[24-08-1997]中国 #9 ‐ 上海

 朝,黄浦公園を散歩することにした。東風飯店を出て中山東路の西側(公園の反対側)を北に向かって歩いている途中,2軒の包子屋があり,1軒のほうからとても美味しそうなにおいがしたのでその店で「朝食の前にかるくおやつでも」と2つ買った。地下道を通って中山東路をくぐり,公園で試しに1つ食べてみたところかなり美味しい。急いで引き返し,さらに買い増しして朝食の代わりにすることにした。1つ5角〜1.5元くらいだったように思う。2軒の店をよく観察すると,やはり美味しい店のほうがよく繁盛していた。

 ホテルに戻り,チェックアウトを済ませる。午後便に乗るので,午前中は南京路でぶらぶら買い物やら散歩でもすることにしていた。碧山老師と大きな「百貨大楼」に向かい,そこのコインロッカーに荷物を預けた。上海ではコインロッカーはまったく見かけないので,おそらく設置してあるのはここぐらいなものだろう。鍵は日本のそれと異なり,荷物を入れコインを投入してボタンを押すと,7桁の「密碼」(暗証番号)が記されたレシートのような小片が排出される。荷物を取り出すときは暗証番号をテンキーで入力すると扉が開く仕組みとなっている。鍵そのものが盗まれたり,鍵を偽造して他人の荷物を盗む輩を警戒してのことだろう。

 ここで,碧山老師と11時ころに再び落ち合うことを決め,ばらばらの行動をとることにした。日本でもあまり見かけることのない三菱電機が開発した曲線のついたエスカレーターを下り,街路に出てぶらぶらと歩く。土産物に現地のたばこを買ったり,CDを買ったりした。中でもおもしろかったのが,上海市第一医葯商店で,ここは漢方薬から西洋医学,はたまた医療道具や健康用品まであらゆるものがそろっている「健康のデパート」みたいなところだ。ありふれたモノではない気の利いた土産物をと思い,ここで人間の頭の模型に鍼灸のつぼと経絡を記してある「頭針模型」とそれの耳版である「十耳模」を買った。「十耳模」は赤いポウチに入っており,どこでも携帯することができる(笑)。

 この上海市第一医葯商店は昔ながらの代金の支払い方で,一旦購入する物品とその数量を「発票」してもらい,それを支払いカウンタに持っていく。代金を支払うとそれに領収印を押されるので,再び販売カウンタに持っていくと商品が手渡される。さて,ついでに「よく眠られるおくすり」でも買おうと筆談で求めるが,売ってくれない。処方箋が必要なのか,販売していないのかよくわからないが,ひとまずあきらめて,店を変えて普通の薬局で「我欠眠。求薬為快眠」と紙に書いてみせると,フランス製のアモバンを売ってくれた。価格は2つ買って70元と高額だが,日本での手間を思えば安いものだ。他には書店や百貨店などをひやかした。百貨店では中文表記のWindows95のインストールされたパソコンが展示してあった。

 買い物(といっても前述の通り,妙ちきりんなモノばかりだが)や,ぶらぶら歩きを終え,件のコインロッカーの前に到着した。碧山老師もやってきたので,さて荷物を取り出そう,と7桁の「密碼」を入力するが,なぜか扉が開かない。「!!」と何度も暗証番号を入力するが開かない。しからば,ともう一度硬貨をいれて新しい暗証番号を取得し,再び新しい暗証番号を入力するが開かない。このままいくと下手をすれば飛行機に乗り遅れてしまうのでは,という不安が頭をよぎる。碧山老師と「もし乗り遅れそうになるようだったら,放っておいて先に空港に行く」ことを打ち合わせる。通りがかった警備員に筆談で故障である旨を伝えると,警備員もそのコインロッカーのことは管轄外であるらしく,どこかに消えたと思ったら鍵束を持ったデパートの女性服務員をつれて来てくれた。女性服務員が鍵を回すと見事にロッカーが開いた。どうも荷物を詰め込みすぎたらしい。日本のコインロッカーだと,引き手を持って扉を引っ張って開くのだが,このコインロッカーは自動で開くようになっていて引き手がなく,こうした場合外からの開けようがないらしい。礼を言って百貨店を出て,リムジン乗り場まで早足で行った。

 上海虹橋空港に到着し,搭乗手続きをする。それにしても空港利用税90元は法外に高い。手続終了後は時間が余ったので土産物店などを冷やかすが,商品自体は大したことはない割に市中に比べべらぼうに高い。手持ちの人民元をすべて使い切ろうとするが,うまく細かい金が使えずほんの少し余ってしまった。時間になり日本航空JL794便に搭乗し,帰国の途についた。関西国際空港に到着してまず最初に感じたのは「よきにつけ悪しきにつけ,なんとヌルい空気なんだろう」。発展途上の中国人民のような活気はないし,いつモノを盗まれるかわからないといった緊迫感もない。

協力:碧山老師。
Special Thanks: KATSURAGI, Ichiro(氏の旅行記を参考にして旅行のプランをたてました)。

[23-08-1997]中国 #8 ‐ 蘇州・上海

盤門からみた呉門橋全景。この橋は清代に立て替えられたらしい。
呉門橋を渡るには登り下りがあるので荷物を持っている人は一苦労だろう。
呉門橋から見る運河では朝靄の中,艀が行き交っている。

朝,タクシーを拾って昨日行けなかった盤門に向けて出発する。曇りがちでよどんだ空気の蘇州だが,さすがに朝の空気は澄んでいて気持ちがいい。タクシーの運転手が快調に飛ばしたのでわずかな時間で盤門の横にある呉門橋に到着した。呉門橋はアーチ型の石橋で,下を船が通ることのできるようにかなりの高さとなっている。そのため,橋を通行する者は階段を上り,またすぐ下らなくてはならない。

盤門の全景。
クリークの岸に柳が見える。魯迅の小説のような風景

橋の上から見る景色は朝靄と運河を航行する艀の組み合わせによって「いかにも蘇州」といった風情であった。橋を下り,盤門の售票所へ行く。朝早かったのでまだ開いていないようだったが,少し待って票を買った。盤門は城壁都市ならではの建築物で,運河に水門を設けて敵の侵入を防ぐために作られたらしい。盤門の周りの城壁の上をすこしぶらぶら歩いて,昔の支那人の気分になってみる。上からクリークをのぞいてみると,立ち並ぶ土壁の小汚い民家の横に柳が水面に垂れており魯迅の小説の一節のようだった。

唐代に作られた石橋,宝帯橋。

盤門を後にしてタクシーを拾い,次は唐代に作られた石橋である宝帯橋に向かう。サンダー杉山似 (山谷初男似かな?) のマッチョな運転手に少したじろぐも,普通の人物だった。宝帯橋はかなり辺鄙なところにあり,徒歩や夕刻に行くのは危険であると思うのでタクシーを利用した方がよいだろう。到着したが,タクシーを捨ててしまうと帰れなくなるので,タクシーを待たせて置いてぶらぶらして橋を見る。周りは運河と池のようなところで何一つないような場所だ。再びタクシーに乗って市内に戻る。タクシーの運転手は市内観光を勧めるが,こちらはそんな気はないので断った。

