[02-11-1995]琉球・台湾 #3 ‐ 久高島

早朝5時過ぎに那覇新港に到着。港で客待ちをする白タクを横目に,徒歩で安謝橋バス停に行く。安謝橋バス停からバスに乗り,国際通りに向かう。碧山老師とは5日後の那覇空港での再会を期して県庁北口で別れた。

県庁前からほどなく歩いて那覇バスターミナルに到着する。馬天港を経由する与那原方面行きの市外線バスの発車まで時間があるので,途中のコンビニエンスストアで買っておいたおにぎりやお茶で軽く朝食を済まし,バスターミナルの中のコインロッカーに荷物を入れる。馬天港からは久高島に行く航路があり,今回はその久高島に行くことも旅の目的のひとつであった。

1時間ほどしてバスの発車時刻となり,40分ほどバスに揺られて馬天入口バス停に到着した。そのすぐ近くにある馬天港は接岸できる桟橋があるだけの簡素な港で,久高海運のプレハブ小屋で乗船券を買い,高速艇が来るのを待つ。

小型の高速艇「ニューくだか」が到着すると船員たちがまず生活物資などを積みおろしする。離島航路は島民の足だけでなく生活の命綱でもある。高速艇が離岸して港を出るとかなり波が荒く,船体は大きく上下する。天気はよいものの,前日からの時化が残っているらしい。久高島は外海にあり,意外と本島から距離もある。波頭を乗り越えていく小さい高速艇に若干不安を覚えながらも,髭とサングラスがブルータスのような船長の余裕ある表情から,この程度の時化では大したこともないのだろうと思うことにした。30分程度で久高島の徳仁港に到着した。港にはおんぼろな船が碇泊していたが,碧山老師に聞いた話では,高速艇の就航前にメインでがんばっていた「新龍丸」という船らしく,所要時間も2倍ほどかるそうだ。

あまり有名ではない久高島を訪れる気になったのか,という話をすこししてみよう。最初に碧山老師からの「久高島という妙な島に行った」という旅行譚から,いろいろ聞いたり調べたりしたところ,「琉球の始祖,アマミキヨが降臨した島」で「歴代の琉球王朝の王も本島の御嶽(うたき)から久高島に向かって礼拝する行事を欠かさなかった」り,「島全体がノロと呼ばれる女性シャーマンを中心とする共同体の所有物である」など非常に興味深いことがらが多くわかったので,旅行のコースに加えたのだった。実際,徳仁港には「この島は全域にわたって神域ですので云々」との看板もある。

徳仁港からまず南に向かって歩き,すぐ海岸に出ると海鼠の多さに驚かされた。とにかく,波打ち際に無数の黒い海鼠がいる。数匹の海鼠を突っついたり,引っ張ったり,水からあげて触ってみたりして遊んでみるが,どうもこの海鼠というやつは身を固くする程度の抵抗しかしないのであまりいじめるのもかわいそうだと思い,適当に切り上げて島内散策をすることにした。

島はさほど大きくないので,3時間ぐらいあれば縦断できると事前に碧山老師に教えてもらっていたので,島の最北端まで行くことにする。部落内は狭い路が入り組んでいるが,結局最後には1本にまとまるのでどの路をとってもかまわない。ここで,島内の自動車にナンバーがないのに気がついた。つまり島全体が共有地であるので,「公道」というものがなく,自動車はすべて「私有地」を走行していることになるからではないかと思う。

11月というものの,南国ゆえ日差しはきつい。島内は神域らしくあちこちに御嶽とよばれる聖地がある。また,山羊が飼育されているのも数か所で見かけた。おそらくそのうち山羊汁になるのだろう。

久高島で飼育されている山羊たち
久高島で飼育されている山羊たち。山羊汁になるのだろうか。

部落を抜けると,道も未舗装で椰子蟹とおぼしき蟹の姿なども見かけられる。途中,村人と2~3回すれ違った以外は誰とも出会わない。クバ林(これも神域らしい)の中の1本道を歩くこと数十分,島の北端に到着する。もちろん誰もいない。海鼠としばらく遊び,もと来た道を戻ることにした。

