[09-11-1995]琉球・台湾 #10‐阿里山・台中

※この項,追記予定あり。
早朝眠い目をこすり森林鐵路の阿里山駅へ。祝山線のご来光列車に乗って祝山駅に到着。朝早いにもかかわらず多くの観光客がおり,それについて展望台に到着。ツアーの引率係とおぼしき男性が一段高いところに登っていろいろ説明しているが,なにぶん言葉がよく分からない。本来なら玉山(新高山)方面から日の出が拝めるのだが,あいにく曇天でがっかりした空気が周囲にただよう。ぞろぞろと再び祝山駅から阿里山駅へ移動し,宿の食堂で肉田麩や塩豆が添えられた粥の朝食を食べる。

ふたたび阿里山駅へ行き,こんどは眠月線に乗りことことと9キロ強離れた石猴駅へ向かう。眠月線は1999年の大地震で被災し,現在運休中とのこと。終点の石猴駅は森に囲まれていて,遊歩道が整備されているが,猿の形をした巨石・眠月石猴が屹立しているほかなにもないところ。そのまま折り返しの列車に乗って阿里山駅にもどる。

阿里山周辺をぶらぶらした後,食堂で昼食をとって臺中車站行きの中距離バスに乗車。実際のところ,阿里山へのアクセスは本数が少なく時間がかかる森林鐵路よりバスが主流になっている。ただし現在は台中行きのバス路線はないようだ。バスはわれわれの他は乗客も少なく,エアコンが効き過ぎて寒かったのと片言の日本語を話す運転手が天然ゴム製の肩たたきを自慢するのがおかしかったのが記憶に残っている。

台中では宿を探すとともに,翌朝乗るバスの乗り場がわかりにくいので,通りすがりの地元民の女性に尋ねて教えてもらう。適当なホテルにチェックイン後,近くのそこそこ客の入っている食堂に乗り込み,店員のおばさんがおすすめする清燉牛肉麵と台湾ビールで乾杯。汁そばは八角が効いていておいしい。

(つづく)

[08-11-1995]琉球・台湾 #9‐台南・阿里山

夜行急行列車で一夜を明かし,早朝に臺南車站に到着。食堂もまだ開いていないようなので朝食にコンビニエンスストアで弁当と烏龍茶の缶を買う。公園に着き,烏龍茶を一口飲むと甘い。缶をよく見ると「有糖」と書いてある。売り場で色違いで2種類の缶があったのは無糖と砂糖入りというわけだ。後で知ったのだが,臺湾では緑茶でも砂糖入りがあるとのことで,嗜好の違いがおもしろい。

散策がてら街を徒歩で移動し,臺南孔子廟とオランダ植民地時代の砦,赤崁楼を見学する。

台南からふたたび臺鐵の縦貫線で嘉義に移動して阿里山森林鐵路の切符を買う。時間があるので駅からいったん街に出て昼食をとる。大通りで銅鑼の音や音楽が聞こえ,楽隊を先頭に祭のような一群がやってきたので何かと思えば葬列だった。

時間になったので森林鐵路の阿里山号に乗車し,一路阿里山に向かう。ナローゲージの小さい客車に乗り,ゆっくりことことと急峻な山岳路線を上ると,植生が熱帯林から亜熱帯林へと変化するのが車窓から楽しめた。途中,ループ線やスイッチバックなどいかにも山岳路線らしい設備もある。なお,森林鐵路はこの数年後に発生した台風災害の影響で途中駅から不通になっていて嘉義から阿里山まで通しで乗ることはできない。

途中,スイッチバックの1つでもある神木車站で線路わきの御神木を眺めるがこの御神木は当時すでに枯れ木となっていて,その後1997年に大雨の影響で倒れてしまったとのこと。終点の阿里山車站に到着したときはすでに夕方になっていて,薄暮の中友人が目星をつけていた宿で尋ねると空室があるとのことだったので宿泊を決める。

