朝,タクシーを拾って昨日行けなかった盤門に向けて出発する。曇りがちでよどんだ空気の蘇州だが,さすがに朝の空気は澄んでいて気持ちがいい。タクシーの運転手が快調に飛ばしたのでわずかな時間で盤門の横にある呉門橋に到着した。呉門橋は下を船が通ることのできるアーチ型の石橋で,橋を通行する者は階段を上り,またすぐ下らなくてはならない。
橋の上から見る景色は,朝靄と運河を航行する艀の組み合わせが「いかにも蘇州」といった風情だった。橋を下り,盤門の售票所へ行く。朝早かったので営業開始を少し待って票を買った。盤門は城壁都市ならではの建築物で,運河に水門を設けて敵の侵入を防ぐために作られたらしい。盤門の周りの城壁の上をすこしぶらぶら歩いて,昔の支那人の気分になってみる。上からクリークをのぞいてみると,立ち並ぶ土壁の小汚い民家の横に柳が水面に垂れており魯迅の小説の一節のようだった。
盤門を後にして,サンダー杉山似 というか山谷初男似というか,とにかくマッチョな風貌の運転手のタクシーを拾い,唐代に作られた石橋である宝帯橋に向かう。宝帯橋は辺鄙なところにあり,徒歩や夕刻に行くのはあぶなさそうなのでタクシーを利用した方がよいだろう。宝帯橋に到着後,タクシーを捨ててしまうと帰れなくなるので,タクシーを待たせて置いてぶらぶらして橋を見る。再びタクシーに乗って市内に戻る。タクシーの運転手は市内観光を勧めるが,こちらはそんな気はないので断った。
市街地で朝食をとろうとするが,適当な食堂が見つからない。やむをえず,今回二度目の外資系ファストフード店「功徳基」すなわちケンタッキーフライドチキンに入る。メニューを見ても中文表記なのでいまひとつよくわからないがフライドチキンとコーラ,それに一体ナニか見当もつかなかったが,ケンタッキーでそう訳の分からないモノを出すこともなかろうと「土豆泥」を頼む。結論から先に言うと単なるポタージュで,「土の豆」は馬鈴薯,「泥」はとろっとしたスープの性質を表しているのだろう。
フライドチキンは日本のそれと比べ,大きさはかなり小さい。上海での「麦当労」のフライドポテトも量が少なかったが,向こうのファストフード店は値段はかなり高額なのに量が少ない。こんな“高級店”の客層は午前中ということもあり,子供連れの主婦が目についた。なお,手洗いは日本とさほど変わらぬくらい清潔で,さすがは外資系ファストフード店だ。
さて上海に戻るため蘇州火車站に行き,切符を買おうとするがかなり混雑している。列に並び,いよいよあと数人というところでいきなり現地人が前に割り込んできた。一瞬呆気にとられたが,背中の荷物を引っ張って列から排除しながら「お前,何割り込んでるんだ」と日本語で怒鳴りつけると,にやにやしながらその場を去った。やはり旅行者ということで脇が甘く見られているのだろう。やっと自分たちの番になったが,こちらの希望する列車はどれも「没有」で発券できない。結局,硬座の「無座」すなわち自由席の切符を買った。
コンコースはとにかく人で埋まっていて,無錫よりずっと乗客は多い。売店ではさまざまな物が売られており,同行の友人は鉄道時刻表が売られていないか探していた。この駅の構造は中央コンコースをはさんで左右対称に候車室(待合室)があり,列車によって待つ部屋が違うのでコンコースの電光掲示板で確認しなくてはならない。われわれが乗る予定の列車は候車室にある改札の電光掲示板によると20分の遅延だそうで,さらに人がふくれあがっている。椅子に座って待っていると,駅の職員らしき男性がワゴンにいろいろな雑誌などをおいて売りに来た。その中に先ほど友人が買ったものの「どうも少し違う気がする」と言っていた鉄道時刻表の完全版が売られていたので,一緒に買うことにする。先に友人が買ったものは一種のダイジェスト版だったようだ。
かなり待った揚げ句,改札が開始されるような雰囲気になり乗客が色めき立ってきた。候車室の構造は上海と同じで椅子がずうっと列になっていて,隣の列の方が改札が早いようだっだので椅子を乗り越えた刹那,わめくような中年女性が2人近づいてきた。そう「マナー取締官」だったのだ。しまったと思ったときはもう遅い。ちょんわちょんわと罵られながら(あくまで主観)罰金を払えと言っているようだ。反則切符を切られ,罰金額は10元。日本円に換算したら大したことはないのだが,現地での貨幣価値が身に付いていたのでかなり痛い。列に並んでいる現地人の「あー,やられてるよ」というような同情の視線を感じた。
気にならないと言ってもやはり多少金銭的にも精神的にも不快感があったが,原因は自分にあるのでしかたがない。ともかく列車に乗り,座席を探す。やはり普通の硬座車両は汚く,客もおそらく地方出身の家族連れが果物を食べているなど,いかにも人民の乗る二等客車といった風情だった。幸いにも空いている座席があり,腰を下ろす。窓が開いていたので風を受けながら上海まで車窓の風景をのんびりと見ていたが,上海に近づき列車が速度を落とすに連れ,列車から乗客が投棄した線路上のごみが目に付いた。
上海站に到着し,路線バスに乗って次は外灘(Bund)をめざす。バスは人と自転車と自動車で輻輳する道路を通り,久しぶりの上海にやはり大都会であることを実感した。外灘近くにまで来たようだが降りる機会を逸してしまい,周りの景色が租界地然とした雰囲気から妙な下町にいつの間にか変わっていたので急いで降車する。どうやら豫園近くの中華路付近のようなので,とりあえず黄浦江沿いの中山東路にまで出ることにした。この日は黄浦江遊覧船に乗る予定であったので,船の発着場である十六舗碼頭に向かったが上海到着が遅れたため残念ながら遊覧はできなかった。さらに歩くと外灘沿いの近世ヨーロッパ建築群が視界に入り,帝国列強がひしめき合っていた時代の「上海バンスキング」「阿片の匂う娼館」など一人で妄想に浸っていた。
