[21-08-1997]中国 #6 ‐ 上海・無錫

 早朝,食事もとらずにホテルを出発し,タクシーを拾って昆明空港に向かう。空港利用税50元を支払い,雲南航空3Q4541便に「登机」する。飛行機はボーイング767型で,来るときに乗った上海航空よりずっと清潔な機内だった。飛行中も麗しい容姿の女性服務員が細やかな服務を提供し,洗面セットが利用者にもれなく配られるなど,地方の航空会社とは思えぬ充実ぶりだった。これが生まれて初めての飛行機利用とおぼしき乗客も多数おり,備品や肘掛けのボタンをあれこれいじってみたり,ヘッドフォンの着用にとまどったりとほほえましい光景が随所で見られた。ドリンクサーヴィスで提供される飲みものの中に一つ目をひくジュースがあった。その名も「版納風情」。「版納」とは「西双版納(シーサーパンナ)」のことで,われわれが訪問した昆明より南にあるタイ・ラオス国境付近の地方を指す。缶には南国をイメージさせるイラストが描かれ,いかにも感を演出している。どうもあの「版納風情」は気になる,ということで,碧山老師が飮むことになったが,この手の飲料の常道で結果はやはり不味かった。

 上海虹橋空港に到着し,2度目で慣れたリムジンを使って市内まで行き,欧州のブランドのブティックが並ぶ陜西南路站から近代的な地下鉄に乗車,上海火車站に行く。火車站そばの龍門賓館に向かい,外国人向け售票処で無錫までの乗車券を買いに行く。ここではいかにもな日本人旅行客が多く,とりわけ女の子3人組の無防備さには呆れた。彼女らは有名な九龍(香港)行き99次特快のチケットを取ろうとしていたが「没有」の返事ばかりだった。彼女らを後目にわれわれは極力早い列車に乗るつもりだったので,座席の等級を問わずに購入すると軟座だった。支那の鉄道の等級は2つに別れており,上級が「軟座(soft seat)」で,下級が「硬座 (hard seat)」となっている。寝台車の場合も同様で「軟臥」「硬臥」に別れている。

 チケットを入手して火車站にもどる。構内に入りX線の荷物検査を受け,電光表示に合わせて待合室に入る。改札はまだのようだが,人は結構いる。「候車室」と呼ばれる待合室には各列車ごとに改札があり,その改札から一列に待つための座席が数十メートルに渡って並んでいる構造となっている。こういった待合室がいくつもあり,さすが人民の数がものをいう国,規模が大きいと感嘆させられた。構内にはみやげ物屋なども並んでおり,なかなか活気にあふれている。

 ここで,ふと気がついたが,われわれは軟座の乗車券を買ったのだから,軟座専用の候車室に行かないともったいない。このあたりが日本と違い,社会主義国であるにもかかわらず階級格差が歴然としているのも妙な話だ。もっとも日本の方が変な平等意識がついてしまっているのだけなのだろうが。いったん構内を出て,外を歩くと駅の端の方に軟座専用候車室があった。絨毯敷きの落ちついた綺麗な候車室でソファに腰掛け,「これが一等軟座の旅だよな」と2人で苦笑しあった。軟座なら荷物検査も受けずにすむし,改札も硬座に先んじて受けることができる。昼食を取ろうとビュッフェに行くが食べたいものが「没有」ばかりなので,店を出て売店でクラッカーやジュースを買う。ちょっと妙な日本語も表示される電光掲示板に改札開始の表示があらわれ,改札に行く。

 ホームに行くと,規格が大きい日本の新幹線のさらに1.5倍はあろうかという巨大な列車が停車している()。しかも今までの「中鉄」のイメージを覆す綺麗な最新鋭の列車である。規格と言えば,かつて日本が初めて国有鉄道を敷設する当時,鉄道技師は欧米並みに広軌〜標準軌の採用を主張したが,ある政治家が「日本人は小柄だし,建設費が安く押さえられるので狭軌でいい」と主張したため,狭軌が採用された。しかし,スピード競争や輸送力の点で狭軌は劣ることから,後にその政治家は「狭軌でいい」と主張したことに対し「あれは失敗だった」と悔やんだ,というような話を道中で碧山老師とした。碧山師曰く,鉄道技師たちは果たせなかった自らの理想を実現すべく,大陸での鉄道敷設の際にもっとも理想的な規格を設定し,スケールの大きい設計をしたという。その遺産で現在の中鉄は高速・大量輸送が可能なのだろう。