久高島のクバ林の中の一本道
久高島のクバ林の中の一本道。このような光景が2Kmほど続く。周囲は神域らしい。

徳仁港に戻り,高速艇が出る時間まで間があったので,ぶらぶらしてみる。この島の特産物はイラブー(海蛇)の黒焼きであるが(他にはスクガラスや鰹の塩辛など),この海蛇の漁業権はノロが独占していたそうだ。徳仁港のそばにもエラブ岩という海蛇の漁場があるのだが,今はイラブーの漁獲がどうなっているのかはわからない。ちなみに護岸工事などの徳仁港の改修工事を行った際,ノロが神様に「島の発展のためにおゆるしください」旨のお願いをしたそうだ。

徳仁港のエラブ岩
徳仁港の堤防から撮影。中央奥の方に見えるのがエラブ岩。港湾整備が行われる前は海蛇の漁獲地だった。

時間になり,出発した高速艇の乗船客のなかに小学校の先生と校長とおぼしき人物が乗っており,その教え子らしい子どもたちとなにやら会話を交わしていたが,方言のせいでまったく理解不能だった。馬天港に到着した後,バスで再び那覇バスターミナルに戻った。

ここで重大な忘れ物に気がついた。旅行の行程表を自宅に置き忘れたのだ。航空機や離島航路の時間を調べ上げて作成したものなのでこれなしでは旅行はかなり面倒になる。そこで,街角のコインファクスを利用して家人から行程表を送信してもらおうと目論むが,そういったサービスを行うところがない。この後石垣島に向かう便に搭乗する予定なので,若干あせりつつ国際通りを歩いているとパレットくもじに琉球放送のラジオのサテライトオープンスタジオがあるのに気がついた。ラジオといえば聴取者からのファクスである。オンエア中にもかかわらず,ファクスを貸してくれと曲の間にお願いしたところ,生放送が後15分ほどで終了するからその時ならば,と快いお返事をいただいた。本番終了までに腹ごしらえを,とパレットくもじの中ではじめてソーキそばを食べ,琉球放送のスタッフへのお礼の品を調達したのち,スタジオのファクスを借りて無事,行程表を入手した。まったく人騒がせな話であるが,琉球放送のスタッフには改めてお礼をいいたい。

ようやく行程表を手に入れ,那覇バスターミナルにからバスに乗り,米軍関連施設を車窓に見ながら石垣行きの飛行機に乗るため那覇空港に向かう。当時,那覇空港の国内線は第1ターミナルと第2ターミナルとに別れており(1999年5月より新旅客ターミナルの供用が開始された),離島路線は主に第2ターミナルを利用していたので,バスを第1ターミナルで降りた後に無料の空港内リムジンで第2ターミナルに行くと,日本トランスオーシャン(JTA)の石垣行きは第1ターミナル発だった。リムジンを待つより歩こうと,徒歩で向かうが結構距離がある。やっとの思いで第1ターミナルに着き,チェックインを済ませた。

石垣空港に到着し,空港の公衆電話から当日の宿の予約を取る。いくつかの候補地のうち,空きがあった宿に決定。市街地に向かおうとするが,空港からの交通手段はタクシーしかないようだ。空港から1kmほど離れたところに路線バスのバス停があるので,そこまで歩くことにした。バス停でかなり時間をつぶし,バスで市街地に入る。予約したホテルは古いが繁華街の中にあり,離島桟橋,バスターミナルの双方から近いので便利そうだ。チェックインして荷物を置き,夕食を取りに外出する。ガイドブックなどによく掲載されている郷土料理の「磯」という店に行き,セットものを頼む。味は可もなく不可もなく,といったところ。食後,町をぶらついてみるが,八重山の中心ということもあり,規模は小さいものの,商店街などもありなかなかおもしろいところである。