※この項,追記予定あり。

歌舞伎鑑賞メモ

上から新しい順。鑑賞教室ばっかりだなあ。それ以外もほとんど幕見。

  • 菅原伝授手習鑑‐車引‐,棒しばり(歌舞伎鑑賞教室)
  • 日本振袖始(歌舞伎鑑賞教室)
  • 義経千本桜 2部いがみの権太 すし屋 3部狐忠信 道行初音旅・川連法眼館(歌舞伎座)
  • 新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)―魚屋宗五郎―(歌舞伎鑑賞教室)
  • 籠釣瓶花街酔醒(歌舞伎座)
  • 十七世中村勘三郎二十七年忌、十八世中村勘三郎三年忌追善 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺子屋(歌舞伎座)
  • 傾城反魂香(けいせいはんごんこう)土佐将監閑居の段(歌舞伎鑑賞教室)
  • 蘆屋道満大内鑑(歌舞伎鑑賞教室)
  • 歌舞伎座新開場 杮葺落六月大歌舞伎 御存 鈴ヶ森,助六由縁江戸桜
  • 紅葉狩(歌舞伎鑑賞教室)
  • 毛抜(歌舞伎鑑賞教室)
  • 俊寛(歌舞伎鑑賞教室)
  • 壽 初春大歌舞伎 矢の根,連獅子,神明恵和合取組 め組の喧嘩
  • 日本振袖始,曾根崎心中
  • 義経千本桜 渡海屋の段・大物浦の段(歌舞伎鑑賞教室)
  • 義経千本桜 河連法眼館の段(歌舞伎鑑賞教室)
  • 鳴神(歌舞伎鑑賞教室)

[07-11-1995]琉球・台湾 #8‐那覇・台北

※31-05-2019台湾部分を加筆
八重山逗留もいよいよ終わり,本島にもどる。思えば本島だけでも内地からずいぶん遠いのに,さらに八重山となると距離もさることながらのんびりした空気が外国に来たような気分になる。とにかく,本島に行っただけで琉球を実感するのは100パーセントとは言えないように思う。

石垣空港から空路那覇空港に飛び,そのまま那覇市内へと行く。おめあては牧志公設市場だ。活気のある市場内はイラブー(海蛇)の干物やスクガラスの瓶詰め,ゴーヤ,海ブドウなどいろいろなものが所狭しと並べられ,肉売場では沖縄でよく食べられる豚足や顔の皮などが山積みにされている。

地下の魚売場では伊勢海老やアカマチ,真っ青なイラブチャーの刺身などを買うとその場で刺身に醤油をつけて食べさせてくれる。さらに2階の食堂に上がり,オリオンビールとともにテビチやミミガーなどいろいろ注文して食べるが,どれもおいしい。ただ,よくガイドブックなどで「階下の市場で買った魚や肉を上の食堂で料理してもらえる」とあるが,持ち込み手数料を取られるので注意したほうがよい。持ち込みにせず,そのまま普通に食堂で料理を頼んだほうが安くつくようだ。ただ,市場の人と食堂の人が親しい場合などは,交渉次第で手数料なしで調理してくれることもあるとのこと。

さて,牧志のマルフクレコード(※現存せず)をひやかしたり,なんだかんだと市場本通りで遊んでいたら,那覇空港での集合時間が迫ってきているのに気がついた。あわてて空港行きのバスに乗るが,国際通りから那覇バスターミナル,漫湖のあたりまで道路が混雑しており,思うように進まない。体は八重山リズムになっているので,まあ大丈夫だろうとのほほんと約束時間を20分程度過ぎて空港に到着すると,碧山老師とM氏がかなり焦っている様子で待ちもうけていた。当時は携帯電話は今ほど普及しておらず,連絡の取りようもなかったので焦るのも無理はない。

日本アジア航空(当時)のチェックインカウンターで航空券を搭乗券に引き換えてもらい,地方空港らしい狭い出国審査場(当時)で出国手続をとる。台湾人の旅行者が多いようだ。出国時の施設利用料はかからず,手続も早い。やたら高い成田空港や関西空港で行列を作って出国するのがバカらしくなってくる。機内も台湾人のツアー客が多く,日本人と台湾人の割合は6:4ないしは7:3くらいではなかったかとおもう。

15時過ぎに軍民共用の那覇空港を離陸,急角度で上昇して窓の外にはコバルトブルーの海が見えてきたところで,急にエンジン音が止まった。しずかに機体が降下していくのがわかる。一瞬,これはダメかもなと思ったところで,エンジンが息を吹き返し,事なきを得た。