市街地で朝食をとることにするが,適当な食堂が見つからない。やむをえず,今回二度目の外資系ファストフード店「功徳基」すなわちケンタッキーに入る。メニューを見ても中文表記なのでいまひとつよくわからないがフライドチキンとコーラ,それに「土豆泥」を頼む。「土豆泥」が一体ナニか見当もつかなかったが,ケンタッキーでそう訳の分からないモノを出すこともなかろうと決めた。結論から先に言うと単なる「ポテトスープ」なのだが,字ヅラがあまりよろしくない。「土の豆」は馬鈴薯のことで,「泥」はポタージュのようにとろっとしたスープの性質を表しているのだろう。

フライドチキンの方は日本のそれと比べ,大きさはかなり小さい。上海での「麦当労」のフライドポテトも量が少なかったが,なぜか向こうのファストフード店は値段はかなり高額なのに量が少ない。こんな「高級店」の客層は午前中ということもあり,子供連れの主婦が目についた。なお,手洗いは日本とさほど変わらぬくらい清潔で,さすがは外資系ファストフード店だ。

さて上海に戻るため蘇州火車站に行き,切符を買おうとするがかなり混雑している。列に並び,いよいよあと数人というところでいきなり支那人が前に割り込んできた。一瞬呆気にとられたが,背中の荷物を引っ張って列から排除しながら「お前,何割り込んでるんだ」と日本語で怒鳴りつけると,にやにやしながらその場を去った。やはり旅行者ということで甘く見られているのだろう。やっと購入できることになったが,こちらの希望する列車はどれも「没有」で発券できない。結局,硬座の「無座」すなわち自由席の切符を買った。

コンコースはとにかく人で埋まっていて,無錫よりずっと乗客は多い。売店では様々な物が売られており,碧山老師は鉄道時刻表が売られていないか探していた。この駅の構造は中央コンコースをはさんで左右対称に「候車室」があり,列車によって待つ部屋が違うのでコンコースの電光掲示板で確認しなくてはならない。われわれが乗る予定の列車は候車室にある改札の電光掲示板によると20分の遅延だそうで,さらに人がふくれあがっている。椅子に座って待っていると,駅の職員らしき男性がワゴンにいろいろな雑誌などをおいて売りに来た。その中に先ほど碧山老師が買ったものの「どうも少し違う気がする」と言っていた鉄道時刻表の完全版が売られていたので,一緒に買うことにする。先に碧山老師が買ったものは一種のダイジェスト版だったようだ。

かなり待った揚げ句,改札が開始されるような雰囲気になり乗客が色めき立ってきた。候車室の構造は上海と同じで椅子がずうっと列になっているのだが,隣の列の方が改札が早いようだっだので椅子を乗り越えた刹那,わめくような支那人の中年女性が2人近づいてきた。そう「マナー取締官」だったのだ。しまったと思ったときはもう遅い。ちょんわちょんわと罵られながら ( あくまで主観 (笑)) 罰金を払えと言っているようだ。反則切符を切られ,罰金額は10元。日本円に換算したら大したことはないのだが,現地での貨幣価値が身に付いていたのでかなり痛い。列に並んでいる現地人の「あー,やられてるよ」というような同情の視線を感じた。

気にならないと言ってもやはり多少金銭的にも精神的にも不快感があったが,とにもかくにも列車に乗り,座席を探す。やはり普通の硬座車両は汚く,客もおそらく地方出身の家族連れが果物を食べているなど,いかにも人民の乗る二等客車といった風情だった。幸いにも空いている座席があり,腰を下ろす。窓が開いていたので風を受けながら上海まで車窓風景をのんびりと見ていたが,上海に近づき列車が速度を落とすに連れ,列車から乗客が投棄した線路上のごみが目に付いた。

上海站に到着。

上海站に到着し,路線バスに乗って次は外灘(Bund)をめざす。久しぶりの上海にやはり大都会であることを実感した。バスは人と自転車と自動車で輻輳する道路を通り,外灘近くにまで来たようだが降りる機会を逸してしまい,周りの景色が租界地然とした雰囲気から妙な下町にいつの間にか変わっていたので急いで降車する。どうやら豫園近くの中華路付近のようなので,とりあえず黄浦江沿いの中山東路にまで出ることにした。この日は黄浦江遊覧船に乗る予定であったので,船の発着場である十六舗碼頭に向かったが上海到着が遅れたため残念ながら遊覧はできなかった。さらに歩くと外灘沿いの近世ヨーロッパ建築群が視界に入り,帝国列強がひしめき合っていた時代の「上海バンスキング」「阿片の匂う娼館」など一人で妄想に浸っていた。

宿泊するホテルを当初,和平飯店 (Peace Hotel) と考えていたので,申込みにCITSに行く。大学生らしき日本人カップルが日本国内と同じようなラフな格好でいたので,ああいう手合いがカモになるんだろうなあ,と考えながら順番待ちをしていたら,女性が比較的上手に英語を駆使していたので,自らの英語力と比してみて見かけで判断してはいけないと少し反省。結局,和平飯店は思っていたより宿泊料が高額なので断念した。CITSを出て,ぶらぶらしていると2星級ホテル・東風飯店の面構えがなかなかよかったので入り,交渉してみると宿泊料もリーズナブルであり宿泊することに決定した。

ホテルのエレベーターは19世紀末のイギリスを彷彿とさせるまさに《鉄の籠》といったもので非常に趣があった。難を言えば照明などが全体的に暗く,部屋はもともとマンションかオフィスを改造したような感じでインテリアや部屋の作りにまったく配慮がなされていない点である。しかし,部屋自体はたいへん広く,窓も大きかったので,見晴らしのよい部屋を所望していたこともあって,外灘一帯・黄浦江・上海テレビ塔が一望できた。もっとも,上海特有の濁ったスモッグのため眺望自体大したことはない。

旧租界地区である外灘。にわか雨が上がった直後で,歩行者が少ない。

そうするうちに急に篠突く雨が降りだし,外灘にいた上海人や観光客たちもあっという間に消えてしまい,外出しようとしていたわれわれもテレビを見て時間をつぶすことにした。このテレビ番組がエキセントリックなモノで,日本で言うところの「警視庁潜入24時」に似たテイストなのだが,あちら版は取締側にのみ焦点を当てるのではなく,個別の事件に迫っていくのである。「**省**県で連続詐欺事件が発生し,捜査の結果何某が逮捕」というような話(もちろん逮捕現場もモザイクなしで,日本のように何某《容疑者》などとはいわない)がいくつも現れ「犯罪の防止には人民の日頃からの心がけ」的なスローガンで締めくくられる。話は脱線するが,だいたいこういう国情のところでは「犯罪抑止の見せしめ」的要素が強いので《犯罪分子》はさらし者にされることが多い。近いところでは韓国や台湾などでもそうである。韓国では犯罪者は白いチョゴリを着せられ,護送車から手錠姿でカメラの放列に晒され,取り調べ風景まで写される。

黄浦江の水面に見えるのはすべてゴミ。スモッグがひどく,浦東の東方明珠電視塔などもかすんでいる。

雨がやんだので,散歩がてら夕食を取りに出かける。現地での最後の晩餐ということもあり,けちけちせずにいこう,と胸を弾ませる。黄浦江沿いの黄浦公園をぶらぶらと歩き,行き交う船や川面などを見たりしていたが,黄浦江はとにかく汚いので驚いた。褐色の水面に無数の塵芥が浮遊しており,公園にいる支那人たちもジュースの缶やら紙コップを当然のごとく投棄している。この国ではバスや列車の窓からごみや唾を吐くことといい,とかくゴミ捨てに関する感覚が「自分の周りにゴミがなければいい」という非常にいい加減というか自分勝手な考え方のようだ。

