[XX-10-2019]インドネシア ‐ ジャカルタ #1

※この項,更新予定あり。
朝,京成スカイライナーで成田空港へ。ラッシュ時でも所要時間があまり延びていないのはたいしたもの。出発ロビーで出国審査場の自動化ゲートの利用者登録を行う。5分程度で作業は完了。法務省の職員に自動化ゲートを利用すると旅券への証印が省略されるとの説明を受け,他国入国時の不利益の有無を訊くと,「基本は問題ないが,インドや中国など一部の国で入国時にトラブルになったという報告がある」というので,ゲート通過後に念のため係員に押印してもらう。国際線でも搭乗券発券に並ぶことなくスマートフォンのQRコード提示だけで済むし,出入国審査も自動化されれば,行列嫌いの筆者にとっては機械化さまさま。

免税店で軽く買い物をして,エアラインのラウンジでカレーライス,サラダとビールの遅めの朝食をとる。期待していなかったプレミアム・エコノミーはシートピッチが広いだけあってそこそこ快適。すっかり薄暮のスカルノ・ハッタ空港に到着。外国の空港に降り立った瞬間の気温やにおい,空気の感触が好きだ。

ターミナル3の国際線到着フロアの反対側に位置する国内線到着フロアにあるTELKOMSELの店舗GraPARIまで歩く。南国特有のゆっくりした窓口対応なので,しばし順番待ち。GraPARIではカード払いができないのでインドネシアルピアを引き出そうとしたら複数の金融機関のATMで「取扱いできない」と表示され焦るが,別の場所にある違う金融機関のATMで引き出せて一安心。SIMは3日間有効でデータ量3GBに設定してもらう。APNの設定などは不要のようだ。なお,SIM購入時にはパスポートのコピーを取られる。事前に日本でTELKOMSELのアプリ「My Telkomsel」をインストールしておいたので,SIMの電話番号を登録。このアプリではデータ量の残りなどが確認できる。

回線開通後,クレジットカードの登録などは日本で設定するとうまくいなかいなどの情報があったので,日本であらかじめインストールしておいた配車アプリGrabの設定を行う。なお,カード情報の入力時に3Dセキュアの設定を求められるので注意が必要だ。

空港の各ターミナルを結ぶ無料の新交通・スカイトレインに乗車。ターミナル2駅の次,スカルノ・ハッタ国際空港駅で下車。そのまま直結している空港連絡鉄道Railink(レイル・リンク)の乗り場に行く。自動券売機ではタッチパネルで下車駅を指定し,電話番号を入力して,クレジットカードで運賃を支払う。現金は使えない。係員に電話番号は実際の番号である必要はなく「0」でよいと教えてもらう。

発車間近の列車に乗ると,タクシーやバスに比べると運賃が割高なせいか車内は空いていて快適。有名なジャカルタの渋滞を考えれば,夕方はなおさら時間が読める鉄道のほうがよいだろう。途中スイッチバックで進行方向が変わったりしながら終点のManggarai(マンガライ)駅に到着。在来線への乗り換えに中間改札がなく,在来線のきっぷの買い方がよくわからない。駅員に尋ねると,隣にいた親切な中年女性がホーム上にある券売機に誘導してくれて,在来線ICカードの買い方を教えてくれた。さらに少額紙幣をもっていなかったので,運賃まで払ってくれた。

マンガライ駅は複数の路線が乗り入れるターミナルで,乗降客も多いが,ホーム間の移動はホーム中央と端にある遮断機のない踏切を渡って移動する。電車が止まっている間はホームの端までいかないと移動できない。乗り場によってはホームがなく,長いベンチのような踏み台を使って電車に乗らなくてはいけないなど,なかなか日本ではお目にかかれない光景だった。

日本の東京メトロ有楽町線車輌を改造した通勤列車に乗ってGondangdia(ゴンダンディア)駅で降り,構内にあるコンビニでミネラルウォーターを買う。徒歩5分程度でジャラン・ワヒッ・ハシム沿いにある昨年オープンしたばかりのホテルにチェックイン。