その後はトラブルも皆無で,台北の中正國際機場(現・桃園國際機場)には現地時間の16時前に到着。空港の案内表示器には沖縄発着の便は行き先がすべて「琉球」と表示されているのが興味深い。リムジンバスに乗り,台北市内に向かう。バスを降りると,道路を駆け抜けるバイクの多さが新鮮だった。臺灣鐵路管理局(臺鐵)の臺北駅まで移動し,夜行の急行列車・莒光号の切符を買う。臺北駅は10年弱ほど前に地下化され,駅ビルの巨大な吹き抜けが首都のターミナルにふさわしいたたずまいだった。23:30出発の深夜急行はほぼ満席で,3人で話をしているうちに明るい車内にもかかわらず眠り込んでしまった。

ウェブ版iCloudのカレンダーに祝日を表示させる方法の覚書

Macのカレンダー.appで「日本の祝日」を照会する設定にしていれば,同期してiOSデバイスのスケジューラでも祝日が表示される。ところが,ウェブブラウザでicloud.comにログインして,ウェブアプリのカレンダーを見る際,祝日が表示されないのでいささか不便に感じていた。

調べてみると以前からウェブ版iCloudはこういう仕様のようで対処方法が見つかった。いずれも記述が若干古いので,2019年現在の手順をメモ。

1.日本の祝日のicsデータを入手

以下のリンク先からMacにicsファイルをダウンロードする。
http://ical.mac.com/ical/Japanese32Holidays.ics

2.カレンダー.appに祝日データを読み込む

カレンダー.appを起動し,[ファイル]‐[新規カレンダー]から「iCloud」を選択。古いユーザだと「iCloud」ではなく「MobileMe」になっているかもしれない。

カレンダー一覧に新規カレンダー「名称未設定」が表示されるので,適宜「祝日」などとリネームし,その新規カレンダーを選択したまま,[ファイル]‐[読み込む…]からダウンロードした「Japanese32Holidays.ics」を読み込む。

3.最後に

このままだとカレンダー.appに読み込んだ祝日と既存の「日本の祝日」が重複して表示されるので,新しく読み込んだほうの祝日カレンダーのチェックを外しておく。iOSデバイスでも同様。また,カレンダーの色を祝日らしい色に変えておくと見やすい。

なお,このicsを利用した祝日カレンダーには2019年4月末から5月初頭にかけての天皇陛下即位に関連した祝日が含まれていなかったので,今後もときおり設定されている祝日を確認したほうがよいように思われる。

文楽鑑賞メモ

  • 通し狂言 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)三段目・妹山背山の段 四段目・杉酒屋の段/道行恋苧環/鱶七上使の段/姫戻りの段/金殿の段
  • 国立劇場五十周年 寿式三番叟,一谷嫰軍記(いちのたにふたばぐんき)三段目 弥陀六内の段/脇ヶ浜宝引の段/熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
  • 七世竹本住大夫引退公演 増補忠臣蔵,恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)[引退狂言]沓掛村の段/坂の下の段,卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)平太郎住家より木遣り音頭の段
  • 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)道行恋苧環/鱶七上使の段/姫戻りの段/金殿の段
  • 傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)十郎兵衛住家の段,冥途の飛脚(めいどのひきゃく)淡路町の段/封印切の段/道行相合かご
  • 傾城反魂香(けいせいはんごんこう)土佐将監閑居の段,艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)酒屋の段,壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)阿古屋琴責の段
  • 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)椎の木の段/小金吾討死の段/すしやの段,五十年忌歌念仏(ごじゅうねんきうたねぶつ)笠物狂の段,菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺入りの段/寺子屋の段,日本振袖始(にっぽんふりそではじめ)大蛇退治の段
  • 曾根崎心中(そねざきしんじゅう)生玉社前の段/天満屋の段/天神森の段
  • 日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)渡し場の段,舌切り雀

フランスAntenne2のニュース(1987-1991)のメモ

フランスのテレビニュースは,TF1,France2とも昼のニュースjournal de 13 heures(JT13H*)が13時に,夜のメインニュースjournal de 20 heures(JT20H*)が20時にそれぞれオンエアされる。朝は情報番組のなかで30分おきに数回,深夜は24時ごろにそれぞれ短いニュースがオンエアされる。

