[23-08-1997]中国 #8 ‐ 蘇州・上海

盤門からみた呉門橋全景。この橋は清代に立て替えられたらしい。
呉門橋を渡るには登り下りがあるので荷物を持っている人は一苦労だろう。
呉門橋から見る運河では朝靄の中,艀が行き交っている。

朝,タクシーを拾って昨日行けなかった盤門に向けて出発する。曇りがちでよどんだ空気の蘇州だが,さすがに朝の空気は澄んでいて気持ちがいい。タクシーの運転手が快調に飛ばしたのでわずかな時間で盤門の横にある呉門橋に到着した。呉門橋はアーチ型の石橋で,下を船が通ることのできるようにかなりの高さとなっている。そのため,橋を通行する者は階段を上り,またすぐ下らなくてはならない。

盤門の全景。
クリークの岸に柳が見える。魯迅の小説のような風景

橋の上から見る景色は朝靄と運河を航行する艀の組み合わせによって「いかにも蘇州」といった風情であった。橋を下り,盤門の售票所へ行く。朝早かったのでまだ開いていないようだったが,少し待って票を買った。盤門は城壁都市ならではの建築物で,運河に水門を設けて敵の侵入を防ぐために作られたらしい。盤門の周りの城壁の上をすこしぶらぶら歩いて,昔の支那人の気分になってみる。上からクリークをのぞいてみると,立ち並ぶ土壁の小汚い民家の横に柳が水面に垂れており魯迅の小説の一節のようだった。

唐代に作られた石橋,宝帯橋。

盤門を後にしてタクシーを拾い,次は唐代に作られた石橋である宝帯橋に向かう。サンダー杉山似 (山谷初男似かな?) のマッチョな運転手に少したじろぐも,普通の人物だった。宝帯橋はかなり辺鄙なところにあり,徒歩や夕刻に行くのは危険であると思うのでタクシーを利用した方がよいだろう。到着したが,タクシーを捨ててしまうと帰れなくなるので,タクシーを待たせて置いてぶらぶらして橋を見る。周りは運河と池のようなところで何一つないような場所だ。再びタクシーに乗って市内に戻る。タクシーの運転手は市内観光を勧めるが,こちらはそんな気はないので断った。

市街地で朝食をとることにするが,適当な食堂が見つからない。やむをえず,今回二度目の外資系ファストフード店「功徳基」すなわちケンタッキーに入る。メニューを見ても中文表記なのでいまひとつよくわからないがフライドチキンとコーラ,それに「土豆泥」を頼む。「土豆泥」が一体ナニか見当もつかなかったが,ケンタッキーでそう訳の分からないモノを出すこともなかろうと決めた。結論から先に言うと単なる「ポテトスープ」なのだが,字ヅラがあまりよろしくない。「土の豆」は馬鈴薯のことで,「泥」はポタージュのようにとろっとしたスープの性質を表しているのだろう。

フライドチキンの方は日本のそれと比べ,大きさはかなり小さい。上海での「麦当労」のフライドポテトも量が少なかったが,なぜか向こうのファストフード店は値段はかなり高額なのに量が少ない。こんな「高級店」の客層は午前中ということもあり,子供連れの主婦が目についた。なお,手洗いは日本とさほど変わらぬくらい清潔で,さすがは外資系ファストフード店だ。

さて上海に戻るため蘇州火車站に行き,切符を買おうとするがかなり混雑している。列に並び,いよいよあと数人というところでいきなり支那人が前に割り込んできた。一瞬呆気にとられたが,背中の荷物を引っ張って列から排除しながら「お前,何割り込んでるんだ」と日本語で怒鳴りつけると,にやにやしながらその場を去った。やはり旅行者ということで甘く見られているのだろう。やっと購入できることになったが,こちらの希望する列車はどれも「没有」で発券できない。結局,硬座の「無座」すなわち自由席の切符を買った。

コンコースはとにかく人で埋まっていて,無錫よりずっと乗客は多い。売店では様々な物が売られており,碧山老師は鉄道時刻表が売られていないか探していた。この駅の構造は中央コンコースをはさんで左右対称に「候車室」があり,列車によって待つ部屋が違うのでコンコースの電光掲示板で確認しなくてはならない。われわれが乗る予定の列車は候車室にある改札の電光掲示板によると20分の遅延だそうで,さらに人がふくれあがっている。椅子に座って待っていると,駅の職員らしき男性がワゴンにいろいろな雑誌などをおいて売りに来た。その中に先ほど碧山老師が買ったものの「どうも少し違う気がする」と言っていた鉄道時刻表の完全版が売られていたので,一緒に買うことにする。先に碧山老師が買ったものは一種のダイジェスト版だったようだ。

