cjの不良おやじ、朝までカラオケ日記 #2


1999/7/31 (土)
 個人的な話だが、義父(嫁の父)が亡くなった。容態が急変したとの知らせを受けたので僕も病因に駆け付けた。が、その後、ものの10分もたたないうちに息をひきとられた。まるで、僕を待っていたかの様に・・。この時、子供全員と孫全員が集合していた。僕が一番後から来たので、やはり、義父は全員が揃うのを待っていたのかもしれない。僕の子供2人はまだ小さいので何が起こったのか理解できていない。長男の方は3歳なので今日の事は記憶に残るだろうが、次男はまだ1歳(細野さんと同じ誕生日)なので記憶には残らないなぁ、と残念に思う。約1年間(膵臓癌)の闘病生活であった。合掌。

1999/8/2 (月)
 留守中(8/2通夜、8/3葬儀だった)に、きくらちゃんよりメイルが届く。その内容は、初めてユニットの具体的な方向性への話に触れたものであった。可能なら11月の末ぐらいまでに第一回目のライブを行いたいということが記されている。あと、4ヶ月弱か・・・きついかなぁ?との思いもよぎる。また、ライブで演奏する候補の曲、6曲の曲名があがっている。僕にとっては(おそらく、きくらちゃんにとっても)過去のバンドではやった事のない曲ばかりがあがっていた。ユニットの今後にワクワクすると同時に期待感が増す。はずだったのだろうが、悲しみの方が大きく勝っていたので、ちょっと、そんな気持ちにはなれなかった。そう言えば、この頃のユニット名の候補として「mountain birds」というのがあがっていた。たまたま、2人の姓に「嶋」という字が入っていて、いつも人に「しま」の字を説明する時に「山鳥の方のしまです」と説明する所から取ったはずだ。後はそれを英語にしただけという非常に安直なものであった。後にこの名前は yen-raku ちゃんがユニットに正式に参加する事が決まって消滅する(yen-rakuちゃんの名前には「嶋」という字が入っていなかったので)。ちなみに6曲の候補曲の中で今回のライブでやったのは「ハートブレーク太陽族」「ハイスクールララバイ」の2曲である。

1999/8/7 (土)
 きくらちゃんより「明日、昼飯御一緒しませんかぁ?」とのお誘いを受けるが、明日は嫁の実家に行くことになっていたのでお断りする。

1999/8/8(日)
 嫁の実家で候補にあがっていた細野さんの曲を家庭用通信カラオケで嫁と2人で歌いまくった。少し寂しさも和らいできたのかもしれない。きくらちゃんには「しっかり練習してるにょろ〜」と当時この辺で大流行していた「にょろ語」でお誉めの言葉をいただく。書き忘れていたが、今ユニットでは、僕がボーカルを取る事に決定していた。カラオケは前々から大好きであったが(この事が後々表題の事件に発展しようとは思いもよらなかった・・・・)バンドでボーカルをやった事はなく僕でつとまるのだろうか?という不安もあった。


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