「memorandum」カテゴリーアーカイブ

文楽鑑賞メモ

  • 嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)花菱屋の段/日向嶋の段,艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)酒屋の段/道行霜夜の千日
  • 通し狂言 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)三段目・妹山背山の段 四段目・杉酒屋の段/道行恋苧環/鱶七上使の段/姫戻りの段/金殿の段
  • 国立劇場五十周年 寿式三番叟,一谷嫰軍記(いちのたにふたばぐんき)三段目 弥陀六内の段/脇ヶ浜宝引の段/熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
  • 七世竹本住大夫引退公演 増補忠臣蔵,恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)[引退狂言]沓掛村の段/坂の下の段,卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)平太郎住家より木遣り音頭の段
  • 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)道行恋苧環/鱶七上使の段/姫戻りの段/金殿の段
  • 傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)十郎兵衛住家の段,冥途の飛脚(めいどのひきゃく)淡路町の段/封印切の段/道行相合かご
  • 傾城反魂香(けいせいはんごんこう)土佐将監閑居の段,艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)酒屋の段,壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)阿古屋琴責の段
  • 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)椎の木の段/小金吾討死の段/すしやの段,五十年忌歌念仏(ごじゅうねんきうたねぶつ)笠物狂の段,菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺入りの段/寺子屋の段,日本振袖始(にっぽんふりそではじめ)大蛇退治の段
  • 曾根崎心中(そねざきしんじゅう)生玉社前の段/天満屋の段/天神森の段
  • 日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)渡し場の段,舌切り雀

歌舞伎鑑賞メモ

上から新しい順。鑑賞教室ばっかりだなあ。それ以外もほとんど幕見。

  • 菅原伝授手習鑑‐車引‐,棒しばり(歌舞伎鑑賞教室)
  • 日本振袖始(歌舞伎鑑賞教室)
  • 義経千本桜 2部いがみの権太 すし屋 3部狐忠信 道行初音旅・川連法眼館(歌舞伎座)
  • 新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)―魚屋宗五郎―(歌舞伎鑑賞教室)
  • 籠釣瓶花街酔醒(歌舞伎座)
  • 十七世中村勘三郎二十七年忌、十八世中村勘三郎三年忌追善 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺子屋(歌舞伎座)
  • 傾城反魂香(けいせいはんごんこう)土佐将監閑居の段(歌舞伎鑑賞教室)
  • 蘆屋道満大内鑑(歌舞伎鑑賞教室)
  • 歌舞伎座新開場 杮葺落六月大歌舞伎 御存 鈴ヶ森,助六由縁江戸桜
  • 紅葉狩(歌舞伎鑑賞教室)
  • 毛抜(歌舞伎鑑賞教室)
  • 俊寛(歌舞伎鑑賞教室)
  • 壽 初春大歌舞伎 矢の根,連獅子,神明恵和合取組 め組の喧嘩
  • 日本振袖始,曾根崎心中
  • 義経千本桜 渡海屋の段・大物浦の段(歌舞伎鑑賞教室)
  • 義経千本桜 河連法眼館の段(歌舞伎鑑賞教室)
  • 鳴神(歌舞伎鑑賞教室)

ウェブ版iCloudのカレンダーに祝日を表示させる方法の覚書

Macのカレンダー.appで「日本の祝日」を照会する設定にしていれば,同期してiOSデバイスのスケジューラでも祝日が表示される。ところが,ウェブブラウザでicloud.comにログインして,ウェブアプリのカレンダーを見る際,祝日が表示されないのでいささか不便に感じていた。

調べてみると以前からウェブ版iCloudはこういう仕様のようで対処方法が見つかった。いずれも記述が若干古いので,2019年現在の手順をメモ。

1.日本の祝日のicsデータを入手

以下のリンク先からMacにicsファイルをダウンロードする。
http://ical.mac.com/ical/Japanese32Holidays.ics

2.カレンダー.appに祝日データを読み込む

カレンダー.appを起動し,[ファイル]‐[新規カレンダー]から「iCloud」を選択。古いユーザだと「iCloud」ではなく「MobileMe」になっているかもしれない。