南京東路から租界のヨーロッパ建築を見ながら繁華街を目指して歩くが,夕刻からはネオンサインが通りいっぱいに灯り,たいへん華やかになる。途中,蛇料理を供する店などもあったが,値段が高かったのと「ゲテモノはイヤだ」という碧山師の反対によりその店はパス。支那の料理店では,蛇や川魚などが肉料理に比べべらぼうに高いのが特徴である。川魚といっても雷魚や鯉などを蒸したり揚げたり回鍋にする程度などだが,なぜか高い。

結局,ほどほどの江蘇料理の店に入ったが,大きい店の割に所望する料理が「没有」なものも多かった。頼んだものは,無錫の運河飯店で他の卓の料理が間違って運ばれてきてそのときからうまそうだと思っていた「蓴菜(じゅんさい)のスープ」,昆明で食べて以来とりこになった「家鴨の舌の燻製」,メインディッシュにしようと思った肉料理がなかったため頼んでみた「蝦の水晶炒め」などである(他にも食べたのだが比較的記憶に残っているのがこれら)。「蓴菜のスープ」は黒胡椒がきいて予想に違わずおいしいものだった。ただし例に漏れず油っこい。日本でお澄ましや生食などに用いる蓴菜は芽からさほど成長していない物を使うせいか丸まっているが,あちらでは異なり大きく広がったものが用いられるようだ。「家鴨の舌の薫製」は昆明のものより素材がよいらしく,さらにおいしいものだった。「蝦の水晶炒め」はどんな料理か見当がつかなかったのだが,新鮮な小振りの蝦の殻をむいて軽い味付けで炒めたものであった。蝦の色合いが半透明で光っていたのでそのようなネーミングが施されたと思われる。かなり高い価格であったが,素材の味で勝負といったところで,文句なしに満足できる物だった。やはり上海という土地柄,全般的に味付けも上品で素材も新鮮だった。

食事の後は,再び南京路をそぞろ歩きして,ショッピングをする。といっても,女性のようにブランド物を買うわけでなし,外国に行くときの癖で書店とCDショップを冷やかす。美術書や書道関係などの品揃えが豊富であったが,いかんせん大きく持ち運びが大変そうなので見送ることにする。お国柄,毛沢東語録などの共産主義関係の全集類も多いが,売場は閑散としており,手にとって見ていたのは冷やかしの筆者だけだった。碧山師は岩波書店の『日中辞典』が約800円くらいであるのを見つけて購入し,一方わたしは文学コーナーに行き,日本文学を探してみた。そこでは大江健三郎や川端康成がかなり大きいスペースを占めており,なかでも川端康成は文集(全集のこと)が出ており,向こうでも人気が高いようだ。一冊16元の割には造本や紙もよくないが好きな話の収録されている物を買っておいた。一方,世界的に著名な日本人作家の一人である三島由紀夫はその政治的スタンスのせいかほとんどおかれておらず,無難な作品が数点あるのみだった。CDショップでは『東方紅』を探してみるが,売られていなかった。他の店でも探したがどこにもおいているところはなく,二胡のCDと国歌や式典曲が演奏されたCDを買った。値段は日本円で約1,500円程度とかなり高価な商品である。

[21-08-1997]中国 #6 ‐ 上海・無錫

 早朝,食事もとらずにホテルを出発し,タクシーを拾って昆明空港に向かう。空港利用税50元を支払い,雲南航空3Q4541便に「登机」する。飛行機はボーイング767型で,来るときに乗った上海航空よりずっと清潔な機内だった。飛行中も麗しい容姿の女性服務員が細やかな服務を提供し,洗面セットが利用者にもれなく配られるなど,地方の航空会社とは思えぬ充実ぶりだった。これが生まれて初めての飛行機利用とおぼしき乗客も多数おり,備品や肘掛けのボタンをあれこれいじってみたり,ヘッドフォンの着用にとまどったりとほほえましい光景が随所で見られた。ドリンクサーヴィスで提供される飲みものの中に一つ目をひくジュースがあった。その名も「版納風情」。「版納」とは「西双版納(シーサーパンナ)」のことで,われわれが訪問した昆明より南にあるタイ・ラオス国境付近の地方を指す。缶には南国をイメージさせるイラストが描かれ,いかにも感を演出している。どうもあの「版納風情」は気になる,ということで,碧山老師が飮むことになったが,この手の飲料の常道で結果はやはり不味かった。

 上海虹橋空港に到着し,2度目で慣れたリムジンを使って市内まで行き,欧州のブランドのブティックが並ぶ陜西南路站から近代的な地下鉄に乗車,上海火車站に行く。火車站そばの龍門賓館に向かい,外国人向け售票処で無錫までの乗車券を買いに行く。ここではいかにもな日本人旅行客が多く,とりわけ女の子3人組の無防備さには呆れた。彼女らは有名な九龍(香港)行き99次特快のチケットを取ろうとしていたが「没有」の返事ばかりだった。彼女らを後目にわれわれは極力早い列車に乗るつもりだったので,座席の等級を問わずに購入すると軟座だった。支那の鉄道の等級は2つに別れており,上級が「軟座(soft seat)」で,下級が「硬座 (hard seat)」となっている。寝台車の場合も同様で「軟臥」「硬臥」に別れている。

 チケットを入手して火車站にもどる。構内に入りX線の荷物検査を受け,電光表示に合わせて待合室に入る。改札はまだのようだが,人は結構いる。「候車室」と呼ばれる待合室には各列車ごとに改札があり,その改札から一列に待つための座席が数十メートルに渡って並んでいる構造となっている。こういった待合室がいくつもあり,さすが人民の数がものをいう国,規模が大きいと感嘆させられた。構内にはみやげ物屋なども並んでおり,なかなか活気にあふれている。

 ここで,ふと気がついたが,われわれは軟座の乗車券を買ったのだから,軟座専用の候車室に行かないともったいない。このあたりが日本と違い,社会主義国であるにもかかわらず階級格差が歴然としているのも妙な話だ。もっとも日本の方が変な平等意識がついてしまっているのだけなのだろうが。いったん構内を出て,外を歩くと駅の端の方に軟座専用候車室があった。絨毯敷きの落ちついた綺麗な候車室でソファに腰掛け,「これが一等軟座の旅だよな」と2人で苦笑しあった。軟座なら荷物検査も受けずにすむし,改札も硬座に先んじて受けることができる。昼食を取ろうとビュッフェに行くが食べたいものが「没有」ばかりなので,店を出て売店でクラッカーやジュースを買う。ちょっと妙な日本語も表示される電光掲示板に改札開始の表示があらわれ,改札に行く。

 ホームに行くと,規格が大きい日本の新幹線のさらに1.5倍はあろうかという巨大な列車が停車している()。しかも今までの「中鉄」のイメージを覆す綺麗な最新鋭の列車である。規格と言えば,かつて日本が初めて国有鉄道を敷設する当時,鉄道技師は欧米並みに広軌〜標準軌の採用を主張したが,ある政治家が「日本人は小柄だし,建設費が安く押さえられるので狭軌でいい」と主張したため,狭軌が採用された。しかし,スピード競争や輸送力の点で狭軌は劣ることから,後にその政治家は「狭軌でいい」と主張したことに対し「あれは失敗だった」と悔やんだ,というような話を道中で碧山老師とした。碧山師曰く,鉄道技師たちは果たせなかった自らの理想を実現すべく,大陸での鉄道敷設の際にもっとも理想的な規格を設定し,スケールの大きい設計をしたという。その遺産で現在の中鉄は高速・大量輸送が可能なのだろう。