シャワーで汗を流し,フロントに「jalan-jalan(散策)」と告げて外出。ジャラン・アグース・サリム沿いの屋台を横目で見ながら,パダン料理を出すNatrabu(ナトラブ)で遅い夕食をとる。テーブルにずらりと並べられた小皿からグライアヤム(鶏のココナツカレー)と野菜炒めをチョイス。食べない皿は手をつけなければかまわない。ムスリムの多い国なのでメニューに酒類がない一方,礼拝所があるのがおもしろい。食後,酒を呑みにジャラン・アグース・サリムを南下してPisa Kafe(ピサ・カフェ)へ。おなかが空いていないのでビンタンビールとアペタイザーのブルスケッタを頼む。ここではホールでライブ演奏を楽しみながら食事もできる。気軽なテラス席でビールを飲んでいると,蚊に食われるのは困った。

文楽鑑賞メモ

  • 嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)花菱屋の段/日向嶋の段,艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)酒屋の段/道行霜夜の千日
  • 通し狂言 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)三段目・妹山背山の段 四段目・杉酒屋の段/道行恋苧環/鱶七上使の段/姫戻りの段/金殿の段
  • 国立劇場五十周年 寿式三番叟,一谷嫰軍記(いちのたにふたばぐんき)三段目 弥陀六内の段/脇ヶ浜宝引の段/熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
  • 七世竹本住大夫引退公演 増補忠臣蔵,恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)[引退狂言]沓掛村の段/坂の下の段,卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)平太郎住家より木遣り音頭の段
  • 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)道行恋苧環/鱶七上使の段/姫戻りの段/金殿の段
  • 傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)十郎兵衛住家の段,冥途の飛脚(めいどのひきゃく)淡路町の段/封印切の段/道行相合かご
  • 傾城反魂香(けいせいはんごんこう)土佐将監閑居の段,艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)酒屋の段,壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)阿古屋琴責の段
  • 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)椎の木の段/小金吾討死の段/すしやの段,五十年忌歌念仏(ごじゅうねんきうたねぶつ)笠物狂の段,菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺入りの段/寺子屋の段,日本振袖始(にっぽんふりそではじめ)大蛇退治の段
  • 曾根崎心中(そねざきしんじゅう)生玉社前の段/天満屋の段/天神森の段
  • 日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)渡し場の段,舌切り雀

[11-11-1995]琉球・台湾 #12‐蘇澳・淡水・台北

※この項,追記予定あり。
早朝,花蓮から蘇澳に移動。蘇澳からは臺鐵の特別急行にあたる自強號に乗車し,一路臺北を目指す。あいにく満員で無座(立席)だった。臺北に到着後,バスで古い港町・淡水へ。

途中,開通前だった臺北捷運のMRT淡水線の工事現場を横目に見ながら1時間程度で到着。スペイン人が建ててオランダ人の手に渡った紅毛城,さらに隣接する真理大學の理學堂大書院(Oxford College,牛津學堂)を見学。薄曇りで淡水河に沈む夕日は見られなかったのは残念。

真理大學の理學堂大書院
真理大學理學堂大書院の遠景。ジャージ姿の高校生らしい数人が建物の前で遊んでいた。

再びバスで臺北に戻り,われわれの「旅行の最終宿泊地は豪勢に」というセオリー通り,來來香格里拉大飯店(現・台北喜來登大飯店,シェラトン・グランド台北)にチェックイン。メンバーの誰もクレジットカードを持ってきていなかったので日本語で「あなたたち,誰もカード持ってない?!」と多額のデポジットを払う羽目になった。広い部屋を予約していたので客室は快適。休憩後,ドアマンにおすすめの中華餐庁を教えてもらい,車寄せからタクシーで向かう。