カレンダー一覧に新規カレンダー「名称未設定」が表示されるので,適宜「祝日」などとリネームし,その新規カレンダーを選択したまま,[ファイル]‐[読み込む…]からダウンロードした「Japanese32Holidays.ics」を読み込む。

3.最後に

このままだとカレンダー.appに読み込んだ祝日と既存の「日本の祝日」が重複して表示されるので,新しく読み込んだほうの祝日カレンダーのチェックを外しておく。iOSデバイスでも同様。また,カレンダーの色を祝日らしい色に変えておくと見やすい。

なお,このicsを利用した祝日カレンダーには2019年4月末から5月初頭にかけての天皇陛下即位に関連した祝日が含まれていなかったので,今後もときおり設定されている祝日を確認したほうがよいように思われる。

フランスAntenne2のニュース(1987-1991)のメモ

フランスのテレビニュースは,TF1,France2とも昼のニュースjournal de 13 heures(JT13H*)が13時に,夜のメインニュースjournal de 20 heures(JT20H*)が20時にそれぞれオンエアされる。朝は情報番組のなかで30分おきに数回,深夜は24時ごろにそれぞれ短いニュースがオンエアされる。

*JT:Journal télévisé,つまりテレビニュース。

ちなみに,イギリス・BBCは昼のニュースが13時,夜のメインニュースは21時放送となっている。

France2はフランス政府100%出資のFrance Télévisionsが運営するテレビ子会社で,かつての局名はAntenne2(A2,アンテンヌ2)だったが1992年に組織改編される際に名称も改められた。ここではA2の1987年から1991年ごろまでのニュース番組についてつらつら書いてみる。

前史

1970年代後半から1980年代前半にかけてPatrick POIVRE D’ARVOR(PPDA)がA2のJT20Hを担当していた。フランソワ・ミッテラン政権下でTF1が民営化された1987年,PPDAはA2からTF1へと移籍し,20Hを担当するようになった。

PPDA担当時のJT20H。サイケなアニメーションのオープニング。
ちなみに,PPDAは後年A2やTF1のニュース番組のアンカーだったClaire CHAZALと関係を持ち,2人の間には私生児がいると話題になった。

1987-1989

A2はTF1に対抗すべく,Henri SANNIERを20Hの担当に据え,ニュース番組のスタジオセットとオープニングを統一感のある斬新なものに一新。なお,13HはWilliam LEYMERGIEとPatricia CHARNELETのコンビが続投している。

1987-1989 メディアアーティストのDavid NILESが手掛けたオープニングはすべてのニュース番組で共通。サブリミナル映像が含まれると指摘されたバージョン。CGをDavid NilesがYouTubeにアップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=zGIFKzZYKUo)。

1988年,「オープニングCGにおいて,A2ロゴの“2”の部分にミッテラン大統領の顔が1コマ映り込むサブリミナル効果が施されている」と報じられ,大問題となる。これを受け,ロゴの表面を平滑化する処理をほどこしたCGに差し替えられた。

この間,テロップシステムの更新や,20Hの担当がChristine OCKRENTとHervé CLAUDEが週替わりの二頭体制になるなどの変化がみられている。なお,アンカーの詳細はListe des présentateurs du Journal de 20 heures de France 2Liste des présentateurs du Journal de 13 heures de France 2を参照。

ロゴのCGが修正された後のオープニング。テロップシステムも更新されている。担当はPhilippe LEFAIT。

1989-1991

音楽はそのままでオープニングCGをリニューアルするとともにスタジオセットも改修。リニューアル後,すぐに“le journal”の筆記体ロゴが白く縁取られる手直しが入る。理由は不明だが,視認性の向上ではないかと推察。

こちらはChristine OCKRENTが担当している20Hの映像。手直し前のロゴは,深夜のフラッシュニュースの動画https://www.youtube.com/watch?v=XBfmvZUGCf4でみることができる。

