いものにするためだけで見るにはもったいないし,またそんなレベルの映画ではない。

 前述の通り,撮影スタッフは一流,音楽もゴージャス,予算もたっぷりで風光明媚な琵琶湖畔で1年にわたる長期ロケ,と実はこの映画は美しい観光案内フィルムともいえる (牽強付会)。この映画の中心となる琵琶湖というのは,地理の知識としてだれもが知っている割に観光地としては地味で,滋賀県自体も地味な県なので,地元自治体もプロモーションにこの映画を使えばいいのに,と思ってみたりもするのだった。

・雄琴のトルコ (現・ソープランド) 街(交通案内マップ
 映画の中で現れる「金瓶梅」「御三家」「江戸城」などはまだまだ健在のようだ。主人公の在籍した「湖の城」は架空のトルコだが,日夏を追いかけるシーンでは「ダイヤモンドクラブ」のあたりから「金瓶梅」→「御三家」→国道161号線と走っているので,現在の「人魚の城」あたりにある設定と思われる。どちらも「城」だし。

・びわこタワー[地図パンフレット観覧車からの眺望],琵琶湖大橋
 滋賀作ならずとも,関西圏の人間の間で知名度の高いびわこタワー (2001年8月に閉園)。琵琶湖大橋西湖畔にあった遊園地で,映画のなかでは京都市電が保存されている交差点 (びわこ大橋交差点) のシーンや琵琶湖大橋の空撮で見られる。琵琶湖大橋は主人公が銀行員・倉田とデートしたり,ラストバトルで主人公が日夏に追いついた橋。当時は橋が1本しかかかっていなかった。雄琴から直線距離で約5キロ。

・葛籠尾崎 (つづらおざき) 地図・案内123  竹生島が見下ろせる「琵琶湖のいちばん北の岬」。笛の男と出会ったり,逆さ吊りになったみつの (劇中) 伝説があったりするところ。沖合には遺跡があるらしい。手塚治虫の『三つ目が通る』でもこの湖底遺跡は取り上げられていたと思う。しかし,いくら金持ちのトルコ嬢とはいえ,ひんぱんにタクシーで雄琴から湖北まで行くのは相当な出費だろう。鉄道で行けば雄琴〜永原が約1時間,バスでさらに永原から葛籠尾崎まで約30分。

和迩川
河口付近でシロの死体が見つかった。雄琴から直線距離で約8キロ。

・渡岸寺[12
 南条玲子と長谷川初範が十一面観音を見に来る寺。

・長命寺[12
 南条玲子と長谷川初範が階段を上って見に来る寺。


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