 さて,乗車口では女性服務員が応対し,華やかな雰囲気を演出しており,座席はリクライニングシートで,側窓は大きな固定窓とおそらく中鉄の列車の中で最高級の部類に入るものであろう。あらためて乗車券をみると「特級(特急ではない)空調列車」とある。《海螺号》と名付けられたこの列車は14時03分に定刻通りに出発した。まもなく車内検札に「車長」が来,その後「空調係」の少年が空調の効き具合を確認するためだけに巡回してきた。確かに空調料金を払っているだけはあるが,まったく人が余っている国らしい職種だ。車内を見渡すと後方におつきの人とともに共産党の関係者らしき人物がおり,車長がへこへこと挨拶をしていた。車長は挨拶の後,女性服務員に党幹部に湯茶の接待をせよというようなことを命じていたが,女性服務員が一向に持ってこないので車長自らが湯茶を運び,接待していた。われわれはペプシコーラとクラッカー,台湾でも売られていた旺〜旺というおかきでお腹を膨らませた。このクラッカー,予想に反しておいしかった。

 快適な鉄路旅行もすぐに無錫に到着し,終了となった。無錫の駅前からミニバスに乗って運河飯店をめざす。あちこちで工事が行われており,支那の急激な経済発展の様子がここでもうかがえた。町中には上海同様,外資系の広告が幅を利かせており,「百事可楽」や「麦当労」の看板がいたるところで見受けられた。中都市といえども,民族色の濃い奥地の昆明に比べるとやはり街も住民も洗練されている。街の匂いからして違う。

 「運河飯店」と名付けられたバス停で下車するとその前には運河飯店はなく,電視台があった。出入りする人物の首からIDをぶら下げたラフな格好は,日本のそれとさほど変わらぬものだった。さて,肝心の運河飯店自体は木があって表通りからはすこし見えにくい位置にあり,見つけるまでに多少手間どってしまった。チャージに400元を支払ってチェックインし,すでに夕方になっていたので,部屋でテレビを見たり収支を計算したりして時間を過ごした。そのテレビ番組というのは日本語講座なのだが,かなり笑える代物だった。スキットは星新一の「エフ博士が寝ながら英語を学習できるという画期的な枕を開発して隣人に貸したが,寝言が英語になっただけだった」というショートショートを使っていて,そのエフ博士の演技がかなりのマッド・サイエンティストぶりで大笑いをした。製作は東映ビデオか東宝のどちらかで,日本で作られているようだった。

 腹もほどほどに空いてきたので,グリルで夕食を取ることにした。昆明の濃い味付けに少し飽きていた口も,上海風の味付けでまた食欲が湧いてきた。とはいえ,どの料理もラードで皿の縁がぎとぎとになるくらい脂っこいものであることにはかわりない。夕食後,近くにある無錫大飯店のあたりを散歩していると,道路に面した1階に清潔そうな広い売店があるので覗いてみる。無錫大飯店は無錫で一番高級なホテルで,20楼(20階)には日本料理店もある。そういったことから並んでいる商品は日本の品物や雑誌も多いが,驚くほど高かった。ジュースもきちんと冷やされており,コーラの他にはキリンの現地法人が作っている炭酸飲料「キリンレモン」「キリンアップル」「キリンライチ」などもあった。結局,ガムやお菓子,キリンライチ・キリンアップルを買って部屋に戻った。キリンライチは炭酸と程良く効いたライチ味で,食後の口中に爽やかだった。

 寝るまでに時間はまだまだあったので,ちょうど髪も伸びてきたことだし,と美髪室(理容室)に行ってカットをしてもらおうと思い立った。美髪室に行くと,女性が一人物憂げに葡萄を食べていた。料金はシャンプーが15元,カットが15元の合計30元。で「どのようにカットするのか」と訊いてくるので,具体的に説明するのは困難だし,支那人になりきってしまうのもいいかと思い,紙に「流行的頭髪於上海」と書くと「わかった」というように作業を始めた。ところがこの女性,非常にカットが下手で,ざくざく引っ張るように切っていき,おまけに体を密着させてくる。高校の時のパンクな英語教師がしていた「韓国の床屋ではカットする女の子がそーゆーサーヴィスをするんですよー。表の回転灯の回転が速ければ速いほどサーヴィスも濃厚なんです」という嘘か誠かわからぬ話を思い出して「これは外国人とわかったので《色情服務》をするのでは」と内心ひやひやしたが,当然ながらナニもおこらなかった。関係ないが,この女性もそうであったように支那の女性はノースリーブを着用していても腋下の処理をしないようだ。さて,仕上がってみるとなんとも面妖なヘアスタイルになっていた。襟足を伸ばし,前は全体的に立ちあげてバック。このヘアスタイル,どこかで見たことあるなあと記憶を辿れば,現在四川大学に留学中の支那好きの知人・S君のそれに酷似していた。支払時,女性に琺瑯のボールに入った葡萄を勧められるが,衛生的な観点から断った。部屋に戻ると碧山老師からの高笑が待っていた。

註:
 碧山老師に後日指摘されたのだが,中鉄の車両の規格は新幹線とほぼ同じだそうだ。ただ,プラットホームの高さが客車用のため低いので,下から見上げるような格好になり車両が大きく見えたのかもしれない。

[20-08-1997]中国 #5 ‐ 昆明・石林

なんとなくほこりっぽい昆明市街

昨夜の遅れが影響し,昆明に到着したときには日が高くなっていた。当初,石林行きの日帰りツアーを昆明の旅行社で申し込むつもりだったが,この時間帯ではもはや受付はしていないであろう。ということで,マイクロバスで送迎のみ行うツアーに参加することにする。街の中にはたくさんのマイクロバスが客を拾いながらぐるぐると回っているのでそのうちの一つに乗ればよいのだが,昨夜の学習から客がある程度乗車していて発車寸前のバスを探すことにした。

どのバスも熱心に(というかうるさく)行先を連呼しているが,客の埋まり具合を見て,あるバスに乗った。やはり満員になるまで出発しないらしく,我々が乗車した後もぐるぐる回遊しながら,女性の客引きが「石林」と書いた札を持ち「シーリン,シーリン」と行先を連呼している。お客になりそうな人物を見つけるとすばやくバスから飛び降り,ひっぱってきては交渉する。もちろん,全然その気のない人を引っ張ってくることもあるので効率は良くない。いいかげんいらいらしてくるが,ここは支那である。そのうち,客引きが男性2人組を連れてきた。親子連れらしいが,金持ち風である。「これはすぐに出発するんだろうな」みたいなことを言っているようだ。説得が成功したらしく,2人組が乗り込んでくる。しかしまだぐるぐる回っているので,「早く出発しないのか」というようなことを大きな声で言っていた。

結局,1時間くらい経ってから出発した。15分くらい走った後,農村の入口で客引き女性と男性を下ろした。彼らは売上の内から幾ばくかをもらうのであろう。狭い通路を挾んで私の横に座っている先ほどの親子連れは妙に体も態度もでかいので観察していると,親父のほうがなんと宍戸錠そっくりなのである。サングラスをかけ,手には石の数珠のようなブレスレットをじゃらじゃらいわせ,バミューダを履いていた。「なんか隣,宍戸錠に似てない?」と碧山老師に小声で囁くと,笑って同意していた。もちろんあだ名は「エースのジョー」に決定である。ジョーの息子の方も同様にアクセサリーをつけ,ふてぶてしい様子だった。ジョーは当初出発が遅れたため不機嫌そうであったが,切符切りの女性と話がはずんで,いつのまにやらご満悦の体であった。