その他

Henri SANNIER担当番組での演出

1987年のリニューアル以降,番組冒頭に立ってポケットに手を入れたHenri SANNIERがコメントしてからオープニングが始まるなど,彼の担当番組を中心に演出面でも新規性を打ち出した。もっとも,日本のニュース番組のように,BGMに派手な音楽を流したりするわけではなく,スタジオの照明やカメラワーク,合成背景のデザインなどに工夫がみられた。

1990年にHenri SANNIERは13Hの担当となり,またしても冒頭はセットに立ったまま株価や天気を紹介,ニュースを伝える際はブルーバックの背景にセットを合成するなどの演出を施した。こういったこじゃれた演出は1991年ごろには行われなくなった。

05:30くらいから13Hと似た感じの演出の深夜ニュース。

エンディングあれこれ

タイトル音楽が鳴り続け,終了しないのでデスクの下に隠れるHervé CLAUDE。現地のNG特集のような番組でも取り上げられていたこの映像は,INA(Institut national de l’audiovisuel,フランス国立視聴覚研究所)がアップロードしており,こんなものまで収集・公開するフランスのセンスは好きだ。

新年の放送(1er janvier 1988)でシャンパンで乾杯するPatricia CHARNELET。アンカーが酒を呑むニュース番組もそうそうなかろうかと。そういえば,『ニュースステーション』の最終回で久米宏がビールを呑んでいたのを思い出す。

ホーチミンシティ市内での路線バスの乗り方 ‐ ベトナム旅行番外編

サイゴン(ホーチミン)旅行では時間に余裕があるので市内の移動には路線バスを活用した。タクシーは初乗り10,000VNDくらいからだが,路線バスは基本的に5,000VND均一で本数も多いし,タクシーのようにぼったくられる心配もない。路線バスは経路が複雑でかつバス停の位置もわかりにくいので乗りこなすのが難しそうに見えるが,バスの運行システムがIT化されているようで文明の利器を活用すればさほどハードルは低くない。

1.現在地と目的地を結ぶ路線を把握する

 (a) スマートフォンアプリを利用する

「BusMap」のスマートフォンアプリが,iOS,Android,WindowsPhone向けにそれぞれ提供されている。これが一番手っ取り早いかもしれない(iOS版,Android版,WindowsPhone版)。利用方法は下記のウェブサービスと同様。

 (b) バス系統図を見る

ツーリストインフォメーションセンターで無償配布されている「ホーチミン市トラベルマップ」の裏面には市バスマップが掲載されているので,それを見ておおよその現在地から目的地を通る系統を探す。ただし,系統図なので地図が抽象化されていて,地図を読むのが苦手な人には難しいかもしれない。ターミナルや観光スポットには日本語表記が添えられているが,通りの名前などはベトナム語表記である点にも注意。

 (c) ウェブサービスを利用する

交通局が運営する「BusMap」で出発地と目的地を指定すると,適当な路線をナビゲートしてくれ,出発地バス停でのおおよその待ち時間も表示される。

BusMapのナビゲーション画面
BusMapのナビゲーション画面。9月23日公園からハイバーチュン通りまで行く場合の経路案内。19番バスの経路と途中のバス停がプロットされている。

また,GoogleMapでバス停のアイコンをクリックすると,そのバス停に停車するバスの系統番号と行き先,運転間隔が表示されるので便利だ。これも現在地近辺のバス停と,目的地近辺のバス停で見当をつけて調べればどの系統に乗ればよいかがわかる。通りの名前などはベトナム語で表記されている。

GoogleMap
GoogleMapでバス停をクリックすると,経由する系統とその運転間隔が表示されるので便利。

2.バス停に行く

BusMapかGoogleMapで位置をつかめばほぼ正確。ただし,1つの停留所でも系統別に乗り場が分かれていることがあるので注意する。一例を挙げると,「ハムギー通り」バス停は東行きが6つ,西行きが5つバス停があるので,GoogleMapで自分が乗りたい系統のバスがどのバス停に停まるか確認し,また現地でバス停の表記を確認しないと,目の前をバスが次々と通過する羽目になる。

