ともさかりえ
刑事:小西祟之
S:藤井基成
敬宗:広瀬斗史輝
男:串間保
男:瀧本武
男:清水昭博
■予告編でのキャッチコピー:
恋はあまりにも、悲哀だった。
詩壇の鬼才が放つ日本文学史上最も純粋な自叙伝!!
- ■名科白集:
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たいがいの人間は目を見ればわかるよ。内の内まではっきりわかるよ。
彼女は明るいつやつやした目で私を見上げた。だれでも一度は、この子のように美しい透明なひとみをしている時期があるものだ。
五つ六つころから十六七時代までの目の美しさ、その澄みわたった透明さは、まるで、その精神のきれいさをそっくり現しているものだ。
すこしも他からそこなわれない美だ。内の内な生命のむき出しにされた輝きだ。
余りに清浄なものと、余りに汚れたものとの相違は、ときとすると人間の隔離を遠くするね。
ぼくはあの子供の顔を見た瞬間、いきなり花のようなものを投げつけられたような気がしたのだ。
幸福はいちどに寄せてくるらしいね。苦しいときは何もかも苦しいように、よくなるときは一度によくなれるね。
僕はこのごろ淫売婦を笑えなくなった。教養のない女があそこまで堕落してゆくのがむしろ当たり前かと思うね。
今夜は女がばかにきれいに見える。しかもいやな女に一人も会わないね。みな優しい顔の人ばかりだ。
さきのことを考えると楽しみだ。君もそう思うだろう。
ボンタン実る樹のしたにねむるべし
ボンタン思えば涙は流る
ボンタン遠い鹿児島で死にました
ボンタン九つ
ひとみは真珠
ボンタン万人にかわいがられ
いろはにほへ らりるれろ
ああ らりるれろ
かわいいその手も遠いところへ
天のははびとたずね行かれた
あなたのおじさん
あなたたずねて すずめのお宿
ふじこ来ませんか
ふじこおりませんか
■名場面:
◆ ふじ子と敬宗が「私」の部屋に遊びに来る場面。
◆ ふじ子の瞳を見て、「私」が故郷へ帰ることを決意する場面。
- ■登場人物ノ紹介:
- ・私。
「私」は、詩人。酒場で喧嘩に巻き込まれ散々な目に会い、宿を出る。
▼引っ越し先で故郷の歌を歌って遊んでいたふじ子と出会う。
▼借金取りと刑事に年中追いかけられているが、ふじ子に撃退してもらう。
▼ふじ子の目を見て、姉を思い出し、ふと故郷に帰ることを思い立つ。
・ふじ子。
血色のよい品のある顔だちの少女。「私」の隣人で母と弟と共に暮らす。
▼一家は鹿児島県から東京にやってきた。父は通訳官で、満州に単身赴任中。
▼ふじ子の日課は、満州にいる父に新聞を郵送することである。
▼「私」がふじ子につけたあだ名はボンタン。動物園に行くほど仲が良い。
▼父の帰郷によって一家は鹿児島へ。ふじ子はボンタンを送る約束をする。
・S。
画家で「私」の親友。食うために看板屋を始めるがペンキ屋はいやだと失業。
▼「私」の下宿でふじ子と出会い、純真な美しさに打たれ、スケッチをする。
- ■作品ノ解説:
- 或る少女の死まで。
大正8年に、「中央公論」に掲載された。
▼「幼年時代」「性に目覚める頃」に続く犀星の自伝的三部作の一つ。
▼室生犀星は、萩原朔太郎と共に大正詩壇の鬼才と讃えられた詩人。
▼生涯に出した詩集は、なんと24冊にも及ぶ。
▼小説を書きだした動機は実に単純。詩だけでは食っていけない現実だった。
▼自伝的小説でデビューするという、小説家としては極めて変則的な形である。
▼理想の女性を、変幻自在の金魚として描いた「蜜のあわれ」は全編会話小説。
▼日本のシュールリアリズム小説の白眉と評価されている。
- ■解説の先生:
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「解説の先生」は「叙情派で詩人」のロリコン先生。なぜか妙にきちんと情報が整理されていることを相方の女性に指摘されると「たまにはまじめにやらなきゃ叱られる」と答えるも、「女子高生に受ければ満足」と。
- ■今週ノ問題:
- 室生犀星「或る少女の死まで」本文ニ、「私」ト云フ言葉ハ何回出テクルカ?
■使用された音楽:
使用された場面 |
予告編
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アーティスト |
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曲名 |
「Suo Gan」
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収録アルバム |
『太陽の帝国 サウンド・トラック』
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メーカー・型番 |
ワーナー・ブラザーズ [WPCR-513]
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使用された場面 |
名場面 その1
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アーティスト |
アンドレ・ギャニオン
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曲名 |
「さよならが言えない Retour en Arriere」
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収録アルバム |
『Presque Bleu (夕暮から)』
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メーカー・型番 |
ユニバーサルミュージック [UICE-3003]
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使用された場面 |
名場面 その2
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アーティスト |
アンドレ・ギャニオン
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曲名 |
「小さな願い Un Beau Reve」
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収録アルバム |
『Presque Bleu (夕暮から)』
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メーカー・型番 |
ユニバーサルミュージック [UICE-3003]
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選曲リスト協力:片岡K事ム所・phge031a@hmt.toyama-u.ac.jp (予告編)
- ■所感・その他
- 小学生の設定の「ふじ子」をともさかりえがやるわけだけど、割合に違和感がなかった。というか、そもそも小学生の少女と遊んでいた、という話自体が不自然なのかも。
それに大高洋夫は『みずうみ』といい、この話といい、年少の女性との交流ものに起用されるのはなぜだろう。
細かい点であるが、詩人の「私」が住んでいる家は、『蒲団』で「時雄」が住んでいた家と同じである。純和風の家のロケ地探しも大変なのだろう。
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