さて,バスが停車するので,何かと思えば宝飾店である。買い物をさせる気でよくあるパターンだ。買う気は全くないが,腹の調子があまりよくないので,トイレに行くため店内に入る。ジョーを観察していると,店員の説明を聞いたりして購買欲はありそうだが,やはりそこはシビアに何も買っていないようだった。再び出発し,碧山老師とあれこれ他愛のない会話をしていると,切符切り嬢が話しかけてきた。「I
can’t speak Chinese」と答えると何やらまた言ってくるので,メモとペンを手渡すと「イ尓地方人?」と書いてきた。ははん,支那語を話していないのでどうも我々のことを少数民族と思っているらしい。本当は日本人であることを明らかにするのはあまり好ましくないと思っていたのだが,言わないとかえって不審がられそうなので「日本人」と書いて返した。相手はそれで納得したらしく,それ以上の質問はなかった。ジョーは興味津々で我々の方を見ていた。

次にある食堂で止まった。ここも先ほどの宝飾店と同様,運転手たちにバックマージンを払っているのだろう。無駄に現金を使いたくなかったのもあるが,脂っこい料理が続いているせいもあり,昨夜来胃がもたれているのでとうてい昼食を取る気にならなかった。そこで碧山老師とじゃんけんをし,負けた碧山老師が軽いものを買いに行った。強い日差しの中,15分くらいして買い物から碧山師が戻ってきた。ペプシコーラとお菓子とウィンナを駐車場で頬張ることにした。ペプシは田舎にしては珍しく冷やしてあった。支那では飲み物を冷やして提供するところは限られており,喉が渇いているときにこういうのは非常にありがたかった。その分,3.5元と若干高めの値段だった。駐車場から開放してある窓から食堂の様子が見えるのだが,ジョーの食べっぷりは見事で,青島ビールをラッパ飮みするのだ。さすがはエースのジョー,豪快である。

ある農村を通過すると,そこではドライブインのような食堂がいくつもあって,そこの前では毛をむしられた家鴨が何匹も首からぶら下げられており,主人が塩か調味料らしきものを首から胴体にかけて擦り込んでいる光景が見られた。他の食堂の前でも同様にぶら下がっていたので,どうもご当地の名物らしい。道路沿いの川を見ると,網で仕切られた中にたくさん家鴨の姿が見受けられた。さて,結構走った後に岩が突き出たようなそれらしい景色が見え始めた。幹線道路からはずれ,みやげ物店があるようなところに到着した。石林かと思ったが,どうもこじんまりしている。皆は降りたり降りなかったりだが,降車する人の方が多いので,とりあえず皆について下車する。3枚綴りの共通入場券を買って,鍾乳洞の中に入っていくのでついていく。白い鍾乳洞をピンクや緑色の照明でライトアップするのは全くもって趣味が悪いのだが,どうもそれをサーヴィスと思っているらしい。どうも石林とは違うようだ。

出てバスに戻るとジョー親子の姿はなかった。おそらく「オレは先に石林に行くぜ。もう待ちきれねえ」とばかりに先に行ったのだろう,と碧山老師と結論づける。もう2個所回ったが,どこも似たような景観だった。鍾乳洞の中に入るとサニ族のかわいい娘さんが民族衣装をまとってガイドしてくれるが,何をいっているのかわからないので,いてもいなくても同じである。後からわかったのだが,この鍾乳洞や洞窟は地下石林といって一応観光地らしい。だが,わざわざ10元も払って芝雲洞・畳雲岩・祭白龍洞を見る必要はないと思う。やはりジョーの判断は正しかったのだ。さすがはエースのジョー。

次にやっと石林に到着したと思ったらそこは石林のミニチュアのような公園で,15分くらいで外に出る。なぜこんな所に寄るのかは意味不明。ま,無料だからいいか。で,やっとのことで石林に着く。いいかげんこの時点で気分は盛り下がっていた。言葉がわからない我々は「5時半に出発するので遅れないで」と腕時計を指しつつ切符切り嬢に念押しされる。片言で5時半ね,と答えると,車番を覚えておけ,と言われる。確かに駐車場には同じようなマイクロバスがたくさん止まっていた。

入園口に向かって歩くと,我々の会話を耳にしたであろうサニ族の物売りが近寄って来て日本語でみやげを勧める。毛頭買う気がないので完全に無視する。かなりしつこいが,售票所であきらめたようだ。入場料は30元と高額だが,ここの入場票は磁気カードになっており,さすが「中国国家級風景名勝区」である。裏面に「広告位」と広告を募集しているところが,いかにも最近の風潮だ。自動改札(といっても機械ごとに横に係員がいる))を通り抜けて中に入ると,またぞろサニ族の物売りがついてきた。「安いよ。お兄さん日本人でしょ」。無視していると「私言うこと聞こえないの。刺繍どう」とさらにしつこく来る。碧山老師がたまりかねて「刺繍,大嫌いだからいらない」と言うと「どうしてそんなこと言うの」と食い下がってくる。温厚な碧山師もたまりかね「うるさい」と一喝すると「あんたひどい人。日本人の馬鹿」などと延々と大声で罵りだしたのには閉口したが,それ以上近づいては来なかった。外国に行くとどうも日本人はこういった物売りのカモにされているので,その余波を被って非常に困る。連中はかなり値段をふっかけているので,買いたいのであればきちんと厭わず価格交渉をして,日本人はカモではないと思わせなければこういった手合いはなくならないだろう。

石林は石灰岩が雨で浸食されて奇岩となるカルスト。世界遺産に登録された。
望峰亭より。
小石林。石林の中にある。

さて,肝心の石林の方だが,いろいろ見て回ったがとかく岩場で高低差が大きく,重い荷物をしょって歩いていたのでかなりの負担だった。景色については拙い文で四の五の言うより,写真で見た方がいいだろう。

5時過ぎに駐車場に戻るとマイクロバスの数はかなり少なくなっていた。早くに来たバスは既に帰ってしまったのだろう。5時半近くになりおおよその乗客が戻ってきたが,エースのジョーの分などの空席があるので,また埋まるまで待機である。いつ出発できるかは全くの運だ。結局,最後に近いくらいに出発し,昨日の深夜バスといいついていない,と碧山師と相槌を打つ。帰路につくが,どうも我々の乗ったマイクロバスはしょっちゅう追い越されているようだ。エンジンの調子がよくないらしい。メロンの中西俊夫風の運転手は焦る風でもなく走らせているが,こちらは早く昆明に戻って宿の確保をしたいのだ。

行くときに通りかかった家鴨のドライブインを見ると,ぶら下がっている家鴨がこんがりといい飴色になっていた。碧山師とうまそうだ,と盛り上がる。バスの振動でうつらうつらしていると,バタンとドアが開く音で目が覚めた。自動小銃で武装した公安が入口にいる。乗り込んできた公安は,我々に荷物を開けて見せろ,と言ってきた。臨検である。碧山師がパスポートを取り出し,提示すると何も言わずに降りていった。車内で大きな荷物を持っていたのは我々だけだったので我々の所に来たのだろうが,外国人はノーチェックということは事前に知っていたので,無用なことをせずにすんで助かった。