デポジットのおかげで予算に厳しい縛りができたのであまりたくさん注文できなかったものの,鮑の酒蒸しと燕の巣は絶品。一品あたりの分量も多かったのもあって,満腹に。全員とも満足してホテルに戻った。

[10-11-1995]琉球・台湾 #11‐太魯閣峡谷・花蓮

※この項,追記予定あり。
朝,昨夜確認したバス停から,台湾を東西に貫く中部横貫公路(東西横貫公路)をひたすら東進する1日1便の長距離路線バスに乗る。現在,この路線は短縮されて台中からは出ていない。

バスは市街地から徐々に山間へと入る。山間部のバス停で手を上げて待つ老女を無視して猛スピードで通過したのにはおもわず友人達と顔を見合わせた。便数が少ない路線なのにずいぶんな話だ。温泉場の谷關を経由し,果樹の栽培で有名な梨山で休憩のため一時停車した。

長距離路線だけにいろいろな乗客がいる。途中梨山で乗車してきた老婆がわれわれに「あなたたち日本人?」と日本語で訊いてきた。話をすると彼女は若い時分に家政婦として神戸で勤務したことがあり,その際に雇い主に厚遇されていたよい思い出があり,日本語を耳にして楽しかった当時を思い出したのだと言う。とりとめのない会話のあと彼女が下車する前,懐かしい思い出に浸れたお礼にと梨山名物の梨と5,000台湾ドルを小遣いとして渡してくれた。梨はともかく現金は固辞しようとしたものの,ぜひ受け取ってくれと強く言われてありがたく頂戴した。

別の男性乗客は周囲の乗客にいろいろ話しかけているがみな無視をしていた。その前に着席している若い女性へたびたび話しかけ,女性は迷惑そうだった。男性はルパン三世のような顔つきや言葉の感じから少数民族と思われた。

建設中に200名以上が命を落としたと言われる難工事で開通した中部横貫公路は,少しでも運転を誤れば崖下に転落しそうな断崖にへばりつくような片側1車線の道路にもかかわらず,バスはけっこうな速度で走り抜ける。

中部横貫公路の断崖
バスの車窓からうかがう中部横貫公路の断崖。谷の向こう側に落石除けが見える。(友人撮影)

天祥で下車し,周囲を散策。それから数時間太魯閣峡谷沿いに歩く。観光客に死者が出るような落石事故がたびたび発生する難所だけあって,切り立った崖は絶景。

太魯閣峡谷その1
切り立った太魯閣峡谷に転がる巨石。左下の黒い丸が中部横貫公路のトンネル。

燕子口付近の断崖を鑑賞し,靳珩橋からふたたび路線バスに乗り,花蓮市街へ到着した。

太魯閣峡谷その2
異常なまでに切り立った太魯閣峡谷。谷の深さと幅の狭さが見て取れる。

[09-11-1995]琉球・台湾 #10‐阿里山・台中

※この項,追記予定あり。29-08-2019写真を追加。
早朝眠い目をこすり森林鐵路の阿里山站へ。祝山線のご来光列車に乗って祝山站に到着。朝早いにもかかわらず多くの観光客がおり,展望台まで人の群れについて行く。ツアーの引率係とおぼしき男性が広場の一段高いところに登っていろいろ説明しているものの,なにぶん言葉がよく分からない。本来なら玉山(新高山)方面から日の出が拝めるのはずが,日の出時刻はあいにく曇天でがっかりした空気が周囲にただよう。ぞろぞろと再び祝山站から阿里山站へ移動し,宿の食堂で肉田麩や塩豆が添えられた粥の朝食を食べる。

阿里山へのアクセス,宿泊先が記載された観光案内
阿里山へのアクセス,宿泊施設の連絡先が記載された観光案内。祝山線や眠月線に加え,各方面へのバス路線の時刻表まで載っていて便利だった。

