神戸の——というより金宝酒家の思い出

昔,よく神戸に遊びに行っていた。大震災を境に街の様相も変わったが,久しぶりに立ち寄ると震災以前からまったく変わっていないところもあれば,さらに大きく変わったところもあったので,記憶を整理してみる。

神戸で中華料理というと南京町近辺のイメージが強いが,実際に値段と味のバランスがとれていておいしいのは中山手あたりの華僑がやってる店だと思う。元町高架下の丸玉食堂,鯉川筋とトアロードに挟まれたエリアには金宝酒家,友屋,群愛飯店,トアロードからちょっと東には鴻華園といった名店があり,どの店もそれぞれに特徴があって訪れるのが楽しみだった。

友屋は普通の定食屋のように見えて,豚バラ肉・牛バラ肉の汁そば,ごはんがおいしい隠れた——といっても昨今はもはや著名なといっていい——名店。

そのはす向かいにあった金宝酒家は緑の壁,真っ赤なドアに「18歳未満お断り」と書かれている上に,外から中の雰囲気がうかがえなかったので恐る恐る入ったところ,陽気なマスターのフレンドリーかつつかず離れずの絶妙な接客と田鶏(蛙)や野菜の炒め物のおいしさ,「中華料理も出すバー」といった風情のムードある店内でファンになった。そのほか,トイレには大村崑と一緒に撮った写真が貼ってあったり,エミール・ガレのランプ,華僑らしく大小さまざまな翡翠の置物があったのを覚えている。震災直後は近くで仮設店舗を設けて営業していた。

その後,金宝酒家があったブロック一帯は再開発で「トア山手 ザ・神戸タワー」というマンションが建設され,その一階に金宝酒家と向かいから移転した友屋が隣同士になった。移転後の様子についてはhttp://ikkhima.ko-co.jp/e40731.htmlが参考になる。

新装開店後,金宝酒家を訪れた際に以前と変わらずおいしい炒め物を味わいながら,これも変わらず絶妙な接客のマスターのウェスリー氏(彼はコックではなくオーナーだ。旧店舗ではオーダーを聞いて,厨房との間の小窓からコックに指示を出していた)とそのあたりの話を尋ねたところ,こんな経緯があったらしい。

もともとこの一角は以前から再開発の計画があったが,地権者の反対もあったりなかなか進んでいなかった。震災で風向きが変わり,再開発が一気に進捗した。金宝酒家も友屋も持ち分に応じて再開発ビル店舗の割り当てを受けたが,金宝酒家はそれにプラスして権利を買ったので店は友屋よりいくぶんか広い。金宝酒家じたいは震災以降人の流れが変わったのか客足が思うように戻らず,新装開店に際して店の雰囲気も以前のような秘密めいた感じから外からも見えるようにしてオープンな感じにイメージチェンジを図り,いままでなかったランチ営業も始めて幅広い客層にアピールしたい——。

現在も友屋は健在だが金宝酒家は2011年にウェスリー氏が亡くなり閉店したのをネット経由で知った。過ぎ去ったある時期の記憶を呼び起こすポインタそのものが過去のものとなってしまった。なお,昔の金宝酒家の西側にあった交差点にはホテルが2件並んでいたがこちらは双方とも健在で,再開発のおかげで入口に面した道路が拡幅され,しかも正面に店舗ができたのでカップルは出入りがしにくかろう。