昆明に到着する前にはすっかり暗くなっており,疲れた体で宿探しをする気力もなく,昆明火車站の北数百メートルにある2星級ホテル三叶飯店にチェックインした。昼は粗食であったし,ちょっとぱっとしない空気が続いているので,おいしいものでも食べようと出かけた。道路を挟んで向かいにある,昆明でも一,二を争う錦華大酒店の1階にあるレストランに入る。メニューがよくわからないので,英語のメニューを頼む。選んでいるとマネージャがギャルソンに「あれは外国人用のメニューだろう」と注意し,ギャルソンが「いえ,あの人たち外国人みたいなんです」と答えているようで,なにかおかしかった。マネージャは「ああそうなの」の笑っていた。もっとも服装は汚く支那人風の風体だったので,間違えられても仕方がなかったが。近くのテーブルには日本人ビジネスマンらしき3人組もおり,店内にはKTV (カラオケ) ルームもしつらえてあるところから見ると,錦華大酒店は日本人ビジネスマンの常宿のようだ。

久しぶりに冷えたビールを飲みメニューを物色する。正直言って,連日の脂っこい料理に加え,昨夜の食べ過ぎであまり食欲は湧かなかった。そこで,腹やすめの意味から粥を注文することにした。鮑の粥である。値段は30元くらいでかなり値の張るものであるが,こういうときはけちけちしないほうがよい。他にもメニューから推察するにあっさりしたようなものを数品頼もうとするが,おきまりの「没有」でなかなか思うようにいかない。運ばれてきた鮑の粥は絶品で,味付けも上品。疲れた胃に優しく,いくらでも入りそうだった。これで食欲も増進し,さらにいろいろ注文することにした。なかでもおいしかったのが家鴨の舌の燻製で,舌がたくさん皿に山盛りになって出てくるので圧巻であった。歯触りはこりこりしており,軟骨部分を残して食べるが,軟骨の先端は柔らかいので食べることが出来る。かくして,満足感を覚えつつ宿に戻り,一日を終えた。

[19-08-1997]中国 #4 ‐ 大理・下関

かつての大理国の中心だった旧大理市は例に漏れず城壁に囲まれていたので南北にそれぞれ城門がある。
南門から眺める市街地。

招待所を出て,大理南門に登楼し大理をあとにする。マイクロバスに乗り下関へ行き,大理飯店前から6路バスに乗ってアルハイ公園に行く。5角。公園の售票所で例のごとく紙幣を投げ,現地人料金で入園する。

アルハイ。後ろには蒼山連峰がそびえる。
水上生活者。別の国のものと思うが、このような船が国立民族学博物館に展示してあった。
漁民が小海老やしらすのような小魚をとっている。

アルハイは静かなみずうみで,耳の形をしていることから〓(さんずいに耳)海と書く。みずうみに沿って遊歩道があり,10分くらい歩いていると水上生活者がいたのでカメラに収めておいた。小舟で網を投げて漁をする漁民もおり,水揚げした小魚を岸辺で干していた。

20分ばかり歩いて丘の上に上がると猿山などがある動物園になっており,1980年代の高橋幸宏似の男性を見かけ,おもわず笑ってしまった。再びみずうみのほとりに戻ると,おどろおどろしい惹句の見せ物小屋のようなものがあるので入ってみるが,錦蛇が水槽の中にいたり黴毒患者の写真が貼ってあったり,蜥蜴や亀がいるだけのお粗末なものであった。同じように好奇心満載で入った支那人も「なんだこりゃ」といった風情で,唯一得たものと言えば水槽の隙間から漏れ聞こえてくる錦蛇の呼吸音を生まれて初めて聞いたくらいである。失意の中,出口に向かって歩いていると,昨日大理の招待所で会った日本人の青年と再会。次は成都に行くのだと言う。門を出ると,碧山師が「おい,あそこに狗肉ってあるぞ」と汚い食堂を指した。

狗汁を食べた後で再び下関市街にもどり,軽く昼食でもとろうということになったが,適当な食堂が見つからない。近代的で清潔そうなパン屋でパンを求め,貴重な冷たいジュースを買って公園で食べた。公園では平日の昼間であるというのに青年の男性の姿が目に付いた。掲示板に人民解放軍の活動が紹介してあったが,そのなかに麗江の大地震の災害救助の写真があり,煉瓦の下敷きになった牛の写真なども載っていた。麗江は当初,今回の旅行のコースに入っていたが,大地震があった後の情報が不足していることや,日程的な関係で結局行かずじまいになったところである。

バザール通り

公園を出て,バザール通りを冷やかしながら歩く。ここでも人民服が売られているものの売っている店は少ない。道を曲がり,食肉市場と鮮魚市場と日用品市場が一つの建物になっている市場に入る。この市場はかつてはきれいな建物であったようだが,すぐに汚くなってしまったようだ。エスカレーターも閉鎖されているし,1階にある噴水も水はなく物置と化している。昼過ぎとあって,活気はさほどないものの,やはり人は多い。食肉市場に入ると臭いが鼻をつく。屠られた豚が解体されテーブルの上に並べられており,テーブルの下には豚の内蔵が無造作に放置されていて蝿がたかっている。支那ではどこで食べても豚肉の料理は肉のうまみがあって感服したが,このように冷凍せずにすぐに市場で買って来て料理するからだろう。もっともこの国には衛生観念はあまりないようなのでその点には留意する必要はある。

大理白族自治州博物館。大理国や白族の展示があったような記憶がある。

時間が余ったので再び6路バスに乗り,大理白族自治州博物館に赴く。いろいろ見て回っている最中だったが閉館時間だと言われ,退出する。市内に戻り,夕食を一番まともそうなホテル,金鵬大酒店の中餐庁でとる。味はおいしいのだが辛いのには閉口した。おまけに取り皿をもらおうとしたら,同じ品をもう一皿持って来られ,胃がはちきれそうになってしまった。ウェイトレスはみな美人で,少数民族系の血がそうさせるのか,ここに限らず雲南省にはたまにはっとする美人がいる。

昆明行きの寝台バスに乗り込むが「満員になったら発車」の原則でなかなか発車しない。客は少数民族や怪しげな連中で,なにやらバスも汚いし臭い。バスターミナルに止まっている他のバスはどんどん出発するのに,なかなか動こうとはせず,ここでもまた高橋幸宏に似ている乗務員が「同志(トンジー)!」と客引きをするがいっこうに客は来ない。結局定刻より3時間半遅れくらいで出発した。走行中,異常音と共にバスがエンストし翌朝までに昆明に着かぬのでは,と危惧したが数分の停車後に再び発車したので事なきを得た。全くツイていないバスだった。

[18-08-1997]中国 #3 ‐ 大理

寝台バスは朝6時に下関のバスターミナルに到着した。最初はどこに到着したのかわからずトイレ休憩かと思ったが,どうやら終着らしい。白人が現地人と話をしているのを横で聞くと,大理ではなくその手前にある下関のようだ。合併したため,現在は行政区分でいうと下関は大理市になるのだが,一般的には大理の旧市街(行政区分は大理古城)と区別して下関と呼ばれている。4路バスを20分ほど乗り(1.2元),大理に到着。ここはかつて大理国の都で,城壁都市だったので街の入り口に城門がある。ビルマ(ミャンマー)国境からは約150kmしかなく,ほとんど支那という雰囲気ではない。