3.乗車して運賃を払う

バスには行き先と系統番号が前面に掲示されている。行き先はベトナム語だが,系統番号さえわかれば問題はない。乗車後,運転手か車掌に5,000VDN払うと領収書代わりの切符が手渡される。ガイドブックでは「大きい荷物がある場合,割増運賃を請求される」とあったが,機内持ち込み可能サイズの荷物しかなかったので追加料金を請求されることはなかった。降りるときは押しボタンを押す。乗車時にどこで降りるのか訊かれて目的のバス停に停まったら乗務員が声をかけてくれることもある。

なお,タンソンニャット国際空港‐市内を結ぶ路線バスは,125番系統が5,000VDN,49番系統(★)は40,000VDNと運賃が異なる。前者は通常の路線バスだが,後者は空港利用者向けで停車する停留所が限定されている。

注意 49番系統のバスは2018年6月で運行が休止されたもよう。
Tạm ngừng hoạt động tuyến xe buýt không trợ giá số 49(ベトナム語)
バス運行を一時停止(Google翻訳)

49番バスの路線図
タンソンニャット国際空港から市内へ向かう49番バス(現在は運休中)の路線図。市民劇場へ行くならNo.5で下車する。

サイゴン(ホーチミンシティ)に行ってきた

 またも有効期限切れが近づいてきたマイルを消化するため海外見物に出た。前回は澳門と香港だったので,中国以外の都市をマイレージプログラムのチャートと夏休みと空席状況を見ながら検討した結果,中華文化とメコン文化と植民地時代のフランス文化が微妙に混じり合うベトナムのホーチミンシティ(現地では旧称のサイゴンのほうが通りがいいので以下サイゴン)に行くことにした。
 ついでにサイゴンから陸路で半日あればたどり着けるカンボジアのプノンペンにも行ってみようともくろんだが,ベトナムへ再入国する際のビザの制限などを考えて断念した。
 ともあれ,ベトナムはなかなかおもしろいところで,今度はサイゴンだけでなく中部のリゾート地などもあわせて再訪してみたい。
※ 詳細は[08-2017]ベトナム(ホーチミンシティ)#1にて。

西海岸〜欧州〜東海岸と迷走したヴィレッジ・ピープル

 1970年代末のディスコブームに乗り,「Y.M.C.A.」や「In the Navy」など世界的に大ヒットを飛ばしたVillage People(ヴィレッジ・ピープル)。ディスコブームが終焉を迎えたあと,てっきり自然解散をしていたものと筆者は思っていたが,ニューウェイブ/ニューロマンティック路線に転向,1981年にアルバム『Renaissance』をリリースしていた。

 ホモのイメージを前面に押し出し,メンバーの扮装もマッチョなコスプレだったディスコ時代と打って変わって,イギリスに河岸を変えてカルチャークラブあたりゲイカルチャーを意識した白塗りにつけぼくろとがらりとイメージチェンジを図る(上記リンク先画像参照)。とはいえ,胸毛をさらけだしたり,髭ぼうぼうだったりと“ヴィレッジ臭さ”が抜け切れていないところがご愛敬。

 なお,当時土方の扮装だったDavid Hodoのインタビューによると,「メンバーごとに赤や黄のレザーの衣装にするか,アダム・アントやスパンダー・バレエのようなニューロマンティックルックにするかで,後者を選択した」とのこと(Under the Hard Hat: An Interview with Village People’s David Hodo)。

 このアルバムのメイン・ボーカルはRay Simpsonだが,「Food Fight」1曲だけDavid Hodoがボーカルを担当している。「Food Fight」は荒々しいシンセにシャウトするボーカルと,ここだけまるでパンク。本人は上記インタビューで「Food Fightは最悪だった」と語っているが,「斬新なパンクロックの名作」と評価する向きもあり(‘Food Fight’: The Village People’s stupefying punk rock masterpiece!),今後再評価が進むことを期待したい。

 さて,当時シングルカットされた「Do You Wanna Spend the Night」(B面は「Food Fight」)の日本版にある解説をみてみよう。

「常に時代の最先端にあって,流行を作り続けてきた男達が,今俺達に新たな提案を掲げた… それは,男のルネッサンス。男は男であり続け,しかも限りなく美しくあれ。ヴィレッジ・ピープルはクリスタルな女たちよりも,もっと先へ行ってしまった。アメリカン・ポップをリードしながら,どこかしらユーロピアン・フレーバーを漂わす音作り。(中略)ヴィレッジ・ピープルからの提案,君はどうする?」