 さて,乗車口では女性服務員が応対し,華やかな雰囲気を演出しており,座席はリクライニングシートで,側窓は大きな固定窓とおそらく中鉄の列車の中で最高級の部類に入るものであろう。あらためて乗車券をみると「特級(特急ではない)空調列車」とある。《海螺号》と名付けられたこの列車は14時03分に定刻通りに出発した。まもなく車内検札に「車長」が来,その後「空調係」の少年が空調の効き具合を確認するためだけに巡回してきた。確かに空調料金を払っているだけはあるが,まったく人が余っている国らしい職種だ。車内を見渡すと後方におつきの人とともに共産党の関係者らしき人物がおり,車長がへこへこと挨拶をしていた。車長は挨拶の後,女性服務員に党幹部に湯茶の接待をせよというようなことを命じていたが,女性服務員が一向に持ってこないので車長自らが湯茶を運び,接待していた。われわれはペプシコーラとクラッカー,台湾でも売られていた旺〜旺というおかきでお腹を膨らませた。このクラッカー,予想に反しておいしかった。

 快適な鉄路旅行もすぐに無錫に到着し,終了となった。無錫の駅前からミニバスに乗って運河飯店をめざす。あちこちで工事が行われており,支那の急激な経済発展の様子がここでもうかがえた。町中には上海同様,外資系の広告が幅を利かせており,「百事可楽」や「麦当労」の看板がいたるところで見受けられた。中都市といえども,民族色の濃い奥地の昆明に比べるとやはり街も住民も洗練されている。街の匂いからして違う。

 「運河飯店」と名付けられたバス停で下車するとその前には運河飯店はなく,電視台があった。出入りする人物の首からIDをぶら下げたラフな格好は,日本のそれとさほど変わらぬものだった。さて,肝心の運河飯店自体は木があって表通りからはすこし見えにくい位置にあり,見つけるまでに多少手間どってしまった。チャージに400元を支払ってチェックインし,すでに夕方になっていたので,部屋でテレビを見たり収支を計算したりして時間を過ごした。そのテレビ番組というのは日本語講座なのだが,かなり笑える代物だった。スキットは星新一の「エフ博士が寝ながら英語を学習できるという画期的な枕を開発して隣人に貸したが,寝言が英語になっただけだった」というショートショートを使っていて,そのエフ博士の演技がかなりのマッド・サイエンティストぶりで大笑いをした。製作は東映ビデオか東宝のどちらかで,日本で作られているようだった。

 腹もほどほどに空いてきたので,グリルで夕食を取ることにした。昆明の濃い味付けに少し飽きていた口も,上海風の味付けでまた食欲が湧いてきた。とはいえ,どの料理もラードで皿の縁がぎとぎとになるくらい脂っこいものであることにはかわりない。夕食後,近くにある無錫大飯店のあたりを散歩していると,道路に面した1階に清潔そうな広い売店があるので覗いてみる。無錫大飯店は無錫で一番高級なホテルで,20楼(20階)には日本料理店もある。そういったことから並んでいる商品は日本の品物や雑誌も多いが,驚くほど高かった。ジュースもきちんと冷やされており,コーラの他にはキリンの現地法人が作っている炭酸飲料「キリンレモン」「キリンアップル」「キリンライチ」などもあった。結局,ガムやお菓子,キリンライチ・キリンアップルを買って部屋に戻った。キリンライチは炭酸と程良く効いたライチ味で,食後の口中に爽やかだった。

 寝るまでに時間はまだまだあったので,ちょうど髪も伸びてきたことだし,と美髪室(理容室)に行ってカットをしてもらおうと思い立った。美髪室に行くと,女性が一人物憂げに葡萄を食べていた。料金はシャンプーが15元,カットが15元の合計30元。で「どのようにカットするのか」と訊いてくるので,具体的に説明するのは困難だし,支那人になりきってしまうのもいいかと思い,紙に「流行的頭髪於上海」と書くと「わかった」というように作業を始めた。ところがこの女性,非常にカットが下手で,ざくざく引っ張るように切っていき,おまけに体を密着させてくる。高校の時のパンクな英語教師がしていた「韓国の床屋ではカットする女の子がそーゆーサーヴィスをするんですよー。表の回転灯の回転が速ければ速いほどサーヴィスも濃厚なんです」という嘘か誠かわからぬ話を思い出して「これは外国人とわかったので《色情服務》をするのでは」と内心ひやひやしたが,当然ながらナニもおこらなかった。関係ないが,この女性もそうであったように支那の女性はノースリーブを着用していても腋下の処理をしないようだ。さて,仕上がってみるとなんとも面妖なヘアスタイルになっていた。襟足を伸ばし,前は全体的に立ちあげてバック。このヘアスタイル,どこかで見たことあるなあと記憶を辿れば,現在四川大学に留学中の支那好きの知人・S君のそれに酷似していた。支払時,女性に琺瑯のボールに入った葡萄を勧められるが,衛生的な観点から断った。部屋に戻ると碧山老師からの高笑が待っていた。

註:
 碧山老師に後日指摘されたのだが,中鉄の車両の規格は新幹線とほぼ同じだそうだ。ただ,プラットホームの高さが客車用のため低いので,下から見上げるような格好になり車両が大きく見えたのかもしれない。