*JT:Journal télévisé,つまりテレビニュース。

ちなみに,イギリス・BBCは昼のニュースが13時,夜のメインニュースは21時放送となっている。

France2はフランス政府100%出資のFrance Télévisionsが運営するテレビ子会社で,かつての局名はAntenne2(A2,アンテンヌ2)だったが1992年に組織改編される際に名称も改められた。ここではA2の1987年から1991年ごろまでのニュース番組についてつらつら書いてみる。

前史

1970年代後半から1980年代前半にかけてPatrick POIVRE D’ARVOR(PPDA)がA2のJT20Hを担当していた。フランソワ・ミッテラン政権下でTF1が民営化された1987年,PPDAはA2からTF1へと移籍し,20Hを担当するようになった。

PPDA担当時のJT20H。サイケなアニメーションのオープニング。
ちなみに,PPDAは後年A2やTF1のニュース番組のアンカーだったClaire CHAZALと関係を持ち,2人の間には私生児がいると話題になった。

1987-1989

A2はTF1に対抗すべく,Henri SANNIERを20Hの担当に据え,ニュース番組のスタジオセットとオープニングを統一感のある斬新なものに一新。なお,13HはWilliam LEYMERGIEとPatricia CHARNELETのコンビが続投している。

1987-1989 メディアアーティストのDavid NILESが手掛けたオープニングはすべてのニュース番組で共通。サブリミナル映像が含まれると指摘されたバージョン。CGをDavid NilesがYouTubeにアップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=zGIFKzZYKUo)。

1988年,「オープニングCGにおいて,A2ロゴの“2”の部分にミッテラン大統領の顔が1コマ映り込むサブリミナル効果が施されている」と報じられ,大問題となる。これを受け,ロゴの表面を平滑化する処理をほどこしたCGに差し替えられた。

この間,テロップシステムの更新や,20Hの担当がChristine OCKRENTとHervé CLAUDEが週替わりの二頭体制になるなどの変化がみられている。なお,アンカーの詳細はListe des présentateurs du Journal de 20 heures de France 2Liste des présentateurs du Journal de 13 heures de France 2を参照。

ロゴのCGが修正された後のオープニング。テロップシステムも更新されている。担当はPhilippe LEFAIT。

1989-1991

音楽はそのままでオープニングCGをリニューアルするとともにスタジオセットも改修。リニューアル後,すぐに“le journal”の筆記体ロゴが白く縁取られる手直しが入る。理由は不明だが,視認性の向上ではないかと推察。

こちらはChristine OCKRENTが担当している20Hの映像。手直し前のロゴは,深夜のフラッシュニュースの動画https://www.youtube.com/watch?v=XBfmvZUGCf4でみることができる。

その他

Henri SANNIER担当番組での演出

1987年のリニューアル以降,番組冒頭に立ってポケットに手を入れたHenri SANNIERがコメントしてからオープニングが始まるなど,彼の担当番組を中心に演出面でも新規性を打ち出した。もっとも,日本のニュース番組のように,BGMに派手な音楽を流したりするわけではなく,スタジオの照明やカメラワーク,合成背景のデザインなどに工夫がみられた。

1990年にHenri SANNIERは13Hの担当となり,またしても冒頭はセットに立ったまま株価や天気を紹介,ニュースを伝える際はブルーバックの背景にセットを合成するなどの演出を施した。こういったこじゃれた演出は1991年ごろには行われなくなった。

05:30くらいから13Hと似た感じの演出の深夜ニュース。

エンディングあれこれ

タイトル音楽が鳴り続け,終了しないのでデスクの下に隠れるHervé CLAUDE。現地のNG特集のような番組でも取り上げられていたこの映像は,INA(Institut national de l’audiovisuel,フランス国立視聴覚研究所)がアップロードしており,こんなものまで収集・公開するフランスのセンスは好きだ。

新年の放送(1er janvier 1988)でシャンパンで乾杯するPatricia CHARNELET。アンカーが酒を呑むニュース番組もそうそうなかろうかと。そういえば,『ニュースステーション』の最終回で久米宏がビールを呑んでいたのを思い出す。