 「どうする?」と訊かれても,いやあれを美しいというにはかなり無理がありますよ,提案と言われましてもねえ——としか答えようがないが,このとってつけた感じの解説から,マッチョ+ディスコから一転ニューロマ風味のニューウェーブへと急激なイメージチェンジを図ったヴィレッジ・ピープルに対するレコード会社の苦慮ぶりがうかがえる。セールス面でも振るわず,ずっと50位以上をキープしてきたビルボードチャートも最高138位にとどまる結果となった。

 1982年発売の次のアルバム『Fox on the Box』(アメリカでは『In the Street』としてリリース)では「Play Bach」でヒップホップを導入するなどストリート系の要素をプラスしつつ再びマッチョ+ディスコの西海岸路線に軌道修正。ヒットの夢よ再び,とばかりにメインボーカルもディスコ時代のVictor Willisが復帰。ところがこれも時代との乖離が原因なのかセールス面ではさらに苦戦,チャートにランクインすらしなくなった。

 西海岸,欧州路線でだめなら次は東海岸だ,とばかりに「NewYork city」を収録したラストアルバム『Sex over the phone』を1985年にリリースする。今まで“地方の州警察”といった趣だったコップ(警官)の衣装も“ニューヨーク市警察”っぽい衣装にチェンジするなど都会派の雰囲気を演出。トラックもホール&オーツを意識したかのようなシティポップやハイエナジー風のサウンドにシフトするが,ここでもやっぱりサビのコーラスでは相変わらずのヴィレッジ節がほほえましい。

 アメリカでは目立ったヒットこそなかったものの,イギリスではチャートインし,ドイツではテレビ出演も果たすなど欧州を中心に一定の盛り上がりはあったようだ。「海軍やYMCAでサカってると流行りのエイズになるからテレフォンセックスでセーフティ!」ということなんだろうか,テレフォンセックスを題材に取ったアルバム表題曲「Sex over the phone」(邦題「恋のバッキン・テレフォン」)のPVはテレクラやインターネット時代の出会い系を予言したかのよう。

 このようにディスコブームが去ってからのヴィレッジ・ピープルの迷走ぶりは目を覆うばかりだが,中には面白い曲もあり,プロデューサーのジャック・モラリはその時々のトレンドを注入しようとしたのだろう。『Renaissance』でのヴィレッジ・ピープルの紫色のロゴはプリンスの『Purple Rain』のジャケットに受け継がれ,「Sex over the phone」に挿入される電話のプッシュトーンはKraftwerkの「Der Telefon-Anruf」が収録された『Electric Café』のリリースより1年早い。また,「Food Fight」はパンクからニューウェーブへの正当な進化を遂げたトラックといえる。

 後世から見ると迷走期のヴィレッジ・ピープルは時代を先取りしていたようにも思えるが,最盛期のイメージがあまりに強すぎて,最後まで色物扱いだったのが気の毒だった。

久しぶりの沖縄旅行

旅行といっても所用で那覇に行くついでに現地で遊ぶことにしたので純粋な観光目的ではないけれど,レンタカーを借りて北部の大宜味村までドライブしたりとなかなか楽しかった。気になったのは国際通り近辺で,妙に小綺麗な店や内地資本とおぼしき商店が幅を利かせ,かつての南国らしい雑多な雰囲気が薄れてしまったのがもったいない。牧志のマルフクレコードはずいぶん前に閉店したと聞くし,歩いた中では民芸品店も1店舗のみと絶滅寸前。昔,芭蕉布の小銭入れを買ったあの民芸品店はいつなくなったのだろう。

——と,昔を偲んで感傷めいたことがつい口から出るのはなんだか年寄りくさくっていけないな。

神戸の——というより金宝酒家の思い出

昔,よく神戸に遊びに行っていた。大震災を境に街の様相も変わったが,久しぶりに立ち寄ると震災以前からまったく変わっていないところもあれば,さらに大きく変わったところもあったので,記憶を整理してみる。