かなり待った揚げ句,改札が開始されるような雰囲気になり乗客が色めき立ってきた。候車室の構造は上海と同じで椅子がずうっと列になっているのだが,隣の列の方が改札が早いようだっだので椅子を乗り越えた刹那,わめくような支那人の中年女性が2人近づいてきた。そう「マナー取締官」だったのだ。しまったと思ったときはもう遅い。ちょんわちょんわと罵られながら ( あくまで主観 (笑)) 罰金を払えと言っているようだ。反則切符を切られ,罰金額は10元。日本円に換算したら大したことはないのだが,現地での貨幣価値が身に付いていたのでかなり痛い。列に並んでいる現地人の「あー,やられてるよ」というような同情の視線を感じた。

気にならないと言ってもやはり多少金銭的にも精神的にも不快感があったが,とにもかくにも列車に乗り,座席を探す。やはり普通の硬座車両は汚く,客もおそらく地方出身の家族連れが果物を食べているなど,いかにも人民の乗る二等客車といった風情だった。幸いにも空いている座席があり,腰を下ろす。窓が開いていたので風を受けながら上海まで車窓風景をのんびりと見ていたが,上海に近づき列車が速度を落とすに連れ,列車から乗客が投棄した線路上のごみが目に付いた。

上海站に到着。

上海站に到着し,路線バスに乗って次は外灘(Bund)をめざす。久しぶりの上海にやはり大都会であることを実感した。バスは人と自転車と自動車で輻輳する道路を通り,外灘近くにまで来たようだが降りる機会を逸してしまい,周りの景色が租界地然とした雰囲気から妙な下町にいつの間にか変わっていたので急いで降車する。どうやら豫園近くの中華路付近のようなので,とりあえず黄浦江沿いの中山東路にまで出ることにした。この日は黄浦江遊覧船に乗る予定であったので,船の発着場である十六舗碼頭に向かったが上海到着が遅れたため残念ながら遊覧はできなかった。さらに歩くと外灘沿いの近世ヨーロッパ建築群が視界に入り,帝国列強がひしめき合っていた時代の「上海バンスキング」「阿片の匂う娼館」など一人で妄想に浸っていた。

宿泊するホテルを当初,和平飯店 (Peace Hotel) と考えていたので,申込みにCITSに行く。大学生らしき日本人カップルが日本国内と同じようなラフな格好でいたので,ああいう手合いがカモになるんだろうなあ,と考えながら順番待ちをしていたら,女性が比較的上手に英語を駆使していたので,自らの英語力と比してみて見かけで判断してはいけないと少し反省。結局,和平飯店は思っていたより宿泊料が高額なので断念した。CITSを出て,ぶらぶらしていると2星級ホテル・東風飯店の面構えがなかなかよかったので入り,交渉してみると宿泊料もリーズナブルであり宿泊することに決定した。

ホテルのエレベーターは19世紀末のイギリスを彷彿とさせるまさに《鉄の籠》といったもので非常に趣があった。難を言えば照明などが全体的に暗く,部屋はもともとマンションかオフィスを改造したような感じでインテリアや部屋の作りにまったく配慮がなされていない点である。しかし,部屋自体はたいへん広く,窓も大きかったので,見晴らしのよい部屋を所望していたこともあって,外灘一帯・黄浦江・上海テレビ塔が一望できた。もっとも,上海特有の濁ったスモッグのため眺望自体大したことはない。

旧租界地区である外灘。にわか雨が上がった直後で,歩行者が少ない。

そうするうちに急に篠突く雨が降りだし,外灘にいた上海人や観光客たちもあっという間に消えてしまい,外出しようとしていたわれわれもテレビを見て時間をつぶすことにした。このテレビ番組がエキセントリックなモノで,日本で言うところの「警視庁潜入24時」に似たテイストなのだが,あちら版は取締側にのみ焦点を当てるのではなく,個別の事件に迫っていくのである。「**省**県で連続詐欺事件が発生し,捜査の結果何某が逮捕」というような話(もちろん逮捕現場もモザイクなしで,日本のように何某《容疑者》などとはいわない)がいくつも現れ「犯罪の防止には人民の日頃からの心がけ」的なスローガンで締めくくられる。話は脱線するが,だいたいこういう国情のところでは「犯罪抑止の見せしめ」的要素が強いので《犯罪分子》はさらし者にされることが多い。近いところでは韓国や台湾などでもそうである。韓国では犯罪者は白いチョゴリを着せられ,護送車から手錠姿でカメラの放列に晒され,取り調べ風景まで写される。