宿泊するホテルを当初,和平飯店(Peace Hotel)と考えていたので,申込みにCITSに行く。大学生らしき日本人カップルが日本国内と同じようなラフな格好でいたので,ああいう手合いがカモになるんだろうなあ,と考えながら順番待ちをしていたら,女性が比較的上手に英語を駆使していたので,自らの英語力と比してみて見かけで判断してはいけないと少し反省。結局,和平飯店は思っていたより宿泊料が高額なので断念した。CITSを出て,ぶらぶらしていると2星級ホテル・東風飯店の面構えがなかなかよかったので入り,交渉してみると宿泊料もリーズナブルなのでここに泊まることに決めた。
ホテルのエレベーターは19世紀末のイギリスを彷彿とさせるまさに《鉄の籠》といったもので非常に趣があった。難を言えば照明などが全体的に暗く,客室はもともとマンションかオフィスを改造したような感じでインテリアや作りはいまいちだった。しかし,部屋自体はたいへん広く,窓も大きかったので,見晴らしのよい部屋を所望していたこともあって,外灘一帯・黄浦江・上海テレビ塔が一望できた。もっとも,上海特有の濁ったスモッグのため眺望自体大したことはない。
そうするうちに急に篠突く雨が降りだし,外灘にいた上海人や観光客たちもあっという間に消えてしまった。外出しようとしていたわれわれもテレビを見て時間をつぶすことにした。このテレビ番組がエキセントリックな代物で,日本で言うところの「警視庁潜入24時」に似た内容ではあるものの,あちら版は取締側にのみ焦点を当てるのではなく,個別の事件の全体像に迫っていく構成になっている。「**省**県で連続詐欺事件が発生し,捜査の結果何某が逮捕」というような話がいくつも現れ「犯罪の防止には人民の日頃からの心がけ」といったスローガンで締めくくられる。だいたいこういう国情のところでは「犯罪抑止の見せしめ」的要素が強いので《犯罪分子》はさらし者にされることが多い。近いところでは韓国や台湾などでもそうだ。
雨がやんだので,散歩がてら夕食を取りに出かける。現地での最後の晩餐ということもあり,けちけちせずにいこう,と胸を弾ませる。黄浦江沿いの黄浦公園をぶらぶらと歩き,行き交う船や川面などを見たりしていたが,黄浦江はとにかく汚いので驚いた。褐色の水面に無数の塵芥が浮遊しており,公園にいる現地人たちもジュースの缶やら紙コップを当然のごとく投棄している。この国ではバスや列車の窓からごみや唾を吐くことといい,とかくゴミ捨てに関する感覚が「自分の周りにゴミがなければいい」という考え方のようだ。
南京東路から租界のヨーロッパ建築を見ながら繁華街を目指して歩くが,夕刻からはネオンサインが通りいっぱいに灯り,たいへん華やかになる。途中,蛇料理を供する店などもあったが,値段が高かったのと「ゲテモノはイヤだ」という友人の反対によりその店はパス。中国では蛇や川魚などが肉料理に比べてなぜか高い。
結局,ほどほどの江蘇料理の店に入ったが,大きい店の割に所望する料理が「没有」なものが多かった。いろいろ食べたなかで比較的記憶に残っているのが,「蓴菜(じゅんさい)のスープ」,昆明で食べて以来とりこになった「家鴨の舌の燻製」,メインディッシュにしようと思った肉料理がなかったため頼んでみた「蝦の水晶炒め」など。
「蓴菜のスープ」は無錫の運河飯店で他の卓の料理が間違って運ばれてきたときからうまそうだと思っていたが,黒胡椒がきいて予想に違わずおいしいものだった。ただし例に漏れず油っこい。日本ですまし汁や生食などに用いる蓴菜は芽からさほど成長していない物を使うせいか丸まっているが,あちらでは大きく広がったものが用いられるようだ。
「家鴨の舌の薫製」は昆明で食べたものより素材がよいらしく,さらにおいしいものだった。「蝦の水晶炒め」は新鮮な小振りの蝦の殻をむいて軽い味付けで炒めたもので,かなり値段が張ったが素材の味で勝負といったところで,文句なしに満足できる物だった。蝦の色合いが半透明で光っていたので「水晶炒め」なのだろう。やはり上海という土地柄,全般的に味付けも上品で素材も新鮮だった。
食事の後は再び南京路をそぞろ歩きし,外国に行くときの癖で書店とCDショップを冷やかす。書店は美術書や書道関係などの品揃えが豊富なのが印象に残った。毛沢東語録などの共産党関係の全集類も多いものの,売場は閑散としており,手にとって見ていたのは冷やかしの筆者だけだった。友人は岩波書店の『日中辞典』が約800円くらいであるのを見つけて購入し,一方筆者は文学コーナーに行き,日本文学を探してみた。そこでは大江健三郎や川端康成がかなり大きいスペースを占めており,なかでも川端康成は文集(全集のこと)が出ており,向こうでも人気が高いようだ。一冊16元の割には造本や紙もよくないが好きな話の収録されている物を買っておいた。CDショップでは『東方紅』を探してみるが,売られていなかった。他の店でも探したがどこにもおいているところはなく,二胡のCDと国歌や式典曲が演奏されたCDを買った。値段は日本円で約1,500円程度とかなり高価な商品にあたる。