今回の旅は小生と碧山老師,それにM氏の3人で弥次喜多を決め込んだが,台湾については3人ともが初めての訪問ということで全く問題はなかったものの,琉球については小生は未訪問,他の2人が訪問済みでしかも2人の間で琉球に対する温度差があるような状況だった。そこで前半琉球部分の旅程は各自がばらばらに行動し,那覇空港で集合するという展開になった。
かくして,小生と碧山老師は同時に船で琉球に向かい,M氏は集合の前日に航空機で那覇入りするという流れになった。なぜ,琉球と台湾の旅行がワンセットになっているのか? と疑問に思う向きもあろうかと思うが,地図を見ればわかるように両方とも意外と近く,当初は大阪~那覇~石垣~高雄(もしくは基隆)の有村産業の国際航路を利用して旅行をしようと考えていたのも理由の一つだった。
ということで,碧山老師と2人でまず琉球に向かうことにした。市営地下鉄とニュートラムを乗り継いでフェリーターミナル駅で下車する。長距離フェリーはここから発着するものの他,駅から2kmほど離れたかもめ埠頭で発着するものとがある。われわれが乗船しようとしていた『飛龍』はかもめ埠頭から深夜に出航するのでそこまで行く必要があったのだが,いかんせん駅から距離があり,また深夜の港は治安に不安があり徒歩では行けない。他の手段としては,1.連絡バス(無料)に乗る,2.市営バスに乗る,3.タクシーに乗る——の3つがある。ベストは連絡バスだが本数が少ない。市営バスも時間が限られている。碧山老師の下調べにより最終の連絡バスの時間がわかったので,われわれはそれを利用することにした。
連絡バスが来るまで時間があったので,フェリーターミナルで時間をつぶす。連絡バスに乗りかもめ埠頭に向かうが,あまり周知されていないらしく乗客は少ない。車窓からの風景は人っ子一人いず,倉庫が建ち並び大型トレーラーが大量に路上駐車してある典型的な港湾地区で,到底徒歩ではたどり着けそうにない雰囲気だ。かもめ埠頭の窓口で予約票を乗船券に交換してもらう。時間がかなりたち,どこからともなく乗船客が三々五々集まってくる。なにせ連絡バスに時間を合わせたので,出航時間までかなり間があり,さらに四方山話をしながら時間をつぶす。
やっと乗船時間になって,乗船客がぞろぞろと動き出した。「飛龍」は当時まだ新造船であり,設備もそれなりに充実していた。エントランスホールに入ると,制服を着た女性船員が一列に出迎えてくれた。この船の等級は下から順に,インサイドキャビン(2等船室)・アウトサイドキャビン(1等船室)・スイートキャビン(特等船室)となっており,それぞれ2段ベッドの定員6名と定員4名,スイートは定員2名である。スイート以外は基本的に相部屋となるが,フェリーによくある汚いカーペットの上での雑魚寝がないので2等であっても快適だろう。
われわれは豪勢に行こうということで,それぞれスイートキャビンを予約した。2名定員の船室に1名で宿泊すると料金は2名分払うのが普通であるが,この「飛龍」は1人で泊まっても1名分の料金でよいので,われわれは別々の部屋に泊まることにした。当時,大阪~那覇間の料金はインサイドキャビンで15,450円,アウトサイドキャビンで25,750~30,900円(これは4名定員に何人で利用するかによって変わる),スイートキャビンが38,620円である。はっきり言って航空機を利用したほうが遙かに早いし,早期割引を利用すればさらに安くなるものの,旅行は旅程そのものを楽しむ道楽でもあるので,のんびり豪勢に楽しもうとフェリーを選んだ。ちなみに「飛龍」ではスイートキャビンにしか部屋の鍵がかからない。
日付が変わった後にやや予定時刻より遅れて出航になり,離岸した。どの客も出航の様子を見ようとデッキに出ている。客層は学生や年輩者が大半で,われわれのような酔狂がいないとスイートキャビンを利用する者はほとんどいないだろう。船内に神式の結婚式場を設けたりしているところから,船会社としては新婚旅行にスイートキャビンを使ってもらおうとのもくろみがあったのかもしれない。部屋に戻りつまみを食べながら持ち込んだビールを飲み,碧山老師と那覇到着以降の予定などを話し,それぞれの部屋に分かれて寝た。