黄浦江の水面に見えるのはすべてゴミ。スモッグがひどく,浦東の東方明珠電視塔などもかすんでいる。

雨がやんだので,散歩がてら夕食を取りに出かける。現地での最後の晩餐ということもあり,けちけちせずにいこう,と胸を弾ませる。黄浦江沿いの黄浦公園をぶらぶらと歩き,行き交う船や川面などを見たりしていたが,黄浦江はとにかく汚いので驚いた。褐色の水面に無数の塵芥が浮遊しており,公園にいる支那人たちもジュースの缶やら紙コップを当然のごとく投棄している。この国ではバスや列車の窓からごみや唾を吐くことといい,とかくゴミ捨てに関する感覚が「自分の周りにゴミがなければいい」という非常にいい加減というか自分勝手な考え方のようだ。

南京東路から租界のヨーロッパ建築を見ながら繁華街を目指して歩くが,夕刻からはネオンサインが通りいっぱいに灯り,たいへん華やかになる。途中,蛇料理を供する店などもあったが,値段が高かったのと「ゲテモノはイヤだ」という碧山師の反対によりその店はパス。支那の料理店では,蛇や川魚などが肉料理に比べべらぼうに高いのが特徴である。川魚といっても雷魚や鯉などを蒸したり揚げたり回鍋にする程度などだが,なぜか高い。

結局,ほどほどの江蘇料理の店に入ったが,大きい店の割に所望する料理が「没有」なものも多かった。頼んだものは,無錫の運河飯店で他の卓の料理が間違って運ばれてきてそのときからうまそうだと思っていた「蓴菜(じゅんさい)のスープ」,昆明で食べて以来とりこになった「家鴨の舌の燻製」,メインディッシュにしようと思った肉料理がなかったため頼んでみた「蝦の水晶炒め」などである(他にも食べたのだが比較的記憶に残っているのがこれら)。「蓴菜のスープ」は黒胡椒がきいて予想に違わずおいしいものだった。ただし例に漏れず油っこい。日本でお澄ましや生食などに用いる蓴菜は芽からさほど成長していない物を使うせいか丸まっているが,あちらでは異なり大きく広がったものが用いられるようだ。「家鴨の舌の薫製」は昆明のものより素材がよいらしく,さらにおいしいものだった。「蝦の水晶炒め」はどんな料理か見当がつかなかったのだが,新鮮な小振りの蝦の殻をむいて軽い味付けで炒めたものであった。蝦の色合いが半透明で光っていたのでそのようなネーミングが施されたと思われる。かなり高い価格であったが,素材の味で勝負といったところで,文句なしに満足できる物だった。やはり上海という土地柄,全般的に味付けも上品で素材も新鮮だった。

食事の後は,再び南京路をそぞろ歩きして,ショッピングをする。といっても,女性のようにブランド物を買うわけでなし,外国に行くときの癖で書店とCDショップを冷やかす。美術書や書道関係などの品揃えが豊富であったが,いかんせん大きく持ち運びが大変そうなので見送ることにする。お国柄,毛沢東語録などの共産主義関係の全集類も多いが,売場は閑散としており,手にとって見ていたのは冷やかしの筆者だけだった。碧山師は岩波書店の『日中辞典』が約800円くらいであるのを見つけて購入し,一方わたしは文学コーナーに行き,日本文学を探してみた。そこでは大江健三郎や川端康成がかなり大きいスペースを占めており,なかでも川端康成は文集(全集のこと)が出ており,向こうでも人気が高いようだ。一冊16元の割には造本や紙もよくないが好きな話の収録されている物を買っておいた。一方,世界的に著名な日本人作家の一人である三島由紀夫はその政治的スタンスのせいかほとんどおかれておらず,無難な作品が数点あるのみだった。CDショップでは『東方紅』を探してみるが,売られていなかった。他の店でも探したがどこにもおいているところはなく,二胡のCDと国歌や式典曲が演奏されたCDを買った。値段は日本円で約1,500円程度とかなり高価な商品である。