ふたたび阿里山站へ行き,こんどは9:00発の眠月線列車に乗りことことと9キロ強離れた石猴站へ向かう。眠月線は1999年の大地震で被災し,現在運休中とのこと。終点の石猴站は森に囲まれていて,周囲には遊歩道が整備されている。もっとも,駅のそばに猿の形をした巨石・眠月石猴が屹立しているほかなにもないところ。1時間ほど周辺を散策した後,そのまま折り返しの列車に乗って阿里山站にもどる。

眠月站に停車する列車
眠月站に停車する列車。周囲は森林しかない。

眠月石猴
猿に見えるという巨大な石,眠月石猴。

阿里山周辺をぶらぶらした後,食堂で昼食をとって13:00発の臺中車站行き中距離バス(阿里山公車客運)に乗車。実際のところ,阿里山へのアクセスは本数が少なく時間がかかる森林鐵路よりバスが主流になっている。ただし現在は台中行きのバス路線はないようだ。バスの車内を見回すとわれわれ以外の乗客は少なく,エアコンが効き過ぎて寒かったのと片言の日本語を話す運転手が天然ゴム製の肩たたきを自慢するのがおかしかったのが記憶に残っている。

台中では宿を探すとともに,翌朝乗るバスの乗り場を確認しようとしたが,その場所がわかりにくいので,通りすがりの地元民の女性に尋ねて教えてもらう。適当なホテルにチェックイン後,近くのそこそこ客の入っている食堂に乗り込み,店員のおばさんがおすすめする牛肉麵と台湾ビールで乾杯。汁そばは牛肉に八角が効いていておいしい。

(つづく)

[08-11-1995]琉球・台湾 #9‐台南・阿里山

※29-08-2019加筆と写真を追加
夜行急行列車で一夜を明かし,早朝に臺南車站に到着。食堂もまだ開いていないようなので朝食にコンビニエンスストアで弁当と烏龍茶の缶を買う。公園に着き,烏龍茶を一口飲むと甘い。缶をよく見ると「有糖」と書いてある。売り場で色違いで2種類の缶があったのは無糖と砂糖入りというわけだ。後で知ったのだが,臺湾では緑茶でも砂糖入りがあるとのことで,嗜好の違いがおもしろい。

散策がてら街を徒歩で移動し,臺南孔子廟とオランダ植民地時代の砦,赤崁楼を見学する。

台南の赤崁楼
台南の赤崁楼。

台南からふたたび臺鐵の縦貫線で嘉義に移動して阿里山森林鐵路の阿里山号の切符を買う。時間があるので駅からいったん街に出て食堂で昼食をとる。大通りで銅鑼の音や音楽が聞こえ,楽隊を先頭に祭のような一群がやってきたので何かと思えば葬列だった。

阿里山号の切符
阿里山号の切符。

嘉義車站に戻って13:30発の阿里山号に乗車し,一路阿里山に向かう。ナローゲージの小さい客車に乗り,ゆっくりことことと急峻な山岳路線を上ると,植生が熱帯林から亜熱帯林へと変化するのが車窓から楽しめた。途中,ループ線やスイッチバックなどいかにも山岳路線らしい設備もある。なお,森林鐵路はこの数年後に発生した台風災害の影響で途中駅から不通になっていて嘉義から阿里山まで通しで乗ることはできない。

嘉義車站で出発を待つ阿里山号
嘉義車站で出発を待つ阿里山号

途中,スイッチバックの1つでもある神木車站で線路わきの御神木を眺めるがこの御神木は当時すでに枯れ木となっていて,その後1997年に大雨の影響で倒れてしまったとのこと。終点の阿里山車站に到着したときはすでに夕方になっていて,薄暮の中友人が目星をつけていた阿里山閣國民旅舎(現在の阿里山閣大飯店)で尋ねると空室があるとのことだったので宿泊を決める。

