朝,ホテルから離島桟橋に向かい,波照間島行きの乗船券を買う。波照間島は八重山諸島の中でも少し離れたところに位置し,高速船で50分ほどかかる。外海に出るので波も高い。高速船に乗り,波照間港につく。周囲には何もなく,各民宿の迎えのワゴン車が数台とまっている。彼らは宿泊予約客を乗せるだけでなく,日帰りの観光客の客引きも兼ねており,これ幸いとレンタサイクルを利用したい旨を述べ,ワゴン車に乗り込んだ。波照間島にはいくつか部落があるが,これらの部落はすべて島の中心の高台に点在するため港からは少し距離がある上,登坂しなければならず,歩いて部落に向かうとけっこう時間も体力も消費する。
民宿に到着し自転車を借りようとするが,あいにくすべて出払っているとのことで,別のレンタサイクルをしているところを教えてもらう。名石の部落をふらふらと歩いていると,赤い瓦に珊瑚を積んだ典型的な琉球の民家がそこかしこにあり,那覇や石垣の市街地では味わえない風情を感じた。じっさい,部落内であっても道は未舗装の箇所もあり,自動車はほとんど走らないのに加え,なにかのんびりした空気が漂っている。
自転車を借り,島の中を巡ることにする。前述の通り波照間島は部落が高台にあり,周辺部はさとうきび畑となっていて,道路は周縁を一周するものと,高台から放射状に周縁に向かうものしかないので,いたってわかりやすい。まずは部落から西に向かって坂を下り,波照間製糖の製糖工場が眼にはいると外周道路につきあたる。進路を西側に取ると牛の放牧と亀甲墓が見られた。さらに進むとさとうきび畑が現れてきたので,その中へ入ってみる。道が整備されていないので,自転車で進むのに苦労する。次に,高那海岸にある日本最南端の碑に向かう。ここでの「日本最南端」は「有人島での」という意味らしい。
高那海岸を後にしてふたたび島の中心に向かおうとするが,やはり斜面を登っていくのは疲れた。途中,本土では見かけることのないような橙色の蝶を見かけ,休憩がてらその蝶を観察してみた。名石の部落に戻り自転車を返却し,ついでに波照間郵便局に立ち寄って,自宅に向け自分あてにはがきを出した。部落から港に向かい,波照間港から再び高速船で石垣に戻った。
石垣島に戻り,折り返し竹富島へ向かう。離島桟橋から竹富島へは所要時間10分で,高速船も30分ヘッドと頻繁に運転されている。竹富島は標高16m程度のひらべったい島で,その昔津波に呑まれ大惨事となったらしい。島は小さいので,自転車を借りずに徒歩で遊覧することにした。港から5分ほど歩いて部落に到着した。
観光用の牛車には乗らず,民謡「安里屋ユンタ」で知られる安里屋クヤマ生誕地や西塘御嶽をふらふらと歩いて見てまわった。小さい島の小さい部落なので,歩いてもさほど時間はかからない。赤山丘から部落を一望できる展望台にのぼり,眺望を楽しんだ。
あれこれ歩いているうちに空腹をおぼえてきたので,喫茶店に入り八重山そばを食べた。島の西側にはコンドイ浜という美しい浜辺があるので,店を出てふたたびそこまで歩くことにする。島の道は未舗装で,両脇にはハイビスカスの美しい花が咲いており,のんびりと雰囲気を味わいながら浜に到着した。あいにく曇天で全体的にくすんだ色合いであったが,やはり白い砂と碧い海の組み合わせは見る者を魅了するものがある。もう少し時期が早ければ遊泳できるのに残念だった。
部落に戻ると,井戸の周囲で老女たちがなにやら儀式めいたことをしているので話を聞くと「かつて生前にいつもこの井戸を使っていた人が亡くなったのでその人を祀ると同時に, その人が世話になった井戸にもお礼を言うため」のお祈りらしい。その後港に戻り,高速船に乗った。ツアーの観光客などで高速船は思いのほか混雑していた。
石垣離島桟橋に到着し,その足で即,宿に戻る。翌日の天気を確認し,夕食をとるために夜の町に繰り出した。前日は比較的あっさりした郷土料理を食べたので,今日はディープなものを食べてやろうと「汁料理専門」と看板を掲げた割烹に入った。店は時間がまだ早かったせいか,客は自分1人で店の人間も心なしかやる気がないように思えた(註:1999年7月に石垣島を再度訪問したときは違う名前の看板が掛かっていた)。お目当ての山羊汁はフーチバー(蓬)の入った味噌仕立てで,思ったより癖がなくおいしかった。この後,内地の琉球料理店で山羊汁を食する機会があったのだが,そのときは味噌仕立てではなく澄まし汁のようなもので,これは若干肉の臭いが感じられた。食後は八重山ミンサー織りの物産店などを冷やかして宿に帰った。