まず,宿泊するところを探す。ガイドブックなどには紅山茶賓館がよいと紹介されているが,KATSURAGI, Ichiro氏の手になるウェブの旅行記(現存せず)で紹介されていた楡安園(No.4 Guest House)にチェックインする。ここは中庭があって静かで環境がよい。われわれより先に交渉している白人は高くてきれいで広い部屋に決めたようだ。こちらはドミトリーは避けたかったので,ツインはないかと聞くとあるらしいのでここに宿を決める。

部屋に案内してもらうと,ベニヤ張りの壁に新聞紙と模造紙を張っただけの粗末な部屋だったが,なにせツイン1部屋につき1泊50元(約700円)という値段なので文句は言えない。盗難防止のため備え付けの机に鞄を鎖で縛り付け――もっとも鞄そのものを裂かれては無意味ではあるが――朝食でもとろうと外に出た。フロントのそばで交渉している東洋人がわれわれに「日本人ですか」とたずねてくる。聞けば日本人学生で,1か月近く支那を周遊しているらしい。沙坪のバザールへ行くので一緒に行きませんかと言われ,とりあえず朝食をとりに行くのでその後でと返答。

大理古城の朝市遠景。

街をぶらぶら歩いてみるが,出勤する人や路上のあちこちで野菜などを売る露店が出ており,活気がある。ある角を曲がると朝市が開かれており,野菜や解体された豚なども売られていた。露店で包子(パオズ)を1つ6角(1元=10角)で買って頬張るが,予想に反し中味は甘く期待はずれだった。あちこちの露店で大理の少数民族・白(ペー)族の「乳扇」というチーズの一種を揚げて売っており,おいしそうだったが揚げ油が悪そうなので一度も買わずじまいだった。

白族と言えば昆明に来て以来,漢民族より少数民族系の顔が多く,特に大理に来てからはあざやかな民族衣装を着て籠を背負った白族の女性の姿が多い。街も独特の香辛料の香りが漂ってくる。メインストリートである復興路の人混みの真ん中で,白族の年輩の女性がきちがいの乞食に銭を与えていたのが印象的だった。適当なところで朝食をとろうとハッピーレストランの向かいの店で米線を食べる。6元。

公路(バス通り)。牛がうろうろしている。

いったん宿に寄って先ほどの日本人学生を簡単に探すが,不在のようなので10kmほど離れた沙坪で開かれるバザールに行くことにする。沙坪のバザールは毎週月曜日に行われる白族の市で,観光客もよく訪れるようだ。公路に出て下関から来る沙坪方面行きのミニバスを待っていると,先ほどの日本人学生がいた。彼は現地人に某ガイドブックのコピーを見せ,ここに行きたいのだが,と言っている。

結局彼とは別のミニバスに乗り,40分ほどで沙坪に着いた。バスを降りて,露店の間の民族衣装も鮮やかな人混みを歩いていくと急に斜面がひらけ,一面に露店が広がっていた。

バザールの入口付近。
綿糸を売りにきた白族の女性たち。

バザールでは葱や白菜などの野菜、肉類、衣料品、刺繍や大理石の工芸品,怪しげな漢方薬なども売られており,食べ物を出す屋台もあった。

バザールの入口付近。バザールでは葱や白菜などの野菜、肉類、衣料品、刺繍や大理石の工芸品などさまざまなものが売られている。
豚の売り子と品定めする客。撮影しようとすると,大きい中華包丁で豚を解体している髭の男性に気づかれてしまい,睨まれてしまった。

現地人に混じり,白人の姿もちらほら見受けられた。極東のこんな辺鄙なところにも観光に来る彼らのバイタリティには感心させられる。

こちらは古着を販売しているエリア。
怪しげな漢方薬売り。籠を背負った男の前にあるのが虎の足。これも半ば隠し撮り。

バザールを一通り見た後,沙坪の部落へ入ってみる。部落内の狭い道は牛や馬の糞が落ちている。まだまだ現役の輸送手段なんだろう。建物は煉瓦造りで古く,地震が起きればひとたまりもないに違いない。なんだか寂れた感じがする。

沙坪の部落からバザールに向かう住民。
沙坪の部落を探訪。パイ生地のように土を積み上げたもろそうな塀が続く。

バザールの見学を終え,大理に戻り昼食をとる。次は名勝として知られる三塔寺へ赴いた。高い入場料をとる割にこれが非常にいんちき臭い建造物で,地震の多い地域であることから「大昔に地震で塔が崩壊した跡地に,人民解放軍が客寄せに再建したのだろう」と友人と決めつけておいた。

三塔寺全景。

その後ぶらぶらと大理周辺の地域を散歩している途中に,建築途中の家を数軒見かけた。単純に煉瓦を積み上げただけの煉瓦造りで,細い鉄骨が数本ひょろひょろと入っているだけなのだ。あれでは地震がくれば崩壊するのは目に見えている。中国で地震が起きるたびに多数の死者が出るのはこのあたりに起因しているのかもしれない。

宿に戻り,夕食を食べに行こうとするが適当なところがなく,スーパー風の商店に入りビールやコンビーフ,カップラーメン,スナック菓子などを買って宿で食べることにした。菓子類は甘いものが多く,いわゆるポテトチップス類は少なくてあったとしても高くて油が悪そうなものしかない。料理は辛いが菓子は甘い物好きなのだろうか。

部屋に戻り,缶ビールで乾杯をし,つまみのコンビーフを開けようとすると途中で缶の切断部がねじ切れてしまい,それ以上缶を開封することができなかった。おいしそうな匂いを恨めしく嗅ぎながら,部屋に備え付けてある茶用の熱湯でラーメンを作るが,これがまずい。具がレトルトで値段もそれなりにするのだが,いかんせん麺がまずい。別のラーメンを作るとこれが異様なもので,椎茸臭く(具に椎茸が浮いている)非常にまずかった。日本で「まずいカップラーメン」といってもここまでひどくはないだろう。

共同トイレに行った帰り,室外にある厨房の横の通路を通ると,巨大な数匹のネズミがかまどの上をかけっこしているのを目撃。中国らしいといえばいいのか,なんというか……。

[17-08-1997]中国 #2 ‐ 昆明

朝,ホテルをチェックアウトし,歩いて1分で上海虹橋空港に到着,チェックインカウンタに並ぶ。現地人でも空の旅が出来る階級はやはり裕福そうで,荷物などを見る限り日本人とさほどかわらない。ちなみに,中国語でファーストクラスは「頭等艙」,ビジネスクラスは「公務艙」,エコノミークラスは「普通艙」と表記される。時間が来たので登机場(搭乗口)から7時50分発の上海航空SF451便に乗り込んだ。

離陸後,おきまりの女性服務員(キャビン・アテンダント)の種々の説明の後,彼女らが一礼すると機内から拍手が起こった。おそらく,客相手にお辞儀をするという習慣がない中国人にとっては感動に値するものなのだろう。しばらくすると機内食のサービスが始まり,ピーナツやらお菓子やら妙な代物が配給された。ワゴンのジュースは常温でそれに氷を入れるのだが,ミネラルウォーターでない現地の水・氷は腹をこわす恐れがあるので,ぬるいままコーラを飲んだ。いすのポケットにはごみが掃除されていないまま放置されており,機内ビデオは意味不明のスケボー少年のドラマや歌謡番組などと交互に人民解放軍のプロパガンダ映像を流していた。