※この項,追記予定あり。

歌舞伎鑑賞メモ

上から新しい順。鑑賞教室ばっかりだなあ。それ以外もほとんど幕見。

  • 菅原伝授手習鑑‐車引‐,棒しばり(歌舞伎鑑賞教室)
  • 日本振袖始(歌舞伎鑑賞教室)
  • 義経千本桜 2部いがみの権太 すし屋 3部狐忠信 道行初音旅・川連法眼館(歌舞伎座)
  • 新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)―魚屋宗五郎―(歌舞伎鑑賞教室)
  • 籠釣瓶花街酔醒(歌舞伎座)
  • 十七世中村勘三郎二十七年忌、十八世中村勘三郎三年忌追善 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺子屋(歌舞伎座)
  • 傾城反魂香(けいせいはんごんこう)土佐将監閑居の段(歌舞伎鑑賞教室)
  • 蘆屋道満大内鑑(歌舞伎鑑賞教室)
  • 歌舞伎座新開場 杮葺落六月大歌舞伎 御存 鈴ヶ森,助六由縁江戸桜
  • 紅葉狩(歌舞伎鑑賞教室)
  • 毛抜(歌舞伎鑑賞教室)
  • 俊寛(歌舞伎鑑賞教室)
  • 壽 初春大歌舞伎 矢の根,連獅子,神明恵和合取組 め組の喧嘩
  • 日本振袖始,曾根崎心中
  • 義経千本桜 渡海屋の段・大物浦の段(歌舞伎鑑賞教室)
  • 義経千本桜 河連法眼館の段(歌舞伎鑑賞教室)
  • 鳴神(歌舞伎鑑賞教室)

[07-11-1995]琉球・台湾 #8‐那覇・台北

※31-05-2019台湾部分を加筆
八重山逗留もいよいよ終わり,本島にもどる。思えば本島だけでも内地からずいぶん遠いのに,さらに八重山となると距離もさることながらのんびりした空気が外国に来たような気分になる。とにかく,本島に行っただけで琉球を実感するのは100パーセントとは言えないように思う。

石垣空港から空路那覇空港に飛び,そのまま那覇市内へと行く。おめあては牧志公設市場だ。活気のある市場内はイラブー(海蛇)の干物やスクガラスの瓶詰め,ゴーヤ,海ブドウなどいろいろなものが所狭しと並べられ,肉売場では沖縄でよく食べられる豚足や顔の皮などが山積みにされている。

地下の魚売場では伊勢海老やアカマチ,真っ青なイラブチャーの刺身などを買うとその場で刺身に醤油をつけて食べさせてくれる。さらに2階の食堂に上がり,オリオンビールとともにテビチやミミガーなどいろいろ注文して食べるが,どれもおいしい。ただ,よくガイドブックなどで「階下の市場で買った魚や肉を上の食堂で料理してもらえる」とあるが,持ち込み手数料を取られるので注意したほうがよい。持ち込みにせず,そのまま普通に食堂で料理を頼んだほうが安くつくようだ。ただ,市場の人と食堂の人が親しい場合などは,交渉次第で手数料なしで調理してくれることもあるとのこと。

さて,牧志のマルフクレコード(※現存せず)をひやかしたり,なんだかんだと市場本通りで遊んでいたら,那覇空港での集合時間が迫ってきているのに気がついた。あわてて空港行きのバスに乗るが,国際通りから那覇バスターミナル,漫湖のあたりまで道路が混雑しており,思うように進まない。体は八重山リズムになっているので,まあ大丈夫だろうとのほほんと約束時間を20分程度過ぎて空港に到着すると,碧山老師とM氏がかなり焦っている様子で待ちもうけていた。当時は携帯電話は今ほど普及しておらず,連絡の取りようもなかったので焦るのも無理はない。