神戸で中華料理というと南京町近辺のイメージが強いが,実際に値段と味のバランスがとれていておいしいのは中山手あたりの華僑がやってる店だと思う。元町高架下の丸玉食堂,鯉川筋とトアロードに挟まれたエリアには金宝酒家,友屋,群愛飯店,トアロードからちょっと東には鴻華園といった名店があり,どの店もそれぞれに特徴があって訪れるのが楽しみだった。

友屋は普通の定食屋のように見えて,豚バラ肉・牛バラ肉の汁そば,ごはんがおいしい隠れた——といっても昨今はもはや著名なといっていい——名店。

そのはす向かいにあった金宝酒家は緑の壁,真っ赤なドアに「18歳未満お断り」と書かれている上に,外から中の雰囲気がうかがえなかったので恐る恐る入ったところ,陽気なマスターのフレンドリーかつつかず離れずの絶妙な接客と田鶏(蛙)や野菜の炒め物のおいしさ,「中華料理も出すバー」といった風情のムードある店内でファンになった。そのほか,トイレには大村崑と一緒に撮った写真が貼ってあったり,エミール・ガレのランプ,華僑らしく大小さまざまな翡翠の置物があったのを覚えている。震災直後は近くで仮設店舗を設けて営業していた。

その後,金宝酒家があったブロック一帯は再開発で「トア山手 ザ・神戸タワー」というマンションが建設され,その一階に金宝酒家と向かいから移転した友屋が隣同士になった。移転後の様子についてはhttp://ikkhima.ko-co.jp/e40731.htmlが参考になる。

新装開店後,金宝酒家を訪れた際に以前と変わらずおいしい炒め物を味わいながら,これも変わらず絶妙な接客のマスターのウェスリー氏(彼はコックではなくオーナーだ。旧店舗ではオーダーを聞いて,厨房との間の小窓からコックに指示を出していた)とそのあたりの話を尋ねたところ,こんな経緯があったらしい。

もともとこの一角は以前から再開発の計画があったが,地権者の反対もあったりなかなか進んでいなかった。震災で風向きが変わり,再開発が一気に進捗した。金宝酒家も友屋も持ち分に応じて再開発ビル店舗の割り当てを受けたが,金宝酒家はそれにプラスして権利を買ったので店は友屋よりいくぶんか広い。金宝酒家じたいは震災以降人の流れが変わったのか客足が思うように戻らず,新装開店に際して店の雰囲気も以前のような秘密めいた感じから外からも見えるようにしてオープンな感じにイメージチェンジを図り,いままでなかったランチ営業も始めて幅広い客層にアピールしたい——。

現在も友屋は健在だが金宝酒家は2011年にウェスリー氏が亡くなり閉店したのをネット経由で知った。過ぎ去ったある時期の記憶を呼び起こすポインタそのものが過去のものとなってしまった。なお,昔の金宝酒家の西側にあった交差点にはホテルが2件並んでいたがこちらは双方とも健在で,再開発のおかげで入口に面した道路が拡幅され,しかも正面に店舗ができたのでカップルは出入りがしにくかろう。

マカオに行くの巻

 たまったマイルが有効期限切れになりそうなので,海外旅行に行くことにした。こういう「強制の契機」がないと重い腰があがらない。
 マイレージプログラムのチャートとにらめっこして,香港あたりがいいかなと判断。ポルトガルとのクレオール文化が残るマカオに興味があったので,足を伸ばすことにした。いろいろ考えて,香港到着後そのままマカオに入ってから香港に戻るルートにした。
 短い旅行ながらなかなかおもしろかった。ただ,大陸からの観光客の増加と円安もあってホテルが軒並み値上がりしているようだ。結局,マカオはセドナ広場近くの,香港は尖沙咀(チムサーチョイ)周辺の安い宿屋に泊まったが,次に訪れる機会があればもう少しよいところに泊まろうと思う。(つづく)
※ 詳細は[XX-03-2015]マカオ・香港 #1にて。