11時前に昆明に到着して機外に出ると,上海とはうって変わって空気がひんやりとして心地よい。空港前にある雲南航空の售票所(切符売り場)で帰りの上海便のリコンファームを済ませ,中国民航のリムジンに乗る。途中で服務員に「どこで降りるのか」と聞かれ,茶花賓館に行こうと考えていたのでその横にある民航售票所といえば話が早いと思い「售票所」と紙に書く。ところが降ろされたのは市街地にある雲南航空の售票所の前だった。後日わかったのだが,民航が発票業務を雲南航空に委託したらしく,リムジンが間違っていたわけではなかった。

バスの車窓からみた昆明市内。

昆明の町は上海に比べて土っぽく,やはり省都とはいえ地方色が濃い。歩いている途中,ビル建築現場を見るとかなりの高層建築にもかかわらず足場はすべて竹で組んであり,ビル全体が竹のオブジェのように見えて面白かった。おそらく建築中に10人以上は不慮の死を遂げているだろう。

20分ばかりで茶花賓館に到着し,中にあるツーリストデスクでその日の夜に乗る大理行き寝台バスの予約をした後,昼食をとりに町に出た。昆明飯店の正面に「自助餐庁(バイキング)30元」と掲げられた清潔そうなレストラン「漢莎〓(くちへんに卑)酒坊」があったので,そこに入る。

そのレストランは地ビールを作っているのが売りらしい。料理はいわゆる「支那料理」ではなく,どちらかといえば東南アジアの料理に近い雰囲気がするものだった。たとえば,チキンライスかと思った赤い炒飯は実は唐辛子で赤く染まっているだけだったり,スープもうまいがやたら辛く,タイ料理みたいな雰囲気だった。もう1種類のスープは内蔵を裏ごししたようなこくがあってとろみのある妙なもので,ちょっと口に合わなかった。たくさん分量を食べられるものではなかったが,辛いスープや唐辛子ライスのような比較的おいしく口に合うものを集中的に食べて腹をふくらませた。

昼からは1時間弱ほどバスに乗って西山森林公園へと向かった。入園料は外国人料金が設定されているので,窓口では現地人を装って「両票(2枚)」と言って現地人料金分の金を投げると,票(入場券)を投げ返してきた。成功だ。

左下が昆明湖畔。後ろに見えるのが龍門。左下の4階建てくらいの建物が小さくみえるので,その高さがうかがいしれる。

ここでは絶壁にへばりついた,人が1人通れる細い道を通って眼下に昆明湖の絶景を眺めることができる。狭くて急な石段を上がっていくと,コンロだけの小さな露店で揚げ菓子を売っていたり,民族衣装を着させて写真を撮らせたりと,なかなか商売熱心だ。途中,「登龍門」の語源になったと言われる龍門の石窟に立ち寄る。

断崖を掘削して造られた道教石窟の入口にある龍門。

出口を出て,50元もする「超高級リフト」でバスのりばまで降り,バスに乗って再び昆明市内に帰った。急な坂を荷物持ちで歩き喉が渇いていたので,「雪碧(スプライト)」の500mlペットボトルを買い,一気に飲む。ついでに夜間バスで不自由しないようにミネラルウォーターも2本買っておいた。

深夜バスまでの時間があまりないので,夕食はバスが発車する茶花賓館でとることにした。レストランは普通の支那料理で,青島ビールをやりながら昆明名物の米線(みんせん。太いビーフンというか,米で作ったうどんのようなもの。だしはラーメンより淡泊),青椒肉絲や野菜炒め,冬虫夏草スープなどを平らげた。味つけは少し辛いもののおいしい。

ゆっくりしているうちにバスの発車時刻が迫ってくるのであわててレストランを出て,ロビーに行く。しかし,ホテルの前にバスが着いているようすはなく,訝しがっていると,案内人が現れ誘導を始めたのでついていく。200mほど離れた駐車場に数台寝台バスが停車しており,その1台に乗り込んだ。車内は現地人だけでなく欧米人もいる。2段の寝台は1つのベッドにつき2人で,蒲団も衛生的とは言いがたい。さらに,ベッドの長さが少し短いので足を曲げねばならないのも不快だった。

発車して30分くらい走ったところでバスが止まった。あたりは真っ暗で,なにも見えない。どうやらトイレ休憩らしいので,一応小用をすまそうと思い車外に出ると,乗務員に「そっちはダメだよ」(推測)と言われた。よく見るとバスと塀の間に女性たちが尻をつるりと出してかがんでいた。状況を把握したので男性が壁に向かって立っている反対側に行き,用を足した。寝台バスは,窓から隙間風が入ってきて寒く,道も悪路で寝心地も悪かった。

[16-08-1997]中国 #1 ‐ 上海

関西国際空港からJL793便に乗り,2時間程度のフライトで上海虹橋空港に到着。「中国の入国審査はかなり威圧的だよ」と同行した友人から聞いていたが,拍子抜けするほどソフトですんなり入国。空港ロビーの中国銀行で円を人民元に兌換してもらおうとするが、なぜか2万円分しか両替してもらえなかった。

翌日の雲南省・昆明行き上海航空の航空券を購入するため、空港の国内線カウンターに向かい,端末から航空券を購入する。運賃は3,040元(1RMB=約14円,当時)で、あらかじめ調べていた運賃(3,720元)より安く,なんか得をした気分だった。ついでに昆明から上海に戻る雲南航空の便も予約する。

空港そばのホテル,虹港大酒店にチェックインし,荷物を置き,空港のリムジンバスを利用して上海市内へ行くことにする。この日の計画は友人が立てていたので、彼の指示に従って途中のバス停で降り,そこから歩いて波特曼香格里拉酒店(ポートマンシャングリラホテル)に向かう。ポートマンシャングリラホテルの4階に上海劇場があり、そこで上海雑技団の公演を観劇しようというわけだ。途中,のどが渇いたので、日本でもありそうな清潔なパン屋で冷やし賃含めて3.6元のコーラを買う。

南京西路に出てホテルに到着した。いろいろ予定を立てていたが日程があわないので,当日券を買うことにした。観劇料は1人あたり45元。あまりいい席ではない。劇が始まるまで時間もあるので外灘(旧租借地)へ向かうことにし,ぶらぶら歩いて書店などをひやかしたり,通りを観察したりしていた。途中,南京路を走る20路バスに乗る。バスは連接式で古く,運賃は0.5元と非常に安いが,これでも最近値上げしたようだ。途中で南京路から脇道に入って止まるので何事かと思うと,運転手が何か叫んで,乗客が降りだした。どうやら運転を打ち切って車庫に入るらしいが,運転手の家族らしき数人はそのままバスに居残っていた。

にぎわう南京東路。歩行者天国になっている。

さて,そうこうしている内にあまり時間がなくなり、とりあえず夕食をとろうとするが,ゆっくりと落ちついて食べる暇はないので「別に上海でわざわざ入らなくても日本でいくらでも入られるのに」といいながら「麦当労」に入る。値段はチーズバーガーセットで19.4元とやや高めで,分量は現地の基準からすると少ないにも関わらず,大勢の客で賑わっていた。「麦当労」はハンバーガー・チェーン「マクドナルド」のことで、台湾では正字を使うので「麥當勞」の表記となる。

遅刻寸前でポートマンシャングリラホテルに戻り,エスカレータで上海劇場に入る。上海雑技団はさすが有名なサーカスだけあり,見ごたえがあった。観劇後は最終のリムジンに乗りそこねたので,タクシーでホテルに帰った。