日本アジア航空(当時)のチェックインカウンターで航空券を搭乗券に引き換えてもらい,地方空港らしい狭い出国審査場(当時)で出国手続をとる。台湾人の旅行者が多いようだ。出国時の施設利用料はかからず,手続も早い。やたら高い成田空港や関西空港で行列を作って出国するのがバカらしくなってくる。機内も台湾人のツアー客が多く,日本人と台湾人の割合は6:4ないしは7:3くらいではなかったかとおもう。

15時過ぎに軍民共用の那覇空港を離陸,急角度で上昇して窓の外にはコバルトブルーの海が見えてきたところで,急にエンジン音が止まった。しずかに機体が降下していくのがわかる。一瞬,これはダメかもなと思ったところで,エンジンが息を吹き返し,事なきを得た。

その後はトラブルも皆無で,台北の中正國際機場(現・桃園國際機場)には現地時間の16時前に到着。空港の案内表示器には沖縄発着の便は行き先がすべて「琉球」と表示されているのが興味深い。リムジンバスに乗り,台北市内に向かう。バスを降りると,道路を駆け抜けるバイクの多さが新鮮だった。夕食はとりあえず吉野家に入り,現地メニューらしい雞丼を食べる。日本と異なり,U字型のカウンターではなくマクドナルドのような店舗のつくりだったのが印象に残っている。

臺灣鐵路管理局(臺鐵)の臺北駅まで移動し,夜行の急行列車・莒光号の切符を買う。臺北駅は10年弱ほど前に地下化され,駅ビルの巨大な吹き抜けが首都のターミナルにふさわしいたたずまいだった。23:30出発の深夜急行はほぼ満席で,3人で話をしているうちに明るい車内にもかかわらず眠り込んでしまった。

ウェブ版iCloudのカレンダーに祝日を表示させる方法の覚書

Macのカレンダー.appで「日本の祝日」を照会する設定にしていれば,同期してiOSデバイスのスケジューラでも祝日が表示される。ところが,ウェブブラウザでicloud.comにログインして,ウェブアプリのカレンダーを見る際,祝日が表示されないのでいささか不便に感じていた。

調べてみると以前からウェブ版iCloudはこういう仕様のようで対処方法が見つかった。いずれも記述が若干古いので,2019年現在の手順をメモ。

1.日本の祝日のicsデータを入手

以下のリンク先からMacにicsファイルをダウンロードする。
http://ical.mac.com/ical/Japanese32Holidays.ics

2.カレンダー.appに祝日データを読み込む

カレンダー.appを起動し,[ファイル]‐[新規カレンダー]から「iCloud」を選択。古いユーザだと「iCloud」ではなく「MobileMe」になっているかもしれない。

カレンダー一覧に新規カレンダー「名称未設定」が表示されるので,適宜「祝日」などとリネームし,その新規カレンダーを選択したまま,[ファイル]‐[読み込む…]からダウンロードした「Japanese32Holidays.ics」を読み込む。

3.最後に

このままだとカレンダー.appに読み込んだ祝日と既存の「日本の祝日」が重複して表示されるので,新しく読み込んだほうの祝日カレンダーのチェックを外しておく。iOSデバイスでも同様。また,カレンダーの色を祝日らしい色に変えておくと見やすい。

なお,このicsを利用した祝日カレンダーには2019年4月末から5月初頭にかけての天皇陛下即位に関連した祝日が含まれていなかったので,今後もときおり設定されている祝日を確認したほうがよいように思われる。

フランスAntenne2のニュース(1987-1991)のメモ

フランスのテレビニュースは,TF1,France2とも昼のニュースjournal de 13 heures(JT13H*)が13時に,夜のメインニュースjournal de 20 heures(JT20H*)が20時にそれぞれオンエアされる。朝は情報番組のなかで30分おきに数回,深夜は24時ごろにそれぞれ短いニュースがオンエアされる。

*JT:Journal télévisé,つまりテレビニュース。

ちなみに,イギリス・BBCは昼のニュースが13時,夜のメインニュースは21時放送となっている。

France2はフランス政府100%出資のFrance Télévisionsが運営するテレビ子会社で,かつての局名はAntenne2(A2,アンテンヌ2)だったが1992年に組織改編される際に名称も改められた。ここではA2の1987年から1991年ごろまでのニュース番組についてつらつら書いてみる。

前史

1970年代後半から1980年代前半にかけてPatrick POIVRE D’ARVOR(PPDA)がA2のJT20Hを担当していた。フランソワ・ミッテラン政権下でTF1が民営化された1987年,PPDAはA2からTF1へと移籍し,20Hを担当するようになった。

PPDA担当時のJT20H。サイケなアニメーションのオープニング。
ちなみに,PPDAは後年A2やTF1のニュース番組のアンカーだったClaire CHAZALと関係を持ち,2人の間には私生児がいると話題になった。

1987-1989

A2はTF1に対抗すべく,Henri SANNIERを20Hの担当に据え,ニュース番組のスタジオセットとオープニングを統一感のある斬新なものに一新。なお,13HはWilliam LEYMERGIEとPatricia CHARNELETのコンビが続投している。

1987-1989 メディアアーティストのDavid NILESが手掛けたオープニングはすべてのニュース番組で共通。サブリミナル映像が含まれると指摘されたバージョン。CGをDavid NilesがYouTubeにアップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=zGIFKzZYKUo)。

1988年,「オープニングCGにおいて,A2ロゴの“2”の部分にミッテラン大統領の顔が1コマ映り込むサブリミナル効果が施されている」と報じられ,大問題となる。これを受け,ロゴの表面を平滑化する処理をほどこしたCGに差し替えられた。

この間,テロップシステムの更新や,20Hの担当がChristine OCKRENTとHervé CLAUDEが週替わりの二頭体制になるなどの変化がみられている。なお,アンカーの詳細はListe des présentateurs du Journal de 20 heures de France 2Liste des présentateurs du Journal de 13 heures de France 2を参照。

ロゴのCGが修正された後のオープニング。テロップシステムも更新されている。担当はPhilippe LEFAIT。

1989-1991

音楽はそのままでオープニングCGをリニューアルするとともにスタジオセットも改修。リニューアル後,すぐに“le journal”の筆記体ロゴが白く縁取られる手直しが入る。理由は不明だが,視認性の向上ではないかと推察。

こちらはChristine OCKRENTが担当している20Hの映像。手直し前のロゴは,深夜のフラッシュニュースの動画https://www.youtube.com/watch?v=XBfmvZUGCf4でみることができる。

その他

Henri SANNIER担当番組での演出

1987年のリニューアル以降,番組冒頭に立ってポケットに手を入れたHenri SANNIERがコメントしてからオープニングが始まるなど,彼の担当番組を中心に演出面でも新規性を打ち出した。もっとも,日本のニュース番組のように,BGMに派手な音楽を流したりするわけではなく,スタジオの照明やカメラワーク,合成背景のデザインなどに工夫がみられた。

1990年にHenri SANNIERは13Hの担当となり,またしても冒頭はセットに立ったまま株価や天気を紹介,ニュースを伝える際はブルーバックの背景にセットを合成するなどの演出を施した。こういったこじゃれた演出は1991年ごろには行われなくなった。

05:30くらいから13Hと似た感じの演出の深夜ニュース。

エンディングあれこれ

タイトル音楽が鳴り続け,終了しないのでデスクの下に隠れるHervé CLAUDE。現地のNG特集のような番組でも取り上げられていたこの映像は,INA(Institut national de l’audiovisuel,フランス国立視聴覚研究所)がアップロードしており,こんなものまで収集・公開するフランスのセンスは好きだ。

新年の放送(1er janvier 1988)でシャンパンで乾杯するPatricia CHARNELET。アンカーが酒を呑むニュース番組もそうそうなかろうかと。そういえば,『ニュースステーション』の最終回で久米宏がビールを呑